【芸能生活15周年記念 4週連続企画】 畠山美由紀物語〜歌う細腕繁盛記〜 - 第1回:純情編
掲載日:2008年11月11日
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──まずは幼少時の話からお聞きしたいんですけど、畠山さんってどんな子供だったんですか?
畠山 割とガキ大将っぽい感じ(笑)。近所に同い年の女の子が私含めて5人いて、そのコたちとよく遊んでいたかなぁ。気仙沼って自然がいっぱいあるから、川に行ったり、森みたいなところに行ったり。かなりアウトドア派の暴れん坊でしたね(笑)。

――たしかピアノも習っていたんですよね。
畠山 そうそう。友達が習っていたのを見て、うらやましいと思ったんじゃないかな。当時、習い事が流行っていたんですよ。ピアノは4歳から高校生まで続けてましたね。

――その経験って、歌手活動に活かされてるんですか?
畠山 ほとんど活かされてない(笑)。譜面もちゃんと読めないし。それでもピアノの発表会にはちゃんと出ていて。あれ、どうやって弾いてたんだろう(笑)。

――歌に興味を持ったのは、いつぐらいだったんですか?
畠山 3〜4歳かな。最初は、やっぱりピンクレディとか松田聖子とか、テレビのアイドルですよね。あ、あとペギー葉山が好きだった。「学生時代」がすごい好きだったの。

──なぜだ(笑)。あれって昭和30年代の歌ですよね。
畠山 たぶん親が家で聴いていたのかな。それか懐メロの番組で知ったとか。子供の頃から、ちょっと切ない歌が好きで、そういう歌を聴くたびにグッときてたのね。あとは演歌も好きだった。八代亜紀とか美空ひばりとか。そういえば子供の頃、盆踊り大会でペギー葉山の「青春時代」を歌ったこともあったなあ。

――本当に好きだったんですね、ペギー葉山(笑)。
畠山 たしか自分から「歌いたい」って言ったんだと思う。私の性格からすると絶対にそう(笑)。割と出たがりな性格だったんだよね。“前へ前へ”みたいな感じで。子供の頃からよく歌ってたし。


──そうすると、もちろん子供の頃の夢は歌手になることで。
畠山 いや、小さい頃は『うる星やつら』のラムちゃんになりたかった(笑)。毎日、仏壇に向って「ラムちゃんみたいに空が飛べるようになりますように!」ってお祈りしてたんだよね。


──ちなみに小学校の頃はCCBの大ファンだったんですよね。
畠山 そうそう(笑)。当時は普通にベストテン番組とかチェックしてたから。でも、あの頃、ベストテンに入るような曲って、全部、良くなかったですか?

──たしかに。子供も大人も同じように口ずさめるような曲が多かった気がします。
畠山 アイドルの曲だからといって変な曲じゃなかったし。

──Port of Notesでは薬師丸ひろ子の「Woman〜Wの悲劇より〜」をカヴァーしていますね。
畠山 名曲だよね〜。この間、テレビで薬師丸さんが歌っているのを観たんだけど、やっぱりいい曲で。しかも、薬師丸さんの歌が素晴らしくて!!

──ノスタルジックに「あの頃は良かった……」とか、そういう感じじゃなく。
畠山 そう。単純に曲が良かった。子供心にじゃなくて、70年代から80年代の歌謡曲とかポップスって、今、聴いてもやっぱり、いい曲が多いなと思う。

──洋楽には、いつぐらいから目覚めたんですか。
畠山 小学校高学年ぐらいに、マドンナとかカルチャークラブを周りの友達が聴くようになって、それで興味を持ったのかな。ちょうどその頃、親戚のおばさんにカーペンターズのテープをもらって、その中に入っていた「イエスタデイ・ワンスモア」にいたく感動して、“この曲があれば1週間、何もなくても生きていける”って思った記憶がありますね。それから洋楽をいろいろ聴くようになって。

──はじめて自分のお小遣いで買ったCDは?
畠山 スザンヌ・ヴェガ『ソリチュード・スタンディング』。彼女がグラミー賞を獲ったのをテレビで観て、それで買ったんだよね。たしか高1のときかな。

──ジャズ・スタンダード的なものに触れるのは、もう少し後になりますか。
畠山 聴いてた、聴いてた。サラ・ヴォーンアン・ヴァートンヘレン・メリルエラ・フィッツジェラルドとか、ヴォーカルものが多かったけど。気仙沼って、すごくジャズが盛んな町で、私も子供の頃から母親に連れられて、ヴァンガードっていう地元のジャズ喫茶によく行ってたんですよ。母親が店長さんと仲が良くて。

