[こちらハイレゾ商會]第47回 アバドのハイレゾで再び“マーラー・ブーム”
掲載日:2017年08月08日
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こちらハイレゾ商會
第47回 アバドのハイレゾで再び“マーラー・ブーム”
絵と文 / 牧野良幸
 これは僕の個人的な問題であるが、ここ10年ほどマーラーにピンとこなくなっていた。マーラー・ブームなるものが起きたのは70年代だったか。僕が覚えているところでは80年代には確実にマーラー・ブームがあった。僕もその頃浴びるようにマーラーを聴いた。ベートーヴェンの残した9つの交響曲に代わってマーラーの交響曲こそ“現代人のための交響曲”と思ったものだ。
 しかしどんなブームもやがて去ってしまう。クラシック界の流れはブルックナーに移った。ブルックナー・ブームの到来である。僕はブルックナーはそれほど聴かないから、マーラーを聴かなくなったのはブルックナーのせいではない。むしろベートーヴェンの交響曲をふたたびよく聴くようになっていた。
 しかしマーラー・ブームが去ったとはいえ、マーラーの新譜は相変わらず多い。ハイレゾでもe-onkyo musicを検索してみれば、往年の名盤から新しい録音までズラリと出てくる。その中にはレナード・バーンスタインが一度だけベルリン・フィルを振った“一期一会”の『マーラー:交響曲第9番』のハイレゾさえある。しかし正直に言ってしまうと、このハイレゾが出ても僕のなかで昔のような興奮は湧かなかった。
 そんな僕が最近またマーラーにドキドキしだしたのである。それはクラウディオ・アバドが1980年にシカゴ交響楽団と録音した『交響曲第6番「悲劇的」』のハイレゾを聴いたせいだ。懐かしいドイツ・グラモフォンのジャケットも手伝って、初めてマーラーを聴いた頃のドキドキが蘇ってきたのである。ちょうどプルーストの小説『失われた時を求めて』で、主人公が紅茶にマドレーヌを浸したことから幼少の記憶が不意に蘇るように。
 『交響曲第6番「悲劇的」』のハイレゾはFLACとDSDがあるが、僕はDSDのほうを聴いた。第1楽章はグロテスクなまでにオーケストラが躍動する行進曲だ。ハイレゾは解像度が高いせいか、縦横無尽に飛び交うオーケストラの音がクッキリと見渡せる。
 これはハイレゾの解像度が高いせいだけではない。シカゴ交響楽団の金管セクションの優秀さも関係しているのではないか。トランペットやトロンボーン、ホルンがドンピシャのアンサンブルでキメまくるから解像度がさらに際立つのだと思う。
 いずれにしても、こんなにドキドキしてしまう第1楽章はひさしぶりだった。きわめつけは最後の第4楽章だ。30分もある長丁場だけれど、途中にカウベルが流れてきて(ほかの楽章でも使われるが)、“親しみやすいマーラー”のつもりで聴き始めたのに、30年以上前に初めて聴いた時のような戸惑いをまたも感じたのである。
 第4楽章でもマーラーのオーケストレーションが精緻なのは僕のようなシロウトでもわかる。そしてシカゴ交響楽団の演奏が完璧なのもわかる。それだけに“どうしてこういう展開になるの!?”の連続。いったいマーラーの頭の中はどうなっているのか? マーラーを初めて聴いた時の戸惑いと混乱が再び僕の中に沸き起こった。
 思えば、聴き続けるうちに戸惑いや混乱が消えてマーラーをわかったような気になったところから、僕のマーラー・ブームは終わったのだと思う。今回のアバドのハイレゾは、僕のマーラー観をリセットしてくれたような気がする。僕の中で再び“マーラー・ブーム”が起きそうである。
 現在アバドのマーラー録音は、ウィーン・フィルとの第4番とシカゴ交響楽団との第5番がハイレゾ化されている。ウィーン・フィルとの第3番など残りの録音もぜひハイレゾ化してほしい。
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クラウディオ・アバド指揮シカゴ交響楽団
『マーラー:交響曲第6番「悲劇的」』


(1980年録音)

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