抑制したほうが実は熱い――ランタンパレード『魔法がとけたあと』と音楽の続けかた

LANTERN PARADE   2016/01/19掲載
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 ランタンパレードことシンガー・ソングライター、清水民尋が昨年後半、注目すべき2枚のアルバムを立て続けにリリースした。サンプリングと宅録による作品『かけらたち』、そして4年ぶりとなるバンド編成でのアルバム『魔法がとけたあと』。数々のミュージシャンから一目置かれる存在でありながら、デビュー後数年経った2011年まではライヴもいっさい行わないなど、淡々と自分のペースで活動を続けてきた彼が、このタイミングで自身の音楽の両面をそれぞれ体現した作品をリリースした意図は何だったのか。そしてあまり語られる機会のないデビューからの歩みや自身の音楽観についても話を聞いた。

――取材するのは2年ぶりになります。前回は、僕が本誌で連載している「CDじゃないジャーナル」の〈第1回CDじゃないジャーナル〉受賞記念のインタビューでした。
 「ああ、『甲州街道はもう夏なのさ』の7inch(2013年)のときでしたね」
――今回は宅録のアルバム『かけらたち』、そして4年ぶりとなるバンド編成でのアルバム『魔法がとけたあと』、2枚連続リリースということもあって、ぜひまた取材したいと思いました。あらためて、ランタンパレードのなりたちからここまでをたどりつつ、新作の話を聞かせてください。そもそも、2004年にROSE RECORDSから“ランタンパレード”の名前でリリースを始められる以前に、すでにバンドでのキャリアがあったわけですけど、ソロでシンガー・ソングライターとしての活動を始めるにあたって、この名前を選んだのはなぜだったんですか?長崎にもランタンパレードっていう有名な催しがありますよね。
 「それとはまったく関係なくて。本名でやるのはいやだからなにか名義をつけようと思って辞書を見ていたら、“ランタン”の項に“ランタンパレード”というのを見つけたんです。響きもかわいらしいし、ほのかに明るい感じ、暗闇で灯る感じがいいかなと思ってつけました。そんなに深い考えはなかったんですけど」
――それにしては、たった今、深いことを言ってた気がしますが(笑)。まさに“暗闇で灯る”ような活動というか、最初のうちはひたすら作曲と録音をして作品をリリースするという活動を続けていて、ライヴもやってなかったんですよね。
 「初めてライヴをしたのが2011年ですからね。ライヴをしたいという欲求もまったくなかったし、自分の作品は録音物だという割り切りがあったんです。ライヴをしてもカラオケみたいになるのはいやだなって思ってたし、人を集めてなにかをやるというモチベーションがぜんぜん湧かなかった」
――90年代後半にはハードコア・パンクのバンド(1%)に参加されていたりしたそうですが、のちに『初期のランタンパレード』(2011年)という作品集で明らかになるように、現在につながるスタイルでの曲作りや宅録も2000年代に入ってから始められていて。その当時は、まだだれにもこういう音楽を作っていることは知らせてなかったんですか?
 「友だちだけですね。2、3人くらい(笑)。でも、そのひとりはすごく褒めてくれて。それで、2003年くらいかな、曽我部(恵一)さんが『ロック画報』という雑誌で“レーベルをやるんで、デモを募集します”って書いてたのを見て応募したんです。小田島(等)さんとの連載とかを読んでいても曽我部さんという人はすごく変わった人だなという印象があったので、僕のデモも気に入ってくれるんじゃないかなと思ったんです(笑)」
――それが世に出るきっかけだったんですね。
 「でも、送ってからなにも反応がなくって。何ヶ月かしてから突然、“曽我部恵一です”って電話があったんです。“すごくいいから出しましょう”って」
――直接電話ですか。それはびっくりしますよね。
 「うれしかったですね。すぐに、前に褒めてくれた友だちに電話しました。そしたら“いや、いつか世に出ると思ってたよ”って言ってくれて。そのとき送ったデモから何曲かは、そのまま1stの『LANTERN PARADE』(2004年)に入ってます」
――出したことでの世間の反応はどういうものでした?
