――本作は出所のシーンで始まる「Finally Got Out」から「Rize Again」へと流れ込む感じ、冒頭からシビれる作品になっていますね!
B.I.G. JOE(以下、同) 「そこはガシッとくるような感じにしたかったんですよね。あと映画っぽい始まりにしたいなと思って。『ブルース・ブラザーズ』も出所のシーンから始まるじゃないですか。仲間がこう、外で待っていて」
――実際オーストラリアの刑務所から出所する際にも、イントロのようなやりとりがあったのですか?
「そうですね。普通に興奮してる自分と、それを押し殺して何気なく部屋にあるテレビを観ている自分がいて。向こうから鍵を開ける音が聞こえてきて、“Nakata, time to go!”って言われて。オッ、みたいな(笑)。結構普通でしたよ(笑)」
――出てきた瞬間、いかがでしたか。
「喜びでいっぱいでしたね」
――獄中で制作された前2作がネガティヴだった、というわけではないのですが、本作はポジティヴなヴァイブスで溢れていると感じました。楽曲にもその喜びが反映されているのでしょうか。
「そうですね、そうしないと意味がないと思ったので。僕自身がとてもポジティヴなので、そういう曲ができるのは必然かなとは思っていたんですけどね。僕の中にある……言葉にすると難しいんですけど、ポジティヴなことを歌っていてもちょっと哀愁があったりだとか、そういう一貫した僕のカラーも入っているし」
――ブルージーですよね。「She Just...」のようにダークな部分も内包しています。
「<She Just...>は女の子の悲しい人生を歌ってるんですけど、それもそんなに暗いものではなかったり」
――喜哀ひっくるめてのJoeさんということですね。
「そうです」

――ここのところのJoeさんについて、“6年間のブランクにもかかわらず”という言葉で語られることが多いと思うのですが、この作品を聴いていると、ブランクそのものの存在すらなかったように感じます。ご自身ではブランクというものを感じていますか?
「感じたくない自分はいますけどね。肉体的に現場にいなかったわけだから、そういう意味ではブランクですけど。刑務所に入ることが決まったときから初めの1、2年は、まだ判決も出てなかったですし、これからどうなるか分からないから、本当に大変でしたけど……その頃はブランクかもしれません。
でもジェイルには電話があって、それを使ってラップを録ることができるとか、ギターを教えてくれる人が中にいたので、アコースティック・ギターをプレイしながらラップすることに目覚めたりだとか。そういう風に考えが変わって。途中から音楽に没頭できるようになってきたんです。そこからは曲を書いたり、歌ったり、やっぱり音楽やってましたね。まあ部屋の中でですけど。人にそれを聞かせたり。それも日本語ですけど(笑)。みんな言葉は分からないけど、感じるものはあるみたいで。でも、これが日本だったらなあ……という歯痒さがあって。だからこそ、なんとかしてテープを送って伝えることにしたんですね。
あとは、MJPが日本で、僕なしで活動していたので、自分がMCとして、ステージに立つ身として、帰ったときに何か役に立つことがないかっていう風に考えて。例えば英語が喋れれば、レーベル(Ill Dance Music.)をやってるんで、海外とのコンタクトに役立つだろう、ということで毎日英語を覚えるようになったり。ステージに上がったときに大きく見えたほうが迫力があるから、体を鍛えたり。そういう風に中でできることをポジティヴに考えて。
そういう活動を、僕は1人で、オーストラリアの刑務所でやってたんです。修行の期間だったというか。だからブランクに見えないんじゃないですかね。6年間僕がまるっきり何もできなかったらそれはブランクになるかもしれないですけど。テレビがあったり、ラジオが聴けたりしたんで、人気がある音楽とか、常にそういう情報はアップデートしてたし、世の中がどうなってるのかは仲間と電話で話して仕入れて。今ダウンロードの世界なの?とか(笑)」
――そこで培ったものが今すべて解き放たれたと。
「そうですね。中でそうしていたからこそ、外に出て眩暈とかは感じなかったんじゃないかな。確かに外はジェイルの中よりもカラフルで、いろんな音が鳴っているし、いろんな匂いがあるし、そういう面では新鮮でしたけどね。そういうところは今でもたまに、ありがたく噛み締めています」
――日本にお戻りになってから、何度かライヴを拝見したのですが、Joeさん自身から発するオーラはもちろん、日本で待っていた皆の熱気も印象的でした。そうやって皆に迎えてもらう気持ちはどうですか?
