大石 始 presents THE NEW GUIDE TO JAPANESE TRADITIONAL MUSIC - 第1回:大島保克(沖縄民謡唄者)
掲載日:2012年05月11日
はてなブックマークに追加
 大石 始 presents THE NEW GUIDE TO JAPANESE TRADITIONAL MUSIC
第1回: 大島保克(沖縄民謡唄者)

大島保克 / スペシャル・メドレー

イラヨイ月夜浜〜赤ゆら〜流星〜くいぬぱな

 69年に石垣島白保で生まれ、八重山民謡の伝統の中でその感性を磨いた幼少期。高校卒業後、同級生と共に“ゆらてぃく組”を結成し、八重山のうたや踊りの公演を行なった十代後半。24歳のときに1stアルバム『北風南風』をリリースし、島唄の新星として脚光を浴びた後もマイペースにその唄世界に磨きをかけ、現在に至る──。沖縄民謡の未来を背負って立つ唄者、大島保克。連載第1回目となる今回は、久々の新作『島渡る〜Across the Islands〜』をリリースした彼にロング・インタヴューを決行。故郷・白保の話から八重山民謡のイロハ、彼の半生から新作の話まで、その会話は多岐に渡った。
――文献を読んで知ったんですが、白保は波照間島から渡ってきた人が多いんですね?
 「1771年に大地震(八重山地震)があったんですよ。80メートル級の大津波が発生したと言われていて、白保の高台には陸に打ち上げられた津波石があるんですね。その時の津波で白保は壊滅状態になったらしいんですけど、後に波照間からの移住者を中心に復興したそうなんです。白保には御嶽(おたけ)というお宮のような場所があるんですけど、その中には波照間から持ってきたものもあると言われてるし、移住から270年以上経ってるのにも関わらず白保と波照間の方言は似てるんです」
――大島さんの祖先の方も波照間から渡ってきたんですか?
 「そうですね。ウチの名字はもともと“大島”じゃなくて“南風盛(はえもり)”だったらしいんですけど、この名字は波照間に多いんです。白保の隣にある宮良という村は小浜島からの移住者が多いし、石垣の東側にはいろんな島からの移住者が住んでるんです」
――なるほど、島の東側が津波にやられてしまったわけですね。
 「そういうことですね。だから、白保と宮良は隣の村なのに全然方言が違う。2キロも離れてないのに、今も違う方言が話されてるんです」
――ところで、おじいさまの松さんは“ひばり”と呼ばれていた歌い手だったそうですが。
 「そうですね。明治41年生まれだったんですけど、唄が得意でね、高くていい声だったんですよ。それで“ひばり”というあだ名が付いた。白保ではそのあだ名が屋号になる文化があるんです。同じ血縁の人が多いので、同じ大島性を区別するために屋号で呼び合うようになったんです。それでウチは“ひばり”」
――屋号で呼び合うのは白保だけなんですか?
 「いや、他の村でもありますけど、あだ名がそのまま屋号になるのはあまりないかもしれませんね。だから、いい屋号ばかりじゃないんですよ。祖先の失敗談がそのまま屋号になったパターンもあって(笑)」
――おじいさまは八重山以外の唄も唄ってらっしゃったんですよね?
 「当時の大和の民謡や沖縄本島の古典、宮古の唄も勉強していたみたいだし、全然隔