類を見ないオリジナル楽曲と圧倒的なライヴ・パフォーマンスで、現在も進化を続ける異能のシンガーソングライター、高橋徹也。彼がメジャー・レーベル在籍時に残した2枚の名作『夜に生きるもの』『ベッドタウン』には、続編として1999年に茂木欣一(東京スカパラダイスオーケストラ、フィッシュマンズ、So many tears)、菊地成孔、上田禎、上田ケンジ、鹿島達也、ASA-CHANGなど、名立たるミュージシャンを迎えて行なわれた知られざるセッションの記録が残されていました。約15年という歳月を経て、幻の未発表4thアルバムがついに全貌を現します。
[高橋徹也 コメント] 「REST OF THE WORLD」…このフレーズを最初に意識したのは、90年代当時、イタリア・プロ・サッカー・リーグSERIE Aで活躍した中田英寿選手が参加したエキシビション・マッチを観た時だろうか。それは確かチャリティーを目的とした試合で、ヨーロッパ国籍の選手だけで編成された「世界選抜チーム」と、ヨーロッパ以外の国々から選抜された「その他の世界チーム」という、ひどく差別的で一方的な価値観によるネーミングの2チームによる対戦だったと記憶している。つまりヨーロッパこそ世界。あとはそれ以外、という考え方に基づく概念。ただ当時も今も、それについてどうこう言うつもりはなく、単純に言葉の響きとして面白いなと思ったのが、この「REST OF THE WORLD」というフレーズだった。
これは当時27才だった自分が、全身全霊をかけて築き上げようとした誇大な妄想とユートピアの幻想。約15年間の長きに渡り、主の帰還を待ち続けた「REST OF THE WORLD」の物語が静かに幕を開ける。今、スピーカーの向こうからから聴こえてくるその音楽に、僕はただ耳を傾けている。
ようこそ、その他の世界へ。
[茂木欣一(東京スカパラダイスオーケストラ、フィッシュマンズ、So many tears) コメント] 高橋徹也くんに出会ったのは1999年初頭、シングル「愛の言葉」に参加したときです。そのレコーディングがとても充実していたなと思っていたところ、さらに声をかけてもらって、何曲かの新曲に関わることが出来ました。
[Small Circle of Friends コメント] 思えば、このアルバムがあの日。 あの15年前に発売されていたら。 何がどう変わっていたのか…。 言っても、詮無い話だし。 逆を言えば、高橋さん自身15年後コレがどうなるかなんて、きっと思いもよらない。 その音は、作品に熱量とアイディアを思いのまま詰め込み、珠玉の音の塊はメロディへと変わる。 狂気にも似た感情で湧き上がる音を自在に操り、高橋徹也をカタチ創る。 そこには、全方向から見て、切り、そして刻んでも、見紛うコトのない高橋徹也が居ました。 何故、あの時世に出なかったのか?なんて無粋なコトは無し。 ゆっくり浸り、時にそれを喜びと思える音を、しばし聴き続けたい。 紛れもない名盤です。
[上田 禎 コメント] 高橋、よかったね。
十数年間ぼくだけひとりで楽しんできたマスターテープが、 みんなで楽しめるなんて、、、
素敵な時代になったよね。
処分しなくてよかったー!
[山田稔明(GOMES THE HITMAN) コメント] 僕が高橋徹也を初めて観たのは1997年だった。その頃僕は映像制作会社勤務のADで、川崎クラブチッタの空き時間を利用してデビューアルバムのなかの「真夜中のドライブイン」MVの撮影助手を担当したのだ。今になって考えれば観客のいないステージで独演する痩せた彼の姿はそのまま彼の音楽性を表していたように思える。そのとき挨拶すら交わさなかった僕らは月日が経って吉祥寺のいなたい居酒屋で、音楽について、レコードについて話をしていた。「発売中止になったアルバムがあるんだ」と聞かされていた作品がこの『REST OF THE WORLD』である。15年の時を越えて解き放たれた歌たちに僕は驚愕している。高橋徹也の音楽に触れるときに感じる不気味さや不穏さ、そして孤独感と静けさは1999年のセッションで完成していた。「いやいや」と謙遜する本人に会うとホッとするが、このレコードを鳴らしている間の緊張感はやたらとクセになる。2014年の夏、ワールドカップの熱狂をそっと冷ますのはきっとこの『REST OF THE WORLD』だ。