ラ・フォル・ジュルネの歩き方 - 第3回 注目ピアニスト紹介&広瀬悦子インタビュー
掲載日:2010年4月7日
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【注目ピアニスト紹介】
ナントから東京へ、 ピアニスト二都物語。
文/青澤隆明
ルイス・フェルナンド・ペレス
(C)Ignacio Nunez
 今年いちばん聴きたいピアニストは、と誰かにたずねられたら、なんと答えればいいだろう。もし不可能な願いでもよければ、ぼくはもちろんフレデリック・ショパンその人の名前を挙げたい。もちろん、それは叶わない空想だから、同時代のピアニストを楽しもう。

 さて1月の終わり、ナントのラ・フォル・ジュルネをたずねた。50人以上のピアニストたちが参加したと聞くが、3日と少しのナント滞在で、ぼくが聴けたのは20人ほどだ。東京には、ピアノだけで40人、フォルテピアノやチェンバロなどもあわせると45人もの鍵盤楽器奏者が集う予定である。それも、日本人のすぐれた演奏家だけでなく、イーヴォ・ポゴレリッチのような偉才の名も加わっている。彼はショパンのヘ短調協奏曲(第2番)を弾く予定だが、孤高の迷宮を生きる表現者は“熱狂の日”の祝祭をどう生きるのだろう。

 東京版の“ショパンの宇宙”は、ショパンの全作品を採り上げるというが、その核心はやはりピアノ・ソロの全曲チクルスだ。全14回をかけて、ショパンの生涯を辿る旅を織りなすのは、アンヌ・ケフェレック、アブデル・ラーマン・エル=バシャ、児玉桃フィリップ・ジュジアーノ、イド・バル=シャイ、ジャン=フレデリック・ヌーブルジェという6人。世代も出自も個性も異なる多彩な顔ぶれは、ナントとも同じだけに、さらに突き詰められた演奏を期待させる。ショパンの初期作品など、なかなか聴くことができない曲が楽しめるのも大きな魅力だ。

ブルーノ・リグット
珍しいといえば、カルクブレンナー、モシェレスといったショパンの先達、アルカンやヘレル(エレ)ら同時代の作品も意欲的に採り上げられ、広瀬悦子や酒井茜が弾いていたが、奇しくもともにマルタ・アルゲリッチとの縁が深いピアニストである。さらに秘曲としては、リストタールベルク、ピクシス、ヘルツ(エルツ)、ツェルニー、ショパンが手がけた変奏曲「ヘクサメロン」が、ジャン=クロード・ペヌティエによる6台ピアノの編曲版で披露される。ペヌティエ、クレール・デゼール、小曽根真のほか、ナントではミシェル・ベロフ、クレール=マリー・ル・ゲ、マリー=ジョゼフ・ジュデが、東京では海老彰子、アダム・ラルーム、広瀬悦子が参加する壮観なステージだ。逆にオーソドックスなところでは、小山実稚恵のショパン、小菅優メンデルスゾーンが、ナントでも実力派として高く評価されていた。

