レゲエ・マガジン『Riddim』の創刊25周年/300号を記念して約20年ぶりに一夜限りの復活を果たすこととなったMUTE BEAT。世界にも類をみないライヴ・ダブ・バンドとして、後の音楽シーンに大きな影響を及ぼした彼らの短くも濃密な足跡を4月2日の復活ライヴに先がけて一気に振り返ってみましょう。

MUTE BEATは1982年に東京で生まれ80年代を駆け抜けて、90年にひっそりと消えていったレゲエ・バンドだ。MUTE BEATは、生まれたときからワン&オンリーのオリジナルなバンドだった。MUTE BEAT以前に日本にレゲエ・バンドがいなかったわけではないが、ほとんどは
ウェイラーズ指向の強いヒッピーの匂いのするバンドだった。その中でMUTE BEATは、パンク/ニュー・ウェーブからレゲエの魅力にはまっていったものが聴いてグッとくる初めての日本のバンドだったのだ。MUTE BEATが伝説のクラブ、ピテカントロプス・エレクトスを拠点に活動をはじめた頃は、残念ながら私自身は九州の片田舎の学生で、存在は知っていたものの実際にライヴを観ていたわけではない。当時の録音物を聴く限り、まだレゲエになりきってないというか、よりニュー・ウェーブの影響が強いし、ライヴ・ダブも、おとなしめだったようだ。この頃はダブと言っても楽器にテープ・エコーを演奏しながら直接かけるというやり方を取っていたらしい。その後、当時ピテカンのアシスタント・ミキサーだった
宮崎“DUB MASTER ]”泉がメンバーとして正式加入することにより、ライヴ・ダブ・バンドとしての独自色を完成させていくことになる。
85年にはTRAのスペシャルとしてカセット・アルバムを発表。私も84年に就職のため上京済みで、このカセットも毎日のように聴いていたし、ミュートのライヴにも出かけていくようになっていた。そしてライヴでのMUTE BEATは、想像を遥かに越え力強くタフだった。
小玉和文(現:こだま和文)が、いつもボクサーがリングにあがるつもりでステージに立っていたと回想するように、毎回完全燃焼のようなライブだった。またインストの曲だけでなく、
屋敷豪太がヴォーカルをとる曲も数曲演奏され、ラヴァーズ・ロックやスカ、ディージェイ・スタイルの曲などバラエティに富んでいたのもこの頃の特色の一つだろう。ただし屋敷豪太が
MELONと掛け持ちしていた都合なのか、カセット・リリース後もライヴの回数はそう多くはなかったと記憶している(代わりに
マイティ・ダイアモンズの来日公演に小玉和文&
増井朗人のミュート・ホーンズが参加し、第1回目のジャパン・スプラッシュで小玉さんがワッキーズ・リズム・フォースの一員として
マックス・ロメオのバックを務めるという嬉しい課外活動はあったが)。

翌86年にはOVERHEATより12インチ・シングル「コフィア」を発表。この曲はコンビニのCM曲としてテレビからも流れ、MUTE BEATの存在はよりオーバーグランドなものになっていった。オリジナル・メンバーであり小玉和文と並びバンドの中心メンバーだった屋敷豪太が渡英のため脱退するというアクシデントはあったものの、87年には、まず5月に12インチ・シングル3枚をまとめた最初のアルバム
『STILL ECHO』を、そして6月にはオリジナル・アルバムとなる
『FLOWER』を2ヶ月連続でリリース。翌88年にはバンドを代表するアルバムとなる
『LOVER’S ROCK』をリリースと順調に活動を続けていくことになる。余談だが『STILL ECHO』は88年にNYのレゲエ・レーベル、ワッキーズからも発売され、ヨーロッパの海賊放送局でパワー・プレイされているというニュースが我がことのように嬉しかったりもしていた。またライヴも活発に行い、87年には満員札止めとなったグラディ・アンダースンとの、そして渋谷クラブクアトロのオープニング公演としてスカタライツのサックス・プレイヤーだったローランド・アルフォンソとの3デイズ、88年にはルーツ・ラディックスと、ジャマイカのレジェンド的アーティスト達との共演ライヴを成功させている。特にローランドとのライヴは私がこれまで見てきたあらゆるライヴの中でもダントツの心のナンバー・ワンとなるライヴだった。このときのライヴは98年にローランドの追悼盤
『-Tribute To Roland Alphonso-R.ALPHONSO meets MUTE BEAT』としてリリースされているので、ぜひ聴いてみてほしい。あまりの幸福感から自然に涙が出てきたライヴなんて、後にも先にもあの時だけである。この頃と言えば、
じゃがたらや
トマトスとの〈東京ソイソース〉も忘れてはいけない幸福なイヴェントだ。

