安藤裕子   2010/09/17掲載
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 80年代の日本のポップスから2000年代の音響系まで、ジャンルを超えたエッセンスを感じさせるサウンドメイク、そして、美しい憂いを帯びたソングライティングと祈りにも似た手触りを持つヴォーカル。多面的で奥深い魅力をたたえた安藤裕子の音楽は基本的に、ディレクターの安藤雄司氏、ほとんどの楽曲でアレンジを手がける山本隆二氏を加えた“3ピース”で制作されている。安藤雄司氏と安藤裕子が初めて出会ったのは、2002年の夏。彼女がミニ・アルバム『サリー』でメジャー・デビューを果たす、ちょうど1年前のことである。


 「私はちょうどそのとき、4年くらい一緒に活動していた男の子が“俺、やめる!”っていなくなっちゃって、どうしていいか途方に暮れてたんですよね。バイトしてましたからね、友達がやってる洋服のデザイン事務所で。そんなとき、うちの社長(YSコーポレーション 山中聡氏)から“面白いディレクターがいるから、会ってみてよ”って言われて」 (安藤裕子)


 「僕が最初に彼女の音を聴いたのは<隣人に光が差すとき>のデモ。このときの印象はいまの彼女の活動にも繋がってるんですけど、コード進行がいいとか詩がいいってことではなくて、“すごいな、これ”っていうわけのわからない衝撃があったんです。ただ、アレンジは僕の好みではなかったし、実際、ほかの曲はピンと来なくて。そこで思いついたのが、もっさん(山本隆二氏)だったんです。もっさんとはDIXIE TANTAS(山本氏がキーボーディストとして参加していたニューオリンズ系バンド)を僕が担当していたり、当時担当させてもらってたRUDE BONESでもアレンジを依頼したりというつながりがあって、“こういう曲をやりたい”という漠然としたイメージをちゃんと具現化してくれる人だなって思っていたんです。僕としても“次はぜひ、女性シンガーとポップスをやりたい”と思っていたので、もっさんに声をかけたんですよね」 (安藤雄司氏)


 「隣人に光が差すとき」は、デビュー以前のデモ音源が堤幸彦監督の映画『2LDK』(2003年公開)のエンディング・テーマに起用されている(安藤裕子は堤氏が監督したドラマ『池袋ウェストゲートパーク』<2002年>に出演している)。その時の状況を堤氏はこう語る。


 「最初に私が聴かせてもらったのが<隣人に光が差すとき>だったんです。それ以外にも何曲かあったんですけど、<隣人〜>があまりにすごくて……。もう、なんて言うんだろう、これはほんとほっとけないって思ったのも正直なところで。たまたまその時に撮っていた映画(『2LDK』)があったんですけど、その音源をそのまま貼付けさせてもらいました。そこから、すごいアーティストを見つけたという感じで、知り合いのプロデューサーを通じて、事務所の社長さんに会ってもらったりして。彼女は時流に乗ってないすごい人だと思うんですよ。それから、この人でしか表現できないものを持ってらっしゃる人だなって」 (堤 幸彦氏)


 安藤氏、山本氏、安藤裕子の3人によるプリプロダクション。それはまず、お互いに好きなCDを持ち寄るところからスタートした。


 「“好きなCDを10枚持ってきて”って言われたんですけど、私はぜんぜん音楽を聴かないので“10枚もねえよ!”って思って(笑)。確かそのときは、金延幸子(『み空』)を持っていったのかな。アンディ(安藤氏)は“レベッカ・トーンクウィスト(スウェーデンの女性シンガー)”とかを持ってきたんですけど、そのCDを聴いたときも“こういう素養は、私のなかに100%ない”って思ったし。でも、とりあえず(レベッカ・トーンクウィストの曲)歌詞を見ながら歌ってみて、それをアンディに聴いてもらったんですよね。それまでは私は、差し伸べられた手を“シャッ!”って弾くことばかりをやってきて、最後はみんないなくなっちゃったんです。だから、そのときは“もし歌うことをやっていきたいんだったら、自分から歩み寄らなくちゃいけないんだな”って思っていて。何の傷も背負ってないときだったら、“エイベックスには行かないし”って言ってたかもしれない、図々しくもね」 (安藤裕子)


 「レベッカ・トーンクウィストの曲を自分なりに歌ってくれたことが、すごい好印象だったんですよ。ちゃんとやる人っていうか、すごいマジメなんだなって。そこからすぐ、プリプロが始まるんですよね」 (安藤氏)


 3人によるプリプロのなかで最初に生まれたのは、「リズム」と「空の神様」(未発表曲)。じつはこのとき、安藤裕子は“無理かも”と感じていたとか。


 「もっさんもまだ打ち込みの作業に慣れてなかったし、私もうまく自分を表現できてないって思って。でも、アンディが“やっていけると思うんです”って言ってくれて」 (安藤裕子)


 「俺は嬉しかったんですよね。バンドのディレクターをやってたときに比べると、自分のアイディアをどんどん試せるし、もっさんも自分がやりたいことを提示してくれて。最初はやっぱり“(曲が)完成しないんじゃないか”って心配してたんだけど、ちゃんと出来上がったし。あまりに嬉しくて、毎日この2曲ばっかり聴いてましたから(笑)」 (安藤氏)


 3人のコラボレーションは、安藤裕子の音楽性を大きく広げていくことになる。たとえば初期の名曲「雨月」(2ndミニ・アルバム『and do,record.』収録)は、安藤氏のこんなアイディアから生まれたのだという。


 「MUSEニーナ・シモンの曲(「feeling good」)をカヴァーしたことがあるですけど、“ああいう雰囲気で1曲、作ってみない”って」 (安藤氏)


 「そういう依頼を受けて曲を作るのは初めてだったんですけどね。その曲を聴いてるうちに、“ニーナ・シモンは私のなかで、研ナオコだな”って思って(笑)、そこから出来たのが<雨月>なんですよね。最初は“これは暗すぎるだろ”って言われたんだけど、アレンジしてみるとすごくいい曲になって。そういう作業は面白かったですね。それまでは“私がやってることがわかる/わからない”ってところだけで人を判断してたんだけど、誰かと一緒にワクワク感を共有するっていうのが新鮮で」 (安藤裕子)


 お互いがやりたいことをぶつけあう、初期衝動のようなプリプロ作業のなかで、安藤裕子のアーティスト性を深めていった3人。その最初の成果はおそらく、「ドラマチックレコード」という曲だったのではないか。この曲で彼女は、“人の曲に歌詞をつける”というプロセスを初めて経験する(「ドラマチックレコード」の作曲者は、宮川弾)。そしてこの曲がメディアのなかで広がっていくことによって、彼女のアーティスト・イメージも浸透していくことになる。


 「<ドラマチックレコード>の歌詞を書いているときに“あれ、私って、こんなに女らしい言葉を使ったことあったかな? モテそう(笑)”みたいな発見もあって。それはきっと、(宮川)弾君が持ってるものなんですよね。きっと私のなかにもあるんだろうけど、曲によって引き出されたというか。“こういう作り方も面白いな”って思いました」 (安藤裕子)



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