 「当時、『ROCKIN'ON JAPAN』とかにもレビューやインタビューが載りましたよ。ぼくは“ロキノン系”なんです(笑)。最初にROSE RECORDSを大きく取り上げてくれたので、そのついでみたいな感じだったと思うんですけどね。当時は、何誌か他にもインタビューを受けました」
――そうか、じゃあライヴ活動はしないけど、メディアへの露出は意外とあったんですね。
 「そうですね。なんか作品出すとこういうのがあるんだな、こういうことが宣伝なんだな、とか思ってましたけど、自分の作品になにかフィードバックされるというようなことはぜんぜんなかったですね」
――日々と音楽が淡々とあるマイペースな感じと、でも作品はどんどんハイペースでリリースされる感じと、その奇妙なバランスがランタンパレードの魅力でもあり、謎でもあったと思うんですが、当時から日中は別のお仕事をされていて。
 「今もずっとやってます」
――単純に想像すると、仕事の合間を見つけて音楽を作るということだと思うんですけど、そこはバランスは崩さずにやってこれた感じですか?
 「音楽を作らないときはぜんぜん作らないんですよ。結構集中的に作るときもありますし。年始がはかどりますね、なぜか(笑)。年明けの静かな時期がいいですね」
――曲ができる、思いつくきっかけというのは?
 「サンプリングで作るときは、レコードですね。レコードを聴いて、“あ、これいいな”と思ったら、トラックを作るきっかけになります。言葉は日々、断片を書き留めておいてるので、それを組み立てていきます」
――ライヴ活動を開始されるより先にDJを始めたんですよね?
 「それもオファーがあったからですね。初めてDJをしたのはROSEのイベントでした。でも、そんなにオファーもないので、最初のうちはたまにやってるくらいでした」
――ceroのギタリスト・橋本 翼くんが、清水さんがDJされているときに“ライヴ、やってください”とお願いに来たというエピソードを聞いたことがあります。
 「ライヴをもしやるのであればギターを弾かせて欲しい、という要望だったような覚えがあります。それは下北沢のCITY COUNTRY CITYで僕がDJやってたときで、2009年くらいでしたかね。“僕、ceroってバンドをやってるんです_けど”ってデモCDをくれました。まだカクバリズムから作品を出す前で、CDに書いてあったバンド名も大文字の“CERO”でした。あとで知ったんですけど、橋本くんは普段はそこまでアクティヴに行動する人じゃないらしいですね」
――そうなんですよ。その橋本くんが、あえて直訴しに行ったというのが、なんかぐっとくる話で。でも、そのときはライヴには至らず。
 「はい。でも、ceroがデビューしたときはびっくりしましたよ。“わ!あの子だ!”って(笑)。でも、そのときもらったデモ音源の時点で、洒落ててセンスもすごくよかったから、“こういう子らはやっぱり出てくるんだな’って思いましたね」
――その後、ライヴをやるようになってからも結局、橋本くんはギターは弾いてないですね。
 「ギターは僕が弾くからです(笑)」
――なるほど、確かに(笑)。
 「直接言いに来たってことでは、光永(渉)くんもおなじでしたね。高円寺でDJしてたときに来てくれて」
――光永くんは今ではceroのサポート・ドラマーとして多忙ですけど、それ以前からバンド編成のランタンパレードには欠かせないドラマーで。彼は、直訴のときに結構悲壮なくらいの決意をしていたと聞きました。
 「そうなんですよ。その直訴が来て、“じゃあ、もしなにかやるときがあったら連絡します”って言ってはいたんですけど、連絡できないままでいて。何ヶ月かして、昆虫キッズのライヴで僕がDJしてるときに、今度は光永くんがやってるバンド、チムニィのヴォーカルのユウテツくんがやって来たんです。“あの、うちのドラムが本当に叩きたがってるんで、連絡してあげてください”って。それで僕がユウテツくんに電話番号を教えたら、光永くんから電話がかかってきた。そのときは確かに悲壮でしたね。“もう田舎に帰ろうかなと思ってました”って言ってましたから。それで、光永くんとユウテツくん、佐藤和生くん(チムニィ)が一緒に住んでいた国分寺の家に招かれてお酒を飲んだんです。じつは、その時点では僕もバンド編成でやってみるというアイデアがおぼろげにできてたんです。なので“じゃあ、ドラム叩く?”って言ったら、“やったー!”って、すごくうれしそうでしたね」
――バンドでやりたいと思うようになったのは、どういう気持ちの流れだったんですか?
