【芸能生活15周年記念 4週連続企画】 畠山美由紀物語〜歌う細腕繁盛記〜 - 第3回:死闘編
掲載日:2008年11月25日
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――SOUL BOSSA TORIOのヴォーカリストとして、22歳でCDデビューを果たすわけですが、たしか、その頃にPort of Notesを組むことになる小島大介さんとも、出逢っているんですよね。
畠山  ちょうど、その頃、大ちゃん(小島大介)が留学先のアメリカから帰ってきて。それで、下北沢のスリッツにDouble Famousのライヴを観にきてくれたんです。偶然にも同じ小田急線狛江駅に住んでいたので一緒に帰る途中、お互いが好きな音楽の話とかしたんだけど、そのときに、ふたりともこれまた偶然、ダニー・ハサウェイ『LIVE』をよく聴いているっていうことが判明して。それで音楽の趣味も合いそうだし、歌もののバンドをやりませんか?って、誘われて一緒にやるように……あ、違う! 当時、大ちゃんが、鈴木正人くん(リトル・クリーチャーズ)、今井了介くん(R&Bトラック・メイカー)と一緒にやっていたバンドにヴォーカリストとして入ったんです(笑)。

――かなり強力なメンツですね(笑)。
畠山  基本的にはソウルのカヴァーがメインのバンドで、音は当時、流行っていたアシッド・ジャズっぽい感じだったかな。

――その時点で、すでにPort of Notes名義で活動してたんですか?
畠山  いや、そのときは、まだPort of Notesじゃなかった。大ちゃんをメインにバンドをまとめていくみたいな感じで、たしか“ダイスマン・ウィズ・ヒズ・カルテット”とか(笑)、そんな名前でやっていた気がする。渋谷のroomとか、クラブを中心に。

――小島さんと二人で活動するようになったきっかけは?
畠山  SOUL BOSSA TORIOのレコーディングに大ちゃんが遊びに来たとき、ゴンさん(ゴンザレス鈴木)が「2人で今、何かやってみたら」って言ってくれて。それのときにギターと歌で即興で作ったのが、(デビュー・シングル)の「Even In The Wind」だったんですよ。

――それまで曲を作った経験って……。
畠山  趣味みたいな感じで作ったことはあったんだけど、本格的に曲を作ったのは、そのときが初めて。曲作りのスタイルはあまり今と変わっていないかな。大ちゃんがなんとなくギターでコードを弾いて、私がそれに鼻歌でメロディを付けていくっていう。

――その後、コンピレーション・アルバム『Sign off from amadeus』への参加を経て、1997年にクルーエル・レコードから初の単独作品となるシングル「Port of Notes」をリリースしています。クルーエルの主宰者である瀧見(憲司)さんとは以前から親交があったんですか?
畠山  いえ、まったく(笑)。渋谷にあったエレクトリック・カフェっていう場所でライヴをやったときに、偶然、瀧見さんが観にきてくれたことがあって。そのときに大ちゃんが「これ聴いてください!」ってデモ・テープを渡したの。でも、その後、全然、連絡がなくて(笑)。

――ラブ・タンバリンズが爆発的に売れたあとだったから、当時、ものすごい量のデモ・テープがクルーエルに届いていたんでしょうね。
畠山  それで、後日、大ちゃんがHMVで瀧見さんに会ったとき、「聴いてくれました?」って確認したら、「ごめん、まだ聴けてないんだ」って言われたみたいで。そのときに、大ちゃんは“このままだったら絶対に聴いてもらえない”って思ったらしく、わざわざHMVの出口で瀧見さんを待ち構えて「絶対に聴いてくださいね!」って念を押したらしいの(笑)。

――執念だ(笑)。
畠山  そうしたら次の日の朝に「うちから出さない?」って電話がかかってきて(笑)。

――瀧見さんはPort of Notesの音に関してはどんな感想を?
畠山  曲の展開やアレンジをすごく気に入ってくれて、今までにない新しい才能が出てきたって絶賛してくれて。あと、私の歌に関しても、粗削りだけど、いいものを持ってるって言ってくれたり。ただ、“ダイスマン・ウィズ・ヒズ・オーケストラ”って名前だけはやめようよって言われた(笑)。

――ダハハハ! 2人組になっても、まだ、その名前でやってたんですか(笑)。
畠山  そうなの(笑)。それで、私と大ちゃんとで、東京なんたらかんたら、とか、いろんなバンド名を考えたんだけど、全然いいのが思い浮かばなくて。そんな二人を見かねた、正人くんが'じゃあ、Port of Notesって名前はどうかな?'ってバンド名を提案してくれたの(笑)。それで、意味を聞いたら“音符の港”だっていうから、なんかいいかもって(笑)。


