“再生”の思いを込めたアルバムを携え、韓国そして世界へ〜金 佑龍(キムウリョン)インタビュー

金佑龍   2014/01/09掲載
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 2011年に解散したcutman-boocheのフロントマン・金 佑龍(キムウリョン)が、2013年6月に自主レーベルから発表した1stソロ・アルバム『Live in Living』を携え、12月に韓国ソウルにて2日間のライヴを行なった。大阪出身の在日韓国人である彼が「自分のルーツを探す音旅」と意気込んだ、初めての韓国ライヴの手ごたえは。
――今回の韓国ライヴのきっかけを教えてください。
 「2年半前、僕が東京に住み出したくらいに、bonobosのドラムの辻(凡人)君に、空中キャンプ(注1)のスタッフが東京に来ているから飲みに来ないかと誘われて。そのとき、そのインジョさんって子から“ぜひ来てください”と言われたのが頭に残っていたんです。それが急に加速していったのが、ここ2ヵ月。ライヴのコーディネートや手伝いをしてくれるジュリちゃんが、“韓国に行こう”と言ってくれて、ライヴも組んでくれて」
注1: 空中キャンプ/ソウル市麻浦区にあるバー / ライヴハウス。フィッシュマンズを愛する韓国人スタッフが集まり共同運営している空間で、これまでにも彼らのラブコールによりポラリス、bonobos、ハナレグミといったミュージシャンがここでライブをしている。
――空中キャンプが前から気になってたんですね。
 「そうですね、おおはた(雄一)さんがやってたりとか。あと、なんで韓国でやりたかったかというのは、子供のころちょっと住んでたのに、今の韓国を知らないということです。自分の目で見て、言えることがあるんじゃないかと。韓国語わからへんけど、自分の音楽を聴いてもらえへんかなという気持ちもあったし、あと バンドやってた時は、いろんな人に支えてもらって、何をやるにもチェックがあったんですが、今はそれがないので、思ったことをすぐやろうという考えです。今回は韓国ですが、違う国でも行こうと思ったら行けるんじゃないかと思っています」
雨乃日珈琲店でのライヴ
――初日は空中キャンプ、2日目は雨乃日珈琲店でライヴをされていますが、韓国で演奏した印象や手ごたえは?
 「お客さんが正直、ていうかストレートで、日本とは全然違いますね。聴いているときは静かなんだけど、僕が演奏しながら“わー!”って外出たら(2日目のライヴにて)、日本だったら中から“外出たわー”って見てるだけじゃないですか。でもみんな出てくるんですよ。それで僕が向かいのライヴハウス前でたむろしてた子に“わー!”っとやったら、向こうも“うぉー!”って反応してくれて。楽しいと思ったら乗っかっていける感じなんだなと思いました。生涯初ですね、会場から出たのは」
――そうですか? 慣れたようでしたけど。
 「“会場、誰もおらへんのやな、お金盗まれますよ”って戻ったんですが、すげえ面白かったです。とにかく反応が早いです」
――1日目で対バンしたキムモギン(注2)さんやBig Baby Driver(注3)さんはどうでしたか?