 「サンプリングでやる音楽には結構一区切りついたかな、という気持ちがあったからです。たとえばバンドでの最初のアルバムのタイトル曲でもあった〈夏の一部始終〉は、2000年くらいにはほぼできていた曲で。そういう感じの、生ギターだけでやるような曲のストックがちょっとだけあって、それが溜まってきたからバンドでやってみようかなと思ったということなんです。初のライヴは、2011年に下北沢の440でやりました(2011年11月17日〈曽我部恵一 presents“shimokitazawa concert”第十一夜・十一月〉)。このとき、アルバム『夏の一部始終』も発売しました」
――2011年ってことですけど、震災からの影響とかは関係あったんですか?
 「いや、いっさいないです。2011年になったのはたまたまでした。曲はもう揃っていたし、2010年くらいから光永くんとはスタジオに入って練習していて、途中からは曽我部さんも合流してました」
――光永くんに聞いた話だと、ベースを誰にしようか考えていたときに、“俺でしょ”という感じで曽我部さんから申し出があったということですが。
 「そうです。最初はマネージャーさんから“曽我部さんがベース弾くって言ってますよ”って。なんか怒られたりするのかなって思いました(笑)。そしたらぜんぜんそんなことなくて、すごく僕の要望を聞いてくれる感じで。曽我部さん自身も新鮮に感じてくれていて、よかったなと思いました」
――むしろ曽我部さんからしたら、待ってたくらいの感じじゃないですか?2003年に初めて音源を聴いたときからしたら。
 「“早くやれよ!”ってことだったんでしょうね(笑)。ライヴをやるようになってからは、弾き語りも含めて去年一昨年あたりは月に1、2回はやってましたね」
――いざ、ライヴをやるようになったら、結構好きになってきたというか。
 「いや、正直いまだに“ライヴをやりたい”という気持ちはまったくないですね。要望があるならやる。“音楽をやってる人間はライヴをやるものだ”という考え方に自分を当てはめていってるというか」
――では、今年立て続けに出された2枚のアルバムについてお聞きします。なぜ2枚連続で?
 「まず、宅録の『かけらたち』のほうは、前からストックがあったんです。バンドの『魔法がとけたあと』は、5月にレコーディングしました。夏になると曽我部さんも、光永くんも忙しくなるので、“ここで時期を逃すとまた来年になっちゃいそうなんで今録りましょう”ということで、録っておいたんです」
――4年ぶりのバンド・アルバムだという意識が強くあったわけでもなく。
 「まあ、ひさしぶりですけど、僕自身はそんなに早く出したいという感じもなくて。曽我部さんが“そろそろやる?”みたいなことを言い出すのを待ってた、みたいなところはありました」
――『かけらたち』もめちゃめちゃかっこよくて。これまで以上にブラック・ミュージック的な要素を強く感じたんです。でもそのいっぽうで、弾き語りやバンドでのライヴをするようになった影響かもしれないんですが、アヴァンギャルドなくらいの音の加工が減って、より生っぽさも出ているというか。
 「生ギターを入れてたりするので、そういう感じはあるかもしれませんね。あと、ソウルのフレーズがどんどん重なっていって混沌としてゆくような音楽ってあんまりないかなと思ってやってみたんです」
――ということは、あそこで感じたソウルっぽさというのは、コンセプトとしてあったんですね。
 「そうです」
――今の欧米のブラック・ミュージックは聴いてますか?