――この頃から、いろんな雑誌で取り上げられたりして、Port of Notesっていうバンド名はもちろん、畠山さんの名前も徐々に音楽ファンの間に広まっていくことになりますね。
畠山  でも、この時点では、まだ音楽一本で食べていこうとは考えていなかったんですよ。どちらかといえば“自分が楽しいからやってる”って感じで。20代の頃はあまり深いことは考えていなかったかな。今に比べて生活もめちゃくちゃだったし。とにかく、よく遊んで、よく飲んだよね。そのせいで、周りの人にも、いっぱい迷惑掛けちゃったんだけど(笑)。

――私事ですが、僕も泥酔した畠山さんにビンタされたことがあります(笑)。
畠山  えええぇぇぇぇ!! 本当!? いつ!? どこで!?

――10年ぐらい前、とあるイヴェントで畠山さんをお見かけしたとき、「Port of Notesのファンなんです」って、声をかけたら、「ありがとう! わはははは!」って、なぜか100パーの力でビンタされて(笑)。 
畠山  わ〜!! ごめんね〜。

――猪木ばりの一発でした(笑)。でも、あまりの豪快さんぶりに、さらにファンになりました(笑)。むしろ、この人は信頼できるんじゃないかって。
畠山  本当に〜?

――そういう人間臭い部分があるからこそ、歌声に深みや説得力が増してるんじゃないかって。
畠山  ありがとう(笑)。でも、あの頃は本当に毎日っていうほど、飲みまくってて。ベロベロに酔っ払って、「今から地球を持ち上げます!」とか、いきなり道路で逆立ちしたり、そんなことばっかりやってたんだよね(笑)。

――お酒にまつわるエピソードには事欠かないですよね(笑)。
畠山  自分では全然覚えてないことを後になって他人から言われるようなことが多くて。……多分、あの頃のことって一生言われ続けるんだろうな。まあ自業自得なんですけど(笑)。


――そして、破天荒な20代も終盤にさしかかった2001年9月、シングル「輝く月が照らす夜」で遂にソロ・デビューを果たすことになります。
畠山  〈ブラガ〉という女性ファッション・ブランドのパーティで、私が鍵盤の演奏だけで歌ってるのを今の事務所のスタッフが見てくれて。そのときには、もうデビュー・シングルになった「輝く月が照らす夜」を歌っていたと思う。

――ずっとソロ志向みたいなものはあったんですか?
畠山  うまく言葉にできないんだけど、Double FamousやPort of Notesでは表現しきれないパーソナルな感覚みたいなものが自分の中にずっとあったんだよね。それをいつか形にしたいなとは思っていたんだけど、ちょうどいいタイミングでソロの話が持ち上がって。

――その'パーソナルな感覚'っていうのは、北国で育った畠山さんが本来持っている、サウダージな感覚だったりするんですかね。ちょっとドメスティックで陰影のある感じというか。
畠山  そうですね。まあ、私の場合、サウダージな感覚も、どこか演歌っぽくなっちゃってるんだけど(笑)。たとえば「輝く月が照らす夜」とか、Port of Notesでは成立しない曲だと思うし。やっぱり、子供の頃から培ってきた感覚とか、そういうものを自分なりに表現したかったんだよね。




取材・文/望月 哲


祝!芸能生活15周年感謝祭
2008年、芸能活動15周年を記念する畠山美由紀が、盟友アーティスト多数をお招きして、
15年の歴史を総括するビッグイベント
『Miyuki Hatakeyama 15th ANNIVERSARY CONCERT』
●日程:2008年12月12日(金)
●会場:Bunkamura オーチャードホール
●開場/開演:18:00/19:00
●「プレミアム・シート/全席指定¥6,900(税込、パンフレット&CD[共に非売品]付)
THANKS,SOLD OUT!
●サンキュー・シート/全席指定¥3,900(税込)
THANKS,SOLD OUT!
●ゲスト:アン・サリー、中納良恵(EGO-WRAPPIN’)、ハナレグミ、小沼ようすけ・笹子重治(choro club)(G.)、他、豪華アーティスト出演予定
●友情出演:Double Famous、Port of notes
●バンド・メンバー:坂田学(Dr.)、鈴木正人(B.)、中島ノブユキ(key.)、高田漣・福原将宣(G.)、BIC(Per.)
●お問い合せ:ホットスタッフプロモーション 03-5720-9999(平日16〜19時)
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