ジャズ・ヴォーカリスト、上西千波がCDデビュー20周年を迎えた2021年にアルバム『恋愛小説』を発表した。その第2弾作品が最新作『恋愛小説II』である。CDには前作同様、2冊のブックレットが付いており、1冊には収録曲の歌詞カードとともに各曲にまつわる上西のショート・エッセイ、もう1冊には作家の一銀海生が書き下ろした短編小説(前作の著者は杉内健二)が掲載されている。聴くだけでなくプラスαで楽しめるアルバムの背景を中心に聞いた。
※どちらの作品もCDのほかハイレゾ音源のダウンロード販売があり、ダウンロードで購入の方にはエッセイと小説のデータをお送りしています。詳細は上西千波のオフィシャル・サイト をご覧ください。 ――短編小説付きのアルバムを制作しようと思ったきっかけを教えてください。
「コロナが蔓延し、生活が激変したある時、ストレスを抱えている自分に気がついたんです。たぶんそれは私だけじゃないはず、だったら、ちょっとリラックスしたい時にふと手にしたくなるモノを作ったらみなさんに喜ばれるのではないかと思いました。それはいったい何か。私自身、以前から頭を休めたい時は短編のラブ・ストーリーを読む習慣があったので、それをヒントに、ジャズ・ソング一曲一曲を恋愛小説に見立て、1冊の文庫本のようなアルバムを作るのがいいのではないかと思いついたのです。当初から第2弾も考えていたので、最初のアルバムは“純愛”、次は“熱愛”をテーマに歌う曲を選んでいきました」
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――前作、そして最新作もベテラン・ジャズ・ピアニスト、青柳誠さんとのデュオが収められています。
「青柳さんの演奏は言うまでもなく天才的な素晴らしさで、人に寄り添う気持ちが音に現れていると感じています。私の要望にできるだけ応えようと心を砕いてくださり、より良い作品にするため、最大限の工夫を凝らしてくれました。私自身がOKを出したテイクに対しても、丁寧に楽曲と向き合ってくれて、たしかにちょっと手を加えることでメロディの印象がガラリと変わり、曲がさらに美しく聴こえるので驚きました。上京した頃に出逢い、その数年後にイベントでご一緒してから何かとお世話になっている青柳さんですが、今回のレコーディングは“歌”をとても大事にしてくださった彼の感性と豊富な経験に助けられたと感謝しています。それから、青柳さんのエレピも私は大好きなので最新作ではフェンダー・ローズ・ピアノで1曲、前作ではローズ1曲、ハモンド・オルガンで1曲弾いてもらいました」
――最新作『恋愛小説II』の収録曲「SPAIN」(チック・コリア作)にはジャズ・ヴァイオリニストの牧山純子さんがゲスト参加されています。
「〈SPAIN〉を選曲した時点で“古城が街を彩るトラディショナルな場所で恋が再燃する”イメージが浮かびました。サウンド面ではヴァイオリンの音がほしくなり、約5年前に知り合った共演歴のある牧山さんがイメージにぴったりだったのでオファーしたのです。彼女の音には品があり、ダイナミックでありながらも全体的な印象がエレガントなんですよ」
アルバム『恋愛小説II』には青柳誠(左)、牧山純子(右)が参加
――ブックレットに掲載されている書き下ろし短編小説について伺います。『恋愛小説』の「スモール・アワーズ」、『恋愛小説II』の「瞬恋」を書かれた各作家さんをご紹介ください。
「どちらも親しい方々です。最初の作品を杉内健二さんにお願いしたのは、男性の作家さんに“純愛”をテーマに書いていただきたかったから。ただ、彼が得意としているジャンルはテンポ感のあるサスペンスで、だからこそ逆にどんな恋愛小説を生み出すのか非常に興味がありました。第2弾作品は女性の作家さんに“熱愛”をテーマに書いていただこうと決めていました。できるだけ女性ならではの文章が書ける作家さんに依頼したかったのですが、イメージどおりの女流作家が近くにいた。それが一銀海生さんです」
――具体的なストーリーは作家さんにお任せしたのですか?
「アルバムのテーマや収録曲を伝えたうえで、杉内さんには〈IN THE WEE SMALL HOURS OF THE MORNING〉を、一銀さんには〈SPEAK LOW〉を題材に自由な発想で書いていただきました。オリジナルの小説を提供していただいたのですからぜいたくですよね。アルバムが完成した後、読みながら聴いてみたところ、想像していたとおり良い時間を過ごせたので、みなさんにもぜひ、ゆったりしたい時に聴いて読んでいただきたいです」
――ところで、ラブ・ソングを歌う時、ご自身の恋愛体験がオーバーラップすることもあるのでは?