 「さっき言った“韓国はストレートやな”とは違うイメージがあって、すっごく丁寧ですよね。一曲一曲乗っけていく演奏の仕方が。俺はCDとライヴが全然違くてアドリブ入れまくったりするんだけど、それとは対極な、歌を聴かせるにはどうしたらいいかを考えてやっている。音楽性はふたりとも全然違うんだけど、どっちも好きですね。モギンさんの音楽は言葉がわかんなかったですけど、こちらも楽しくなったり。Big Baby Driverさんは歌とギターのバランスが、もう好きでしたね。また一緒にやりたいな」
注2: キムモギン(金 木人、Kim Mokin) / フォークスタイルで歌う男性SSW。日常を題材にした素朴で温かい韓国語歌詞に定評がある。2013年に2ndアルバムを発表。
注3: Big Baby Driver / ブルース・フォークスタイルで歌う女性SSW。2011年に1stアルバムを発表。最近はドラマや映画のOSTにも多数参加している。
キムモギンと
――空中キャンプでは、フィッシュマンズの「ナイトクルージング」をカヴァーしていましたよね。思い入れが深いとMCでおっしゃっていましたが。
 「2009年の12月に、バンドからベースが抜けちゃって。ドラムに“ふたりで東京行けへんか”って言って、2010年12月に僕だけ東京に行ったんですけど、ドラムは上京してこんと、1月に解散しちゃったんですよ。以前から事務所に“カットマンもいいけどソロでCD出してみいへんか”って言われてたけど、全部突っぱねてて。バンドのメンバーはファミリーやと、それ以外の人たちとやることはないし、こいつらとがっつり構築した音楽をやる、それで有名になりたいとしか思ってなかったんですね。でもバンドがコーンとなくなって、しかも東京に来て何もやることがなくて、ホンマに喪失感で。はじめの1ヵ月はほとんど家でした。でもせっかく上京したのにすぐ帰るのは悔しすぎるので、道だけ覚えようと思って夜中歩いてたんです。毎日6時間くらい。そんな時、3.11の地震があって、ほんまに気持ち的に落ちてしまったんです。バンドも解散して今までの人生はなんなんかなと思っていたところ、それもしょうもないなと思うようなことが起きて。いろんな人が亡くなったりとか、友達の家が流されたりとか。こんなので悩んでる俺もあかんのになという気持ちも、どっちもデカくなって。マイナス過ぎて沈んでるとき、夜中に歩きながら聴いていたCDから、〈ナイトクルージング〉がかかったときに、泣いてたんですよ。止まらんぐらい泣いてて。自分の心にわっと触れられた感じがありました。それでちょっとだけ楽になったんです。すんごいパツンパツンにメンタルやられてしまって、毎日仕事もせんとすさみきってて、そこをちょっとだけ温かくしてくれたというか、照らしてくれた感じで。そのタイミングで、“震災のチャリティライヴがあるから、ちょっとだけでいいから歌ってくれ”と熱烈に言ってくれた友達がいて、それだけには参加していました。そのときすごい賛否両論があって、チャリティライヴって意味あらへんとか、意味あるとか、あるっていうのは理解しているけど俺はやらへんとか。でも、その友達は“連れに義援金を送りたい”とか“現地で知り合った人にちょっとだけでも笑顔になってもらいたい”とか、めっちゃ個人的な話で動いてるんですけど、そんなんが大事だなと思って僕も参加して。そのタイミングで、いろんなミュージシャンが“歌いだしてるやん”“もう続けたら”“音楽やれやれ”とすごい後押ししてくれて、そっから ちょっとずつ始まったんです。〈ナイトクルージング〉をあのタイミングで聴いていなかったら、もしかしたら今やってなかったかもしれない。僕はそんなにフィッシュマンズにゆかりのあるミュージシャンじゃないとも思います。ただ救ってもらったから、感謝の意味をこめてカヴァーしているというか。自分にやれると思わせてくれた曲だから、自分がそれを他の人にも伝えたい。僕が歌って、どこに言葉と音が着地しているかわからないんですけど、そういう風に思ってもらえたらうれしいなと」
――それではソロを始めてからすぐに「ナイトクルージング」を。
 「すぐやってましたね。今のアレンジではなく、今でも日々やり方が違ってます。自分もこの曲に対して新鮮でいたいから、いつも予定調和ではあかんと。遊びすぎて、ああ失敗したってこともあるんですけど」
――原曲の魅力を失わず、自分の表現としてうまく消化されているなと思いました。
 「最近、譲さん(柏原譲)にお会いしたんです。〈ナイトクルージング〉をどうしてもカヴァーしたい、僕の名義で音盤を出したい、そのためには楽曲使用の許可が必要なんですけど、まずはメンバーの方に思いを伝えたいなと考えて、tobaccojuiceの脇山君に、Polarisのライヴの後に紹介してもらったんです。そのときに自分が〈ナイトクルージング〉をやるようになった経緯とか話したら、すっごい丁寧に、楽曲仕様について僕は構わない、こうやってこうやって会社の人に連絡したらいいよって言ってくれて。そのときにぽろっと、“僕、〈ナイトクルージング〉をカヴァーしてる中で一番かっこいいカヴァーできるんで”って言っちゃんたんですよ。“それくらい大切に思ってやってます”って。後で脇山君が、“譲さん、珍しく熱くしゃべってくれたよ”と言ってましたね。そのあと楽曲使用の申請をさせてもらって、ちょうど韓国行く寸前にリリースの許可が下りたんですよ。来年には出せると思いま す。しかもレコードで。それ持って、また韓国に来れたらなと思います」
空中キャンプでのライヴ
――空中キャンプで「ナイトクルージング」を演奏したときの感想は?