 「どうでしょうね?ロバート・グラスパーとか、ディアンジェロとかですか?ディアンジェロも『ブラック・メサイア』は聴きましたけど、そんなに驚きはなくて。昔のソウルやファンクを行儀よく踏襲したという感じがして、あんまりびっくりはしませんでした。何曲か好きな曲はあるんですけど、それもスライっぽさとか、カーティスっぽさとかが好きなところで。僕はやっぱり、もっと逸脱とか変容とかバカっぽさがある音楽のほうがツボなんです」
――なるほど。それはそのまま『かけらたち』へのコンセプトにつながっている考え方ですね。
 「そうです。“これ作ってるやつ、バカなんじゃないか?”って思うような音楽のほうが僕はいいんですよ。“こいつ何考えてるんだろう?”みたいな音楽のほうが聴けるんです」
――それは歌詞の面でも、ですか?
 「歌詞もそうです。“なんでこんなこと言うんだろう?”みたいな(笑)。そっちのほうがいいですね」
――最近、そういう感じでおもしろいと思ったアーティストはいますか?
 「2年くらい前に出た人たちなんですけど、シャイ・ガールズっていうのはよかったですね。“ガールズ”って言ってるけど、ひとりかもしれなくて。音楽はR&Bなんですけど、シンセの音色がきれいで。先日ライヴのときにDJの人がかけてて、“これなんですか?”って聞いたんですけどね。あと、普通にジャネット・ジャクソンの新譜(『アンブレイカブル』)もよかったですね。遅い四つ打ちになってて、音数が少なくて。ちゃんとソウル・ミュージックの艶やかさがあって、そういうのが好きなんですよ」
――ヒップホップだと、どうですか?
 「ケンドリック・ラマーとかも聴いてるんですけど、やっぱりそんなにびっくりしないんです。結局、“ヒップホップ・クラシックを聴いていたら、そんなに衝撃なくないか?”っていう部分が自分にはあって」
――90年代?
 「そうですね、黄金期の。トライブ(・コールド・クエスト)も好きだし、ギャング・スターとか、いいですね。当時のCDを聴くと、音も結構しょぼいんですよ。でもそれがまた、いい。音圧を上げてるやつよりも、むしろいいんです。〈リメインズ〉って曲があるんですけど、その曲でのDJプレミアの作ったビートが、バンドで楽器持ってスタジオに入っても作れないような音なんです。クールでわけわかんなくてファンキーで、そういうのにびっくりするんですよね」
――今、音圧の話も出ましたけど、ランタンパレードの打ち込みの曲のトラックって、音圧重視でがんがん来るって感じじゃないですよね。
 「やっぱり、あんまりハイファイすぎるものは避けてますね。“これはレコードの音だな”ってわかる感触がちゃんと残ってるほうがいい。ちょっともわっとしてるような」
――日本語ラップも通りました?
 「聴いてました。ただ、そんなにB-BOY気質とかはないんですけど。SHING02とか、BUDDHA BRANDとか、SOUL SCREAMとかは聴きましたね」
――打ち込みでシンガー・ソングライター的な活動を始めるにあたって、ラップの影響とかもあったのかなと思ったんですが。
 「まあ、もちろんありましたけど。むしろ、人がサンプリングしてないものから取ってみようとか、ハウスの人がやっていない音の処理とか配置をやってみようという意識のほうが強かったですね。とにかくはみ出そうとしてました」
――曲作りはどういうふうにしていたんですか?
 「まずトラック作りから入って、歌メロはそれにあわせて。ディクレイムというラッパーがいるんですけど、そいつがダッドリー・パーキンスって名前でマッドリブのトラックの上で歌っているというのがあって、そういうのにもちょっとインスパイアされたりはしましたね。あとは、R&B的な歌唱じゃなくて、ボサノヴァ的なささやくような歌唱を入れようとか、そっちのほうが言葉のインパクトもあるし、日本語の響きも生きるということは意識していました」
――以前のインタビューで“ブルーハーツが好きだった”と言ってましたよね。確かに、メロディ一音一音に言葉をひとつひとつ乗せていくところとか、その影響を感じる部分もあるんですが。
 「初期のブルーハーツは好きなんですけど、言葉の乗せ方とかは意識はしてなかったです。むしろ僕のくせかもしれないです」
――宅録で作る曲と、バンド用に作る曲は、作曲面でも違うとは思うんですけど、作詞の面でも違いますか?
