日本を代表するジャズ・ヴァイオリニスト、
寺井尚子 がデビュー30周年とCDデビュー20周年を記念し、アルバム『
The STANDARD U 』と『
寺井尚子ベスト 』を同時リリースした。2作品の話題を皮切りに、前だけを見つめ音楽をやり続けてきた想いも熱く語ってくれた約1時間。今を生きる音楽家の発言はじつにニュートラルで説得力に満ちあふれていた。
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「2017年はジャズというネーミングで録音がスタートしてからちょうど100年という節目の年でしたので、初のジャズ・スタンダード・ソングブックを作りました。今年は私のダブル・アニバーサリー・イヤーという節目ですし、だったら今度はジャンルを超えた“音楽”のスタンダード・ソングブックを作ろうと思いついたんですよ。ですから、ジャズのスタンダード曲以外に有名なポップスのカヴァー曲も織り交ぜて収録しています」
――プロデュースは寺井さん、そしてピアニストの
北島直樹 さんとおふたりで手掛けたとか。
「2008年頃から“いつかふたりで”と思っていましたが、こういうことは無理にお願いするものではないですし、機が熟すのを待っていたんです。それが今でした。当然、話し合いながら進めていきましたが、たとえるなら、彼が書いた脚本を私が演出するといった感じでしょうか。北島さんがアレンジした曲にジャズの感性やこのバンドでやる意味、今収録する理由などを私なりに肉づけしていく。つまり、役割分担がはっきりしている関係ですね」
「ええ。でも、ポップスは曲のパワーが強烈なので形にするのが難しかったです。原曲のイメージを壊さずに私たちのスピリッツを投入しながら分厚く“ジャズる”にはどうすればいいか、しかも、自分たちが演奏して楽しめなければいけないですし」
――アルバム冒頭の「シャレード」を聴いた瞬間に“寺井尚子劇場が始まった!”と感じましたよ。
「そう言っていただけてとても嬉しいです! オリジナルとは違い、情熱の〈シャレード〉という感じですよね(笑)。最初に演奏した時から自然とこのようなアプローチになりました」
「あれだけで持っていかれるでしょ(笑)。これぞまさに北島マジックです!」
――そこからノスタルジックな展開となり、新たな「デイドリーム・ビリーバー」を見つけた気がして。
「うふふ。人生を物語っているようなドラマにしたかったんですよ。イントロはすでに決まっていたので、そこから私がテンポを決め、この部分はトリオにしようなどと世界を広げていきました」
――今回もリハーサルには時間をかけたのですか?
「入念に行ないましたよ。ただ、60時間ぐらいですから通常よりは少ないですね。レコーディングは2日間でしたが、初日に全14曲中9曲を録り終えてしまったので、奇跡のレコーディングと言っていいかもしれません。こんなにもスムーズに録音できたのは各メンバーが自分の役割をすぐに見つけ、つねにテンションを保ちつつ演奏してくれたからです。そうそう、レコーディング後にツアーがスタートしたんですが、日々すごいコトになっています。パーカッションの
matzz(松岡“matzz”高廣) なんて“尚子さん、自分がヤバイっす!”って興奮していましたから(笑)。お客さんがエキサイトしてくれているのを目の当たりにして、メンバー全員、自信や確信が増しているみたいです。あと、音楽で表現できることの喜びをものすごく感じているようですね」
――メンバーのテンションが寺井さんにも刺激を与えているんでしょうね。
「寺井尚子+伴奏者ではありませんから。音を出したら皆、対等ですし、誰が欠けてもダメ。一人ひとりの存在があってこその演奏ですし、それをみんなが心底解っているからこのアルバムが生まれたんだと実感しています」
「この作品は2002年に“Sometin'Else”レーベルに移籍してから初となるベスト盤です。今年は私にとってアニバーサリー・イヤーですので形にしました。絞り込んだ16曲を聴いていただけば、これまでやってきたことが一目瞭然でわかりますし、おなじみの曲ばかりが入っているので“寺井尚子ミュージック”の入り口としてもお勧めできます」
――全曲、オリジナル・マスターをリマスターしたんですよね。
「毎回、エンジニアさんがその時どきの最高の音を録ってくださっていますが、今回、さらに良い音に仕上げてくれました。思えば2002年の頃とは機材も違いますし、レコーディング方法も変化しています。そんな録音年の違うトラックを並べても違和感なく美しくまとまったのはエンジニアさんの熱意があったからです。過去のアルバムをお持ちの方にも是非、生れ変わった私のヒストリーを聴いてほしいですね」
――『
寺井尚子ベスト 』はエンジニアさんから寺井さんへのプレゼントかもしれませんね。
「本当にそう思います! そこまでしなくても、というぐらい時間をかけてくれましたから。長年、良い音を求めてくださった彼の歴史でもあります」
――それにしても、寺井さんのプレイはどの時期も迷いがないと思いました。
「たぶん、欲がないからでしょうね。たとえば演奏中にもっとうまく弾きたいと思ったら音に迷いが出るはずです。でも、できることしかできないとわかっているから、いつもありのままでヨシとしているんですよ。もちろん、反省することはありますが、それは次にクリアすればいいですし」
――それで30年。
「そうやって続けていたら30年経ってしまいました。でもね、こうやって音楽を続けられているのはライヴ会場に来てくださるお客様のエネルギーがあったからです。この想いは30周年を迎えて、より一層強くなりました。というより、本当にありがたいことだと本気で気がついたんです。それともうひとつ、今の私があるのは間違いなく素晴らしいミュージシャンとの出逢いがあったからです。彼らが私の背中を押してくれたので、今もこうして演奏することができる。本当にご縁に感謝しています」
――すべては人ですね。
「まさに! ほら、“音楽で救われた”と言ったりするじゃないですか。でも、じつは人に救われているんですよね。人の奏でる音楽で救われた。生き様が音楽に現れて聴き手に響くわけですし、だからこそどう生きるかが重要になってくると思います」
――ところで、長年音楽活動を続けている寺井さんは今の音楽シーンをどのように捉えていますか?
「コンピュータが普及しだしてから、それまで想像もしていなかったことがどんどん現実化していますよね。スピード感も変わったし、人間も変わりました。それは良い悪いではなく、時代の進化ですから受け入れるべきだと思っています。だって、今を生きているんですから。ただ、よっぽどの事がない限り、これからもCD制作は続けたいですね。それは私がレコードやCDで育ったということもありますし、CDを手にした時の喜びが忘れられないからです。そして、アルバムには私なりのストーリーを込めていますので、是非、全曲通して聴いてほしい。そして、それが誰かの宝物になってもらえたらという想いもあります。この気持ちはこれから先もずっと変わらないでしょうね」
取材・文/菅野 聖(2018年4月)
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