しのぶ連載「心の中の歌、歌の中の心」 - Chapter.2 Interview Vol.1“歌心の円熟”
掲載日:2009年7月30日
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 実力派歌手としても名高い、しのぶ。その実力が成熟した大きな理由として、デビュー前に氷川きよしら数々の歌手を手掛けた水森英夫氏に師事していたことが挙げられる。そして、2001年にセンセーショナルなデビュー。新曲「名前の無い恋」は歌謡曲だが、その作品に巡り合う前、彼女はどのように歌と向き合っていたのか? 今回は、今までの活動を振り返ってもらった。



周防灘/おんな上州路
(2008年発表)
――この連載の最初にエッセイを書いていただきましたが、歌手になる動機は綾世一美(あやせ・ひとみ)さんのステージを観てからでしたね?
 「そうですね。小学生の頃に観た、綾瀬さんのステージが、すごいパワフルだったんですよね。それがすごい衝撃的でした。私もこういうような歌手になりたいなって強く思い始めたのはそれがきっかけです」
――演歌に惹かれた理由は、何だったんですか?
 「小さい頃は視野が広くないじゃないですか? だから環境ですよね。両親が歌っていたり、聴いていたりしていた演歌を私も耳にしていたので、自然に覚えていって」
――実際にデビューのきっかけってどういうシチュエーションだったんですか?
 「話したら長いんですけど、業界に入るきっかけはカラオケ大会でスカウトされたんです。地元の下関の南風止(はえどまり)漁港で。ふぐ供養祭というのがあって。そこで作詞家の人にスカウトされたんですよね」



二年酒/しのぶの唄祭り
(2005年発表)
――師匠でもある水森英夫先生との出会いは?
 「水森先生との出会いは、スカウトされたちょっとあとです。その前にも一度お会いしてはいるんですけど。ディナーショーで歌わせていただいたときでしたね。“君はいいもの持ってるよ”って言われたのは覚えていて。その3年後に会うことがあって、“あのとき、覚えてるよ”って言っていただいたんです。そこで7〜8曲歌ったらあとに、“内弟子にならないか”と」
――レッスンの時はどんな感じでした?
 「本格的なレッスンをしたのはそれが初めてだったんですよ。“水森英夫発声法”っていう譜面があるんですよ。それをまずいただいて。その頃に一緒にレッスンしていたのが、氷川きよしさん。氷川さんは私より半年前に福岡から上京されてて、半年も違うので私が入った頃はすごい声が出てたんですよ。“この声が出ないとプロとしてデビューしても大成しないよ”と言われてた先生のお言葉が、リアルに“これか”と実感しました。だから半年間は発声だけで、その後に初めていただいたレッスン曲が〈九段の母〉(二葉百合子)だったんです。先生は私の持ち味というのも当然わかっていらっしゃって。ブルース調とか“引き”の曲が得意だったので、あえてそういうのはレッスンしないで、“パーンと声を出せ”みたいな曲をレッスン曲にしてくださってましたね。レッスンをしていただいたのは2年間くらいでした」



昔の彼に逢うのなら
(2002年発表)
――個性に合わせたレッスンがあったからこそ、今があるって感じですね。
 「当時の内弟子は先生の家の近くにアパートを借りて、“来い”と言われたらすぐ飛んでいける距離にいたんです。人間なので時には体調も崩すこともあるんですよ。そんなときも先生は一声聴いて見抜く方でしたね。“ちゃんと飯を食ってるのか”とか“昨日何時に寝たんだ”とか、“きちっとした私生活を送らないといい声も出せないし、いつまでもデビューできないぞ!”って言われて(笑)」
――ベストな状態を維持するのは大変なことですよね。
 「そうですね。声って身体から出すものなので、常に厳しく言われてましたね。レッスン以外は優しいんですけど。“早くお前ら若手が演歌界をしょって立たないと駄目なんだ”って言われ続けてましたね」
――そんな下地がありつつ、2001年に「しのぶの渡り鳥」でデビュー。その頃ってプレッシャーはありましたか?
 「まったく感じなかったですね。スケジュールを見ると予定で真っ黒だったので、考える余裕がなかったのかも。みなさんに導いていただいて、本当に恵まれてました」



しのぶの渡り鳥
(2001年発表)
――実際、デビューから今までの中で一番印象に残っていることって、どんなことですか?
 「いっぱいありますけど、デビュー当時に神田うのさんに衣装をデザインしていただいたことですね。当時は若い人にも演歌を聴いてほしいってことでお願いしたんですけど、快く受けていただいて。ジャケット写真と同じ衣装です。ステージとかではいいんですけど、移動とかもずっとその衣装だったのでそういうところでは恥ずかしかったですね。オフィス街のレストランとか(笑)。ヘソ出しルックだったので、サラリーマンの人たちに“何じゃこのコは?!”って目で見られましたね」
――今までのジャケットを見ていると、すべての衣装をちゃんと作ってるんですよね?
 「デビュー時が華やかだったので、今でも“衣装が凝ってる”っていうイメージはお客様の頭の中にあるんですよね。“今回はどんな衣装なんだろう”って楽しみにしてくれて。嬉しいことですよね。だから毎回作っていただいてます」
――デビューから今までで、キャリアを重ねることで何か思うことはありましたか?
 「デビューして、最初はオリジナルも2曲しかなくて。新人ですから与えられる時間もとても短くて、アピールすることだけで一杯一杯でしたね。でも、年月を重ねていくごとに、オリジナル曲も増えていき、お客さんの反応とかを気にするようになっていきましたね。お客さんの立場になって、どうしたら楽しんでもらえるんだろうとか……。今もすごく模索中ですけど、そんなことを考えるようになりましたね。求められるものが多くなってもいるので」


取材・文/清水 隆(2009年6月)

次回、Interview Vol.2
profile
幼い頃から歌手を目指し、水森英夫の内弟子として入門。その後、2001年に音羽しのぶとしてキングレコードから「しのぶの渡り鳥」でデビュー。同年の「日本レコード大賞」で新人賞を受賞。その後もコンスタントにオリジナル曲を発表しつつ、「日本有線大賞 有線音楽賞」など数多くの賞を受賞。そして、2009年7月、“しのぶ”名義でリリースされた新曲「名前の無い恋」は“歌謡曲”に。秋元順子の大ヒット曲「愛のままで…」の作曲家、花岡優平が手がけていることでも話題となる。8月26日にはさまざまなカヴァー曲も収録されたミニ・アルバム『しのぶリメンバー「名前の無い恋」』もリリース。
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