 「分けてはいます。微妙なのもありますけどね。サンプリングの曲は、とにかく抽象的というか、支離滅裂で脈絡なくてもいい、というのはあって。でも、いい脈絡の無さと、ダメな脈絡の無さはある。どこかでちゃんと歌いたいことに通底してるんじゃないかっていう脈絡の無さ、ギャップ、飛躍、そういうものを意識してはいます」
――たしかに、サンプリングの曲は、言葉が羅列っぽくなるという印象はありますね。でも、言葉が連なりからはずれる分だけ、言葉としての強さや鋭さが増すという部分もあって。『かけらたち』だと、やっぱり〈はずれろ天気予報〉とか〈今日も今日とて〉ですが。
 「逆にバンドの方だと、シンガー・ソングライター的というか、物語的というか、とりあえず辻褄はあるというようなことは一応は意識してます」
――今回の『魔法がとけたあと』は、そういう歌詞面でも素晴らしいんです。“英雄の歌も 友達の歌も 君には同じ切実さで響いているといいな”って歌詞が、今すごく刺さってます。
 「〈霧雨のサンバ〉ですね。リズム的には陽気なんだけど、なんか不思議なコード感で、優雅なピアノも乗っていてという独特なことがやれてるかなと思うんですけど、そういうのはやっぱり伝わりづらいのかなと思ったりもしてます(笑)」
――ランタンパレードの歌詞は“達観してるわけではない”という感覚なんです。上から目線でも卑下でもない、かといって、悟り切ってるわけでもなく、ちゃんと現実とあらがっている。熱さもあるんですけど、それを放出するということに意義を置いていない。
 「そうですね。むしろ抑制したほうがじつは熱いし、じんわりとくる。“そういうのは人に伝わるのかな?”とも思っちゃいますけどね。“地味に聴こえるんじゃないのかな?”とか。受けやすさ、みたいなことを考えると、もっと派手なほうがいいのかなと思ったりもするんですけど、今回はこれでいいのかなと。別に、ひっそり聴かれる感じでいいので」
――そんなことないですよ。『魔法がとけたあと』は、バンド編成での2枚目だし、メンバー間の理解度も進んだからだとも思うんですが、すごくドラマチックなサウンドに感じました。『夏の一部始終』では、淡々と時間や風景が過ぎていって、それがじんわり染みてくるという印象で、その儚さがよかったんですが、今回は、ちゃんと緩急というか、ドラマの起承転結が音にもある感じで。
 「今回は、ちゃんと盛り上がるところがあるということですか。ああ、そうかもしれないですね。意識はしてないですけど、まるっきり前とおなじなのもどうかというのはあったし。あと、横山(裕章)くんのピアノですね。素晴らしいですね」
――そうですね。本当に素晴らしいピアノです。ローランド・カークが70年代に活動を共にしていたピアニストで、ロン・バートンというプレイヤーがいるんですが、その人のプレイを思い出しました。音をあふれる水みたいに表現するというか、コード感でメロディを支えるというより、きらきらと散りばめるような感じなんです。
 「横山くんは“こういうピアノだったらずっと弾いていたい”って言ってました。ところどころでは、僕もフレーズの指定はしてますけどね」
――曽我部さん、光永くんにも指示はしているんですか?