「それはないですね(笑)。いつも、誰か他の人の恋物語だと思って歌っています。唯一〈BUT BEAUTIFUL〉の歌詞には憧れを抱く部分があるかな。いずれにしても、私は歌う時、聴き手の頭の中に情景が浮かぶように表現したいと思っていて、息の吐き方や声色を自分なりに工夫しています。いくつものパターンを試して録音し、それを確認したうえで本番を迎えるようにしているのです。そんな私の歌を聴いてくれた方から“昔の恋を思い出して泣いてしまいました”と感想を言われた時は本当に嬉しかったです」
――ところで、上西さんがジャズにハマったきっかけはビリー・ホリデイだそうですね。
「忘れもしません、15〜16歳の頃、テレビで彼女を紹介する番組を見て衝撃を受けたのです。ビリーの代表曲〈奇妙な果実〉にまつわるエピソードや人種差別問題にも触れた構成で、画面から目が離せませんでした。使われていた音楽もそれまで聴いていたポップスとはあきらかに違う複雑なコード展開だったので一気に心を奪われてしまったんですよ。私は3歳からピアノを習い、7歳からは歌のレッスンにも通っていたので、子供の頃から音楽が身近にある環境でしたが、ビリー・ホリデイの存在を知ってからはすっかりジャズの虜になってしまいました。だからといって、プロのジャズ・シンガーを目指したわけでもなく、というより、そういうお仕事があるなんて想像もしていなかったので、ふつうに大学を卒業し、地元の広島で就職したんです」
――「オルケスタ'84」というサルサ・バンドで音楽活動を始めたのはその頃ですよね?
「就職して少し経った頃、メンバーの方に誘われてスタジオに遊びに行ったら、じつはヴォーカリストとしてスカウトされていたことが判明しました(笑)。結果、バンドには6年ぐらい参加していたので、今でもギロを演奏しながら踊って歌えます(笑)。その後、起業したので実業に専念して生きていくつもりでしたが、ご縁があり、ホテルのラウンジなどで大好きなジャズを歌う機会に恵まれました。東京在住の音楽仲間も徐々に増え、せっかくだから本格的にジャズ・シンガーとして活動していこうと2001年9月に上京したのです」
――同年、ファースト・アルバム『Gee Baby』を発表し、2007年にはトップ・ベーシスト、ロニー・プラキシコ・プロデュースによるニューヨーク録音アルバム『Flyin' Butterfly』でメジャー・デビュー!
「初のニューヨーク録音は勉強になりましたし、かなり鍛えられました。すべて1テイクか2テイク、現地のミュージシャンのパワーに吹き飛ばされぬよう、必死で歌ったことを覚えています。こちらから3テイク目をお願いするなんてとても恥ずかしくて言えない雰囲気でしたし、それが本場のスタイルだと身を持って知ったんです。あれ以来、私はどのレコーディングでも集中して2テイクでOKを出そうと心に決めています。ロニーさんには2017年にもアルバムを2枚プロデュースしていただき、今もときどきメールで連絡を取り合っています。またいつかアルバム作りをご一緒できたらと思っているんですよ」
――それにしても、ヴォーカリストはタフでなければ務まりませんね。
「心もカラダも強くないと(笑)。ただ、私はもともとハプニングのドキドキが好きなんです。あれは二十歳を過ぎた頃だったでしょうか、ジャズを歌い出して間もない私に、先輩のヴォーカリストからステージで一緒に歌おうと突然言われ、意を決してスキャットでパフォーマンスをしたらものすごく盛り上がって最高に楽しかったんです。私がジャズを歌うことに目覚めた瞬間でした。ハプニングが起こることで音楽が変わる面白さを知ったのもその時です」
――さて、上西さんは“平和の大切さを音楽に乗せて届ける活動”も精力的に行なっていますよね。
「カナダに移民した祖父の従兄弟にあたる方から戦中・戦後の話を直接聞いたことがきっかけで私の運命は変わりました。当時の話を辿っていくうちに、これはライフワークとして人々に伝えていかなければと思ったんです。それが今から10年前のことです。同時に、時代に沿った作品を残していきたいと音楽活動を続けています」
――『恋愛小説』シリーズも今、多くの人に必要とされていると思ったからこそレコーディングしたんですものね。
「はい。今後も音楽に乗せてその時にみなさまの心に沿っていられるジャズ・シンガーでありたいと思っています」
取材・文/菅野 聖
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