「たいへん嬉しいです。中でもそういう(帰ってきてほしいという)気持ちを聞かせてもらってたんで。ホームページ宛に来るメールを、月に1回くらいプリントアウトして送ってもらって読ませていただいて。待ってるよ!とか、頑張って!とか、負けるな!とか、そういう言葉をいただいてたんで、待ってくれている人たちのためにも、すぐにでも復活したいと思っていました」
――アルバムの制作は日本に帰ってきてから始められたのですか?
「そうですね。リリックは帰る半年くらい前の間に向こうで書いたものもあります。<Dream On><Like A Stealy Nife><Till The Day I die><War Is Over...>なんかはジェイルの中で書きました。それ以外は日本に帰ってきてからですね」
――制作はどのように進められたのでしょう。
「帰ってきてから1ヵ月間くらい、沖縄に行ったり、東京に行って
『Come Clean』で手伝ってくれたプロデューサーたちに挨拶させてもらったり、のんびり過ごしてたんです。でも、中にいるときから4月から5月の1ヵ月間、スタジオを押さえてたんですよ。僕が絶対的な信頼を置いている、北海道の江別にあるSmash Studioってところなんですけど。中から電話して、今どんな機材を使っているのかリストアップしてもらって、予約を取って。4月からはそこに泊まって、譲っていうエンジニアと生活を共にして。朝起きて、軽くトレーニングをして、深呼吸をしてから作業に入るって感じで。それが1ヵ月間毎日続いて、その間にほとんどはできましたね。できることはそこで集中してやって、あとはゆっくり録ったものを聴きながら、足したり引いたり。フィーチャリングの人たちに聴かせて反応を見たり。ミックス、マスタリング、曲順とか細かい作業もあって、やっぱりアルバム1枚作るとなると最低でも1年くらいかかっちゃうな。その間にも
MIX CDや
『Lost Dope』の再発もあったし、ライヴもやってたし」
――でも先が見えている感じで、行動が早いですね。
「常に……3年とは言わないけど、まあ1、2年くらい先は頭ん中にあって。たぶん中でそういう癖が付いちゃったんじゃないですかね。先を見るじゃないですか。出所の日とか。中でも『Come Clean』や『Universal Truth』を作ることができたんで、じゃあその先は、じゃあその後はって感じで、マスターマインド的に、先のことを考えながらっていう姿勢になってきましたね」
――今回、タフなトラックが多い中、意外な直球ラブ・ソング「Electric Lovers」や、MICHITAさんの穏やかなカラーが出た「War Is Over...」などが良いアクセントになっていると思いました。トラックはアルバムを作ると決めてからオファーしたんですか?
「そうですね。BUNくんとMICHITAくんは帰ってからすぐに大量にトラックを送ってきてくれて。MICHITAくんなんて、すぐに会いに来てくれたんです(笑)。そのときに、1枚15曲くらい入ってるCD-Rを3枚もらって、これだ!って曲をすぐレコーディングしたんですけど、ラフミックスをMICHITAくんに送り返して聴かせたら、“だめだよ〜、これもう出てるよ〜”って言われたんですよ(笑)。Libyusから出てる彼のインスト・アルバム
『One』に入ってる<Footsteps>って曲で。僕知らずにそれでレコーディングしちゃって。しかも、『One』のあとに出た歌入りアルバム
『Two』で誰か歌ってるんすよ。すごく気に入ってたから、どうしよう……と思って(笑)。そしたらMICHITAくんがすぐにLibyusに電話して、B.I.G. JOEがこれで歌いたがってるんだけど、なんとかならないかって(笑)。それで広がるなら、どうぞ使ってくださいっていう、Libyusの懐深い判断で。レゲエでも“One Way”って、同じトラックでアレンジ変えて歌うことあるじゃないですか。たぶんそういうノリも理解していらっしゃると思うんですけど。それで僕もぜひやらせてくださいってお願いして、実現したんです」
――hondaさんやSKY BEATZさんは日本にいらっしゃいませんが、どのように出会われたのでしょう。
「SKY BEATZはNYに住んでるんですけど、MySpaceで知り合って。チェックさせてもらったら、
般若とか、
SEEDAとか、日本のアーティストともやっていて。まずトラックがすごくイカしてたし、こういう要素も俺には必要なのかなって思って。僕の1st、2ndっていうのはプロデューサーの
DOGG色が強かったと思うんです。
GANG STARRの
Premierと