89年に入りキーボードが
朝本浩文から
エマーソン北村に代わり、デビュー時から不在だったギタリストが正式に加入と、大きな変わり目を迎えていた。
リー・ペリーと
キング・タビーもダブ・ミックスをしたダブ・アルバム
『MUTE BEAT DUB WISE』、新メンバーでのスタジオ・アルバム
『MARCH』、そしてライヴ・アルバム
『MUTE BEAT LIVE』と1年間に3枚ものアルバムをリリースし、初の北米ツアーにも出かけ、非常に活発かつバラエティに富んだ1年だった。90年を迎えるにあたりこれまでを決算し次のステップへ向かおうとしているのだと思っていた。しかし89年の暮れ突然バンドのリーダー小玉和文が脱退を表明する。それでもMUTE BEATは残ったメンバーで新しく生まれ変わる決意をし、新しいバンド・ロゴも雑誌『Riddim』で発表されていた。私自身期待と不安半々の気持ちで待っていたが、新生MUTE BEATは結局姿を現すことなく消えていったのだった。
じゃがたらとMUTE BEATという二つの大事なバンドが同時に消えてしまった90年以降、たまにクラブに遊びに行くことはあっても、熱心に日本のバンドのライヴに通うことは無くなっていた。けど私は気付いていなかったが、MUTE BEATは消えてしまったけれど、彼らが蒔いた種が確実に芽を出していたのだった。この芽は後に
DRY&HEAVYや
リトルテンポといったバンドとなり新たなレゲエ・シーンを作り出すことになるのだった。
文/島内夏彦

こだま和文(トランペット)
孤高のトランペット奏者にして日本レゲエ界のリヴィング・レジェンド。1982年、MUTE BEATを結成。作曲、演奏のみならず、バンドのアートワークも手掛ける。1989年のMUTE BEAT脱退後、しばしの沈黙期間を経て1992年にアルバム
『クワイエット・レゲエ』を発表しソロ活動を開始する。盟友・屋敷豪太とのユニット
KODAMA&GOTAを経て、99年以降は自身の活動をDUB STATIONと名付け、ターンテーブルをバックにしたサウンドシステム・スタイルでの演奏を行なっている。
増井朗人(トロンボーン)
MUTE BEAT活動休止後は、レピッシュをはじめ、さまざまなバンドやアーティストのライヴ/レコーディングをサポート。一時期はスカ・バンド、
KEMURIのメンバーとしても活動していた(2000年脱退)。アグレッシヴなライヴ・パフォーマンスに定評がある。現在も精力的にセッション活動を展開中。
(写真:捏造と贋作
『ポーラリティ・インテグレーション』)
朝本浩文(キーボード)
1986年よりMUTE BEATにキーボード奏者として参加。同時にセッション・ミュージシャンとして
THE MODSや
THE ROOSTERS等にも関わる。91年のMUTE BEAT脱退後はユニット
RAM JAM WORLDを結成し、クラブ・シーンを中心に活動を展開。また
UAをはじめ、さまざまなアーティストの作品を手掛けるなどプロデューサーとしても活躍する。
(写真:
『ウタトオト』)
松永孝義(ベース)
MUTE BEAT活動休止後は、
ヤン富田、
小泉今日子、
中島美嘉、UA、
畠山美由紀など、さまざまなアーティストの作品やライヴに参加。独自の存在感を放つ演奏で、セッション・ベーシストとして不動の地位を築く。2004年には46歳にして初のソロ・アルバム
『THE MAIN MAN』を発表し、各方面から絶賛の声を集める。
宮崎“DUB MASTER ]”泉(ダブ・ミックス)
日本を代表するダブ・エンジニア。MUTE BEAT活動休止後、有限会社DMX INTERNATIONALを設立し、エンジニア、クラブDJとして精力的に活動を展開。99年にエイベックスと日本で初めてリミキサーとして契約。
浜崎あゆみ、
安室奈美恵、
ブルーハーツ、UA、
藤原ヒロシなど、ジャンルの枠を超えた幅広いアーティストのリミックスを手掛けている。
(写真:
『ダブズ・ミュージック・ボックス』)
屋敷豪太(ドラムス)
MUTE BEATでの活動を経て、1986年、
MELONに正式加入。1987年に
中西俊夫、藤原ヒロシらとダンスミュージック・レーベル〈メジャー・フォース〉を設立。88年の渡英後、91年には
シンプリー・レッドに正式加入。アルバム
『Stars』のレコーディングと2年間にも及ぶワールドツアーに参加。現在は活動の拠点を日本に移し、新人アーティストのプロデュースから堂本ブラザーズ・バンドのドラマーまで多岐に及ぶ活動を繰り広げている。
(構成/編集部)

Riddim 25th Annivarsary
MUTE BEAT
ONE NIGHT LIVE
2008.4.2 WED @LIQUIDROOM
19:00 DOOR OPEN / 21:00 LIVE START
※チケット、ソールドアウトにつき当日券の販売はございません。出演:
MUTE BEAT
こだま和文 (Trumpet)
増井朗人 (Trombone)
朝本浩文 (Keyboards)
松永孝義 (Bass)
宮崎“DUB MASTER X”泉 (DUB Mix)
屋敷豪太 (Drums)
DJ KRUSH
MURO
DOUBLE-H (Jammers Record)
http://www.overheat.com/mutebeat/
(C)ONGAKUSHUPPANSHA Co.,Ltd.