先日、学生時代の旧友たちと呑みにいきました。店に入るなり、すでに泥酔寸前のメンドクサイ酔い方をした先客1名(知らない人)。大きな声でいかに自分にカノジョができないかを語っています。隣の女の子が迷惑そう。。。
でもよくよく聞いていると、そのめんどくささ、どうも、なんだか、身近なかんじ。なんか、分かっちゃいました。なんで私にカレシができないのか(笑)
その先客の言動、思考の方向性、ルックスの中途半端さetc、どうも自分にソックリなんです。聴いてるうちに自分のダメなとこが全部分かっちゃったので、なんだかもう酔うに酔えない。。。
そして1つの考えに到達しました。“ドッペルゲンガーに会うと死ぬ”ってよく言いますけど、これってこうゆうことなのではないかと。ただの怖い話、おばけのようなものだと思ってたドッペルゲンガーってもっと身近なもので、つまり人間は、自分を正視することに耐えられないってことを言ってるのではないかと。
どこかで自分のダメな部分、弱い部分、そういうものに目をつぶって、目をそらして生きている、人間ってそうゆうものなんじゃないかしらと。
まぁ、うぃきぺでぃあによると、「ドッペルゲンガーの人物は周囲の人間と会話をしない。」そうなので、あの酔っ払いはドッペルゲンガーって言ってはいけないようですが。
写真は、うぃきのドッペルゲンガーの項目にも載ってる(笑)いとしの狂人
デヴィッド・リンチ様による奇譚
『マルホランド・ドライヴ』。