 「光永くんにも、“こういうリズムで”とか、漠然とは伝えます。曽我部さんにもフレーズの指定をすることはあります。でも、もちろん合わせてみて、“今のフレーズいいな”っていうのがあったら、それをいただいたりはします」
――光永くんは、今回の新作については、まだサンプルの音源もない状態から“本当にいいんで、ぜひ聴いてほしい”ってずっと言っていて。かなりの手応えがあったんだなと思うんです。
 「自分としても“こういうのが作りたかったな”というのが、本当に作れたなと思いました。『夏の一部始終』は、スタジオでのレコーディング自体が初めてだったので、“これでよかったのかな?”と思いながらやっていたところもあって、手応えみたいなものはあのときはなかったんです。でも、今回は本当に手応えのあるものが作れたかな、と」
――先日、ちょっとお話したときに、“1曲目の〈君の頬〉から2曲目〈救いようがない〉に続いていくところが自分でも好きです”とおっしゃってましたけど。
 「曲順は最初から決めていて、その順に録音もしてます。でも、あのつながりの良さは結構、想定外でした。“こんなによかったんだ”って思いました(笑)。全部、1日で録ったんですけどね」
――それもすごいですね。
 「それ、曽我部スタイルなんです。よいデモを録るように進めていく。僕もそれでいいんですよ。リハも2回くらいしかやってませんし、ほとんど1〜3回くらいのテイクでOKになってますね。ちょっと修正とかはしてますけどね」
――アートワークは『夏の一部始終』の続きというか、対な感じですね。
 「対ですね」
――ということは、ここで一段落な感じなんですか?
 「そうですね。この静かでフォーキーなのは一段落かもしれない」
――別のモードが生まれてきてるとか?
 「ちょっとその感じはあります。ディスコとかファンクみたいなのも、いつかやってみたいですし。きたない感じの(笑)」
――今まで打ち込みでやってきたスタイルを、外向きな生演奏でやってみるような?
 「そうです」
――えー!それは聴いてみたい!どういう編成になるんでしょうね?
 「どうするんでしょうね?(笑) でも、ホーンとかは入れずに、キーボード2台でとかで、僕もエレキに持ち替えて」
――ホーン無しで、歌う人がエレキを弾くっていうと、カーティス・メイフィールドの『カーティス・ライヴ』(1971年)を思い出します。すかすかなんだけど生々しいグルーヴがある。ダニー・ハサウェイのライヴ盤とかもそうですけど。
 「そういう感じです。歌詞の感じは、サンプリングのほうに近いかもしれない」
――それは絶対にかっこいいんですけど、いつ始めるんですか?
 「わかんないです(笑)。まだぼんやりと頭にあるだけなんで」
――魔法がとけてみたら、そのあとはディスコだった、みたいな?
 「そうですね!もっとアッパーでめちゃめちゃな方向へ行って、“こいつら何なんだ?”って思われるという(笑)」
――とはいえ、この素晴らしい『魔法がとけたあと』の編成でのライヴも、僕はもっと見たいです。それまではこのアルバムも『かけらたち』も聴いて、待ちます。
 「光永くん、和生くんとのベースレスな3人編成でもライヴはときどきやっていて、その編成でしかやらない曲もあるので、それも作品として出したいという気持ちもあるんです。それが出来てからですかね、次は。その次は、本当にディスコかもしれない(笑)」
――どんなスタイルの音楽やリリースがあるにせよ、音楽を作ることを続けてくれているのが僕には最高にうれしいことなんです。
 「結局、僕はライヴをやってない時期でも音楽は続けているんです。“音楽やめる”ってわけわかんないじゃないですか。リンダ・パーハックスみたいに何十年も経ってから新作を出す人もいる。それって、結果的に音楽をやめてないってことじゃないですか。灰野敬二さんとかもすごいなと思います。2000年初頭のインタビューだったかな、“あきらめるな。30年やってるんだから、言っていいでしょ”っていうのを読んで、やっぱりこの人はすごいと思いました。お客さんの数とか関係ない」
――そもそも音楽って自分の意思で勝手にやめたり始めたりできるものなのか、っていう。
 「だって、“やりたくなったらどうするんだよ”って話ですよね。“もっとだらだら音楽やってもいいじゃない?”って、僕は思います」
取材・文 / 松永良平(2015年12月)
撮影 / 久保田千史
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