Guruみたいに、その色でずっといくのもアリなんだろうけど、もうちょっと幅広い音のエッセンスを詰め込みたかったので、それにぴったりきたSKY BEATZにオファーしました。彼も俺のこと知っていて、大量にデモを送ってくれて。その中から2曲。またこれからもSKYとはやっていこうと思っています。
hondaさんは今、北海道に住んでいらっしゃるんですよ。アルバム
『IV』のプロモーションで一度帰ってこられたんですけど、そのとき僕札幌にいて。“Real Deal”(
http://www.realdealjapan.com/)っていうhondaさんのオフィシャル・ショップが札幌にあって、僕はそこによく行くんですけど、経営しているhondaさんの弟さんに、hondaさんとの対談をお願いされて。hondaさんは以前にも会ったことはあったんですけど、そのときのhondaさんは雲の上の人のような存在で。僕がペーペーだっただけのことなんですけど(笑)。今回は、面と向かってお話するということが気兼ねなくできて。それで意気投合したんですよ。何だろうな、海外の匂いが、合ったんですよ。まあ僕はhondaさんと違ってジェイルですけど(笑)。それですぐに酒盛りが始まって、僕も調子に乗ってフリースタイルやったり(笑)。そしたらすぐに何かやろうぜみたいな話になって、たくさんの曲を聴かせてくれて。曲を流しながら、ピンときたものを聴くと僕の口癖で“おっ、ヤベ!”とか出ちゃうんですけど、そうすると僕用にすぐ取っておいてくれて。その中の2曲でできたって感じです」
――hondaさんも北海道出身ということで、北海道の方ならではの思い入れみたいなものはあるんでしょうか。
「あるんじゃないすか。それは」
――hondaさんが
『I』を出した頃って、どんな感じで見てました?
「なんかもう、失礼かもしれないですけど、日本人のトラックに聴こえなかったというか。音圧とか。
Fat Joe、
Mos Defだとか、
BEATNUTSの人たちだとか、それこそErick Sermon(EPMD)と一緒にやったり。僕にとっては、すごいところで闘ってる人なんだなって。ヒップホップ好きな黒人と話すると、みんな“dj honda”を知ってるんですよね。そのくらい本当の実力。hondaさんの一貫したハードっていうのはずっと昔から変わらなくて。売るために変わったりしない。本物だと思いますよ。
しかも同じ北海道出身ということで。今、配信オンリーで“Northside Connection”っていう、hondaさんと僕が指揮を執って、北海道のMCたちを入れて曲を作るプロジェクトもやっていて。hondaさんはプロモーションの後NYにまた戻ったんですけど、やっぱり北海道のほうがいいっておっしゃって帰ってきてくれたんです。hondaさんみたいな人が僕らの所に帰ってきてくれて嬉しいっすよ」
――それだけシーンの状況が変わったっていうことですよね。
「そうですね。僕らMJPもいるし、
CHOCOLATE FACTORYもいるし。でまた、僕の友達もみんな豪快さだとか、優しさとかっていう人間性でhondaさんのこと好きになって。今までは遠くにいらっしゃったから、音だけだったし、近づけない感じの人だと思ってたんですけど、実はそんなことなくて、アーティストとして、良いもん作ればいいじゃんっていうノリの人なんで。すごくやりやすかったですね」
――そこはJoeさんのお人柄が繋いだって感じしますね。
「まあ(笑)、そう言っていただけると、僕は幸せですね(笑)」
――本作もリリースしているご自身のレーベル“TRIUMPH”について教えてください。
「これもまたジェイルの中にいるときからずっとあった構想で。僕らMJPはIll Dance Music.っていうレーベルをやっているんですけど、ダンス・ミュージックっていう色が結構強くて。TRIUMPHでは、ダンス・ミュージックかどうかはあまり関係なく、良いものをフックアップしていきたいと考えているんです。それがロックになろうが、レゲエになろうが、関係ない感じにしたかったんですよね。それを僕がやることによって、北海道にはもちろん、全国にいる、才能があるのに仕事にあぶれているような人たちをプロデュースしたり。賛同していただける、やる気のある人を募集したり、“Big Boy Toyz”(
http://www.bigboytoyz.jp/)っていうネットショップでグッズを売ってたり。そんな感じでやってます」
――実際ロックの作品をリリースしたりって予定はあるんですか?
「ロックでも、ブルーズでも、良いものがあればなんでも出していきたいですね。自分にできることがあれば」
――ロックと言えば、日本に帰ってきたJoeさんが初めて公に姿を現したのって、Koさん(
SLANG / vo)との対談動画だったと思うのですが、Koさんとはどんな間柄なのですか?