──周りの友達でジャズを聴いてる人とかいたんですか?
畠山 さすがに中学生の頃はいなかったんだけど、高校に入ったら、文化的なことに興味を持っている仲のいい友達が何人かできて。そのコたちと競うようにして、「ねえ、ねえ、これ知ってる?」って、映画とか音楽とか、いろいろ観たり聴いたりしたな。

──そうやってカルチャー方面にどっぷりハマっていったわけですね。
畠山 うん。授業をサボって、よく映画を観に行ったりしてましたね。あとは、ヴァンガードでお茶したり。なぜか店長が私のテストの点を知っているんだよね(笑)。学校の先生もよく行くお店だったから。今、思うとあれって人権侵害だと思うんだけど(笑)。

──個人情報ダダ漏れじゃないですか(笑)。
畠山 ね(笑)。それぐらい狭い町だったっていう。

──高校では合唱部に所属していたんですよね。
畠山 うん。私、声が低いから本当はアルトなんだけど、だいたいメインのメロディを歌うのってソプラノでしょ? だから、いつも勝手にソプラノを歌ってました。こっちのほうがいいやって。

──そこも“前へ前へ”で(笑)。
畠山 そう(笑)。それで、アルトのほうがメロディがいいときは、そっちを歌うみたいな(笑)。自分本位だよね〜(笑)。


──当時はバンド・ブーム全盛期だったと思うんですけど、バンドを組んだりとかは、しなかったんですか?
畠山 女子高だったっていうのもあると思うんだけど、周りにバンドを組んでる人も特にいなかったんですよ。だからバンドを組んだりとか、そういうことは現実的に考えられなくて。でも、歌はとにかく好きだったから、毎日、学校から帰ると自分の部屋でレコードに合わせて、ひたすら歌ってた。親に「うるさい!」って怒られながら(笑)。それが唯一の楽しみだったのね。

──“歌の道に進みたい”という思いが膨らんできたのも、ちょうどこの頃ですか?
畠山 いや、単に好きだから歌っていただけで、歌手になるなんて一回も考えたことなかった。親からも公務員か看護婦になれって言われてたし。 “歌手なんて、とんでもない!”って感じだったと思う。すごく家が厳しかったんですよ。ずっと門限も5時だったし。

──門限が5時! たしかに、それは厳しいですね。
畠山 別にお金持ちの家じゃなかったんだけど(笑)。おばあちゃんが、すごく心配性で。今でもそうなんだけど、日が暮れてくると気分がワサワサしてくるの。「家に帰んなくちゃ!」って。
 
──反抗期とか凄かったんですか?
畠山 それほどじゃないと思うけど、たぶん人並みには。学校でも、いわゆる不良少女ではないんだけど、割と反抗的だったかもね。理不尽な校則とかすごく嫌で、先生に反抗して何度も校長室に呼ばれたりしてたし。

──へ〜。意外ですね。
畠山 クラスメイトも、もちろん裏では文句を言ってたんだけど、みんな内申書とか気にして、普段はいいコなんだよね。でも、私は表立って不満を言ってたから割と問題児扱いで。“もしかして私が間違っているのかな”って、子供ながらに、すごく悩んでた。今思えば、いろんな不満が全部、音楽や映画に向かっていたんだと思う。すごく小心者だから、それでも学校の勉強だけは、ちゃんとやっていたんだけどね。

──将来の進路とか、なんとなくは決めていたんですか?
畠山 音楽が好きだったんだけど、なんせピアノもダメだし、音大に行くっていう発想自体なかったんだよね。でも、東京に行ってみたいなとは思っていて。それで、いろいろ考えた結果、高3の夏休みに家出をすることになるんだけど……。
取材・文/望月 哲


祝!芸能生活15周年感謝祭
2008年、芸能活動15周年を記念する畠山美由紀が、盟友アーティスト多数をお招きして、
15年の歴史を総括するビッグイベント
『Miyuki Hatakeyama 15th ANNIVERSARY CONCERT』
●日程:2008年12月12日(金)
●会場:Bunkamura オーチャードホール
●開場/開演:18:00/19:00
●「プレミアム・シート/全席指定¥6,900(税込、パンフレット&CD[共に非売品]付)
THANKS,SOLD OUT!
●サンキュー・シート/全席指定¥3,900(税込)
THANKS,SOLD OUT!
●ゲスト:アン・サリー、中納良恵(EGO-WRAPPIN’)、ハナレグミ、小沼ようすけ・笹子重治(choro club)(G.)、他、豪華アーティスト出演予定
●友情出演:Double Famous、Port of notes
●バンド・メンバー:坂田学(Dr.)、鈴木正人(B.)、中島ノブユキ(key.)、高田漣・福原将宣(G.)、BIC(Per.)
●お問い合せ:ホットスタッフプロモーション 03-5720-9999(平日16〜19時)
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