 「ゴさん(空中キャンプスタッフ)に、リハーサルの方がよかったと言われました。べろべろに酔ってしまって。マッコリやらビールやら、こんなに酒を勧められるとは思わなくて」
――そうですか。全然そうは感じませんでしたけど。
 「〈ナイトクルージング〉はアコギをルーパーで使うんですけど、前向いてやるとハウンリングする率が高くて、後ろ向くんですが、そうすると佐藤君(のポスター)がいて、緊張して。酔っ払いながら、感極まって泣きそうになりました」
――「自分のルーツを探す音旅」という話をブログでされていましたが、音楽的なルーツは韓国にありそうでしょうか。音楽を聴くと西洋的なものを感じるのですが。
 「家ではほんと、韓国の演歌とか民謡とかばっか鳴ってました。お母さんとお父さんが親戚にテープを送ってもらって、伸びきるまで聞いてたんです。韓国の伝統音楽って大地的ですよね。アルバムに〈Live in Living〉って曲があるんですが、大地的なリズムを入れています。青々とした草原で叩いてそう。そういう大陸的なリズムが好きなんです」
――ああ、そういえば韓国の農楽みたいなリズムですね。
 「〈Live in Living〉の歌詞は17歳 ぐらいのときに書きました。日本語にしたら“生きることに生きる”ってことなんですけど、小学校くらいの時に山田かまちが好きで、彼が言っていた“生きることに生きる”って言葉がずっと心に残っていたんですよ。いっぺんバンドをやめて、くさっちゃったときから見れば、初心に変える、再生、生き返るということじゃないですか。それが“生きることに生きる”につながって。今アルバム出すとしたら、このタイトルでこの曲が入っていて、おかんが流していたような韓国の民族音楽のリズムも入れて歌いたいなと。32歳で、17歳のときの直接的なことを歌う感じです」
――1stソロ・アルバム『Live in Living』はウリョンさんにとってどんな作品になりましたか。
 「僕は再生しました、毎日生きています、という一枚です。ホンマにタイトル通り衝動的なアルバムにしたいなと思ったんで、サポートメンバーとは打ち合わせなしで。〈Chime song〉は10分で作りました。デモの弾き語りを聴いてもらって、録音のときは、“いっせーのーで”でバンと」
――ウリョンさんの活動でいいなと思うことのひとつに、韓国名をそのまま出されていることがあります。いろいろ思うところがあるのでは。
 「もう越えてきましたね。僕はカネミヤタスクって名前もあるんですけど、どっちも大切なんです。本名が金 佑龍なんで、申請はどっちとか保険の名前はどっちとかめんどくさくて、途中で変えました。兄弟全員がキムを名乗っていなくて、それなら親父の名前を俺が引き継ごうと思って。でも普通でしたね。ブログの名前にカネミヤタスクを残してるのは、どっちも大事だからです」
――ソロ活動の今後の方向性は?
 「カットマンの時からそうだったんですけど、ジャンル何?って聞かれたら困る感じが好きで。それを一緒にやったらあかんでってことをやりたいんですよ。バンドのときよりは自由な発想でできるようになってきました」
――次のアルバムの予定は?
 「1月にBIGNOUN(金 佑龍、中嶋康孝、河原真、脇山広介によるバンド)でのリリースがありますが、ソロで2枚目を出すことは、まだ全然考えてないんです。『Live in Living』は、すっごいフランクに直感だけで作ったんですが、こんなにできるとは思わなかったから。ましてやレーベルは僕だけだから、プロモーションもできないまま出して、でもラジオ局とかでガンガン推してくれてて、それでばーっと広がったんですね。6月に出したんですけど、いまだにamazonとかでも動いてるらしく、そういうのがめっちゃ大事やなと思っています。みんな1年に1枚出すのが当たり前になっているんですけど、大切に売りたいから、制作するスピードをちょっとだけゆるめたい。長いこと、これ持っていろんなところに出向きたいんです。仲良くさせてもらってるフランスのTeteっていうミュージシャンがいるんですけど、フランスにも持っていきたいな、とか。韓国に来れたことによって、台湾とかアメリカとかもっといろんな所に行きたいな、とか。情報が多い中で、僕が発信できる一番のものと言えばライヴだし。あとは〈ナイトクルージング〉を出して、来年また早めに韓国でやりたいですね」
取材・文・撮影 / 清水博之(2013年12月)
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