「Koちゃんは、昔からの僕らのリーダー。Koちゃんはハードコアの人ですけど、音楽に対しては幅広い耳を持っていて、僕らみたいなヒップホップでもガンガン聴いてくれる、とにかく懐の深いリーダーなんです。こないだも電話して“アルバム出るんだよ”って言ったら、アルバムとMIX CDの違いとかはあんまり分かってないみたいで(笑)、“こないだ出たじゃん”みたいな(笑)。そこはKoちゃんらしくて良いんですけど(笑)、“<War Is Over>がいいね!”って誉めてくれたり。頼りになるというか。俺もサポートしたいし、北を、札幌の音楽シーンを代表していると思ってるんで。SLANGっていうのは誇れる存在ですね。
“帰ってきたよ”っていうあの対談は、Koちゃんでしか考えられなかったんですよね。ジェイルにいる間にも、いろいろ送ってきてくれて。本とか。……まあ、モヒカンの人がいっぱい載ってるようなパンクの本なんですけど(笑)。あとブ厚い月の本とか。でも中にいるときって、何でも隅から隅まで読んじゃうんですよ。Koちゃんはジェイルにいると何が必要か、ってことを知ってるんですよね。本は君にとって教養になるし、何かになるだろうということで送ってくれて。そういう豊かな人なんですよ。MJPもKoちゃんにお世話になってますからね」
――Joeさん自身はハードコアのバンドをやってみたいって思ったりはしませんよね?
「ハードコアですか? そんなことないですよ、ぜひやりたいですね。パンク的なアティテュードっていうものは僕すでに持ってると思うんで。Koちゃんのバンドだとちょっと気が引けちゃいますけど(笑)。やってみたいですね。めちゃめちゃシャウトしますよ(笑)」
――マジですか!? それは期待してしまいますね!BAKUさんのPVではアコースティック・ギターを弾いている姿が印象的だったのですが、今回のアルバムではギターはプレイしていないのですか?
「<World Is Ours>で弾いてますよ。あと、初回盤だけボーナス・ディスクが付くんですけど、それは僕のギター1本で歌ったものが入ってます。アルバム本体は基本的にビートがあるヒップホップをメインにしたかったんで、オルタナティヴというか、そういう実験的なものとか、何かのカヴァーとか(笑)は、そちらの初回ボーナス特典で楽しんでいただければなあと」
――このアルバム、どんな方に聴いていただきたいですか。
「もちろん、日本語ラップを聴いている人全員には聴いてほしいんですけど、ポップスなんかを聴いている人にも聴いてもらいたいです。あと、ちょっとだけなんですけど、30代、40代まで、大人の人に聴いてもらいたいなっていう気持ちがありますね」
――なんでまた?
「その世代の人たちって、本当にヒップホップを知ってるんじゃないかな?って思うんですよね。それに、ヒップホップ=子供の音楽って思われたくないし。大人の人も感じることができるというか。今回参加してくれている人は年上が多いんですよ。SEIJIくんもMICHITAくんも、TWIGYさんも年上だし、hondaさんも。年上ヴァイブスが出てるというか(笑)。なんだそれ(笑)。あと、大人の人ってお金持ってらっしゃいますし(笑)。若い人ってやっぱお金ないから、買うときは渾身の一撃みたいな感じで買うじゃないですか(笑)。大人の人だったら、サラッと、聴いてくれるんじゃないかなっていう(笑)」
――そういう狙いが(笑)。
「いやっ、別に狙ってるわけじゃないんですけど(笑)。アルバム聴いてたらそんな気がして。僕も34歳でそんなに若くもないから、歌ってることもやっぱり大人のことが多いんで」
――最後に、今後の予定を教えてください!
「今年はMJPのアルバムを出したいなと思っています。冬前くらいにはお届けしたいかなと。今制作中です。久しぶりにみんなで作る感じなのですごく楽しくて。前も楽しかったんですけど、みんなまたレベルが上がってて。それぞれソロも出したりしてますからね、
LARGE IRONもINIも。個々がキャラクタライズされてきたというか。
KENもDOGGもいるし、HALT.もおもしろいし、そういうのが集まってやってるんで、必ずヤバいものになると思います。あと、もうすぐ僕とDJ SEIJIの2人でツアーに廻ります。全国津々浦々行きますので、よろしくお願いします!」
取材・文/久保田千史(2010年2月)