 さて、ぼくの心に強く残ったのは、LFJ初参加となる二人のピアニストで、うれしいことに東京でも再会できる。ひとりは、スペイン出身でピエール=ロラン・エマールにも教えを受けたルイス・フェルナンド・ペレス。ルネ・マルタンの今年一押しのピアニストだ。透明な造型観と冴え冴えとした技巧で、硬質のショパンを構築した。そして、サンソン・フランソワに教えを受けたブルーノ・リグットの参加は、自然な詩情とベテランらしい内省をもって、今年のLFJに奥行きを与える。真正のショパン弾きらしく、リグットはその内心を深く、豊かに語っていた。
interview 広瀬悦子
 「コロムビアから出ていたCDを知ったマルタンが、私の生音を一音も聴くまえに、ラ・フォル・ジュルネのナントと東京、ラ・ロック・ダンテロンのフェスティヴァルへの参加など、みんな決めてくれた」。ナントで再会した広瀬悦子は、驚きと輝きを浮かべてそう語った。ヘレル(エレ)、モシェレス、ショパンでのリサイタルで、奔放で情熱的な演奏を聴かせた後だった。さらに、マルタンのレーベル“Mirare(ミラーレ)”から、初の日本人演奏家として、『バラード』全曲と『ノクターン』を中心とするショパン・アルバムをリリース。かつてパリ国立高等音楽院で、リグットやニコラ・アンゲリッシュに師事した彼女は、いまふたたびフランスに暮らし、ピアニストとしての自由をさらに大きく広げているようだ。
――フランスにはいつごろから?
広瀬悦子(以下、同) 「2年くらい前から。またフランスで暮らすようになって、自分の音楽がより大きく自由になってきたように思います。演奏はコミュニケーションなので、お客さんの反応がダイレクトだと放出するものが変わってくるし、こちらにいるとそれが自然に出せるんです」
――具体的にショパンの演奏に関していうと、どんな変化がありましたか?
 「いろいろな新しい出会いがあって、歌手の伴奏もして、ベル・カントを基本としたショパンの息づかいがわかってきたような気がします。身体全体をつかって、力みのない姿勢をとって、純粋に音楽を表現することに集中できるようになったのが最近の収穫ですね」
――ショパンの天才のありかについてはどう思われますか?
 「色彩感が豊かで、すごく翳の部分も多い。心の揺れを表現することに成功しているから、そこが人々の共感を得るのだと思います。必ずしも幸せなだけではなかった、暗い感情とか迷いとか後悔という部分があるので」
――ショパンの構成は緻密で、しかも感情の襞が濃やかですから、そのバランスが難しいと思うのですが、ショパンを弾く喜びと難しさについて、どうお感じになっているのでしょう。
 「私、小さい頃から、マリア・カラスの歌がほんとうに大好きで、いまも毎日聴きますけれど、ショパンの美しさにもベル・カントのアリアに通じるものがある。カラス・ファンとしては、自分でそういうものを表現できる喜びというのは大きいですね。ショパンの難しさは、まったく無駄がなく、すべての音が相互関係をもって成り立っている。感情の襞が繋がっていくその連鎖によって、全体的な大きな構築美ができあがると思うので、そういう意味で、一つも取りこぼしなく築き上げていかなくてはいけない。あとは、ショパン自身があまりに強い感情や情熱、キッチュな感じを嫌っていた人なので、そうならないバランス感覚が難しいと思いますね」
――ショパンは、広瀬さんにとってどんな人ですか。
 「やっぱり、ベルリーニなど、オペラに通じるベル・カントの美しさをピアノにおいていちばんうまく表現した人かな」
――ピアニストとしてのショパンについては?
 「音色など色彩のパレットが豊かなピアニストだったのだろうなって思う。カラスでいちばん好きな言葉は“音楽でいちばん大事なのは高貴さだ”というものですが、ショパンの音楽も高貴で気品がある。どんなに暗くても、革命的な強い気持ちがあっても、つねに気品が根底にあるので、演奏するときにはそれをいつも心がけていたいです」
――さて、これからどんなピアニストになっていきたいですか?
 「若い頃には若いときにしかできない演奏があるので、ヴィルトゥオージティやテクニックが発揮できるうちはそういう演奏をしたいし。歳をとったら、すごくシンプルなんだけど深みがある、ほんとうに魂からでてくる率直な音楽を。衒いとか表面的なものでなく、内面から滲み出てくるような演奏ができるピアニストになれたらいいなと思います」
取材・文/青澤隆明(2010年1月)
広瀬悦子(p) 『ショパン:4つのバラード、夜想曲集、幻想曲』
(Mirare・MIR110)
<CD>
【ショパン】
●バラード第1番/第2番/第3番/第4番
●ノクターン op.15-1/op.15-2/op.9-2/op.48-1
●幻想曲ヘ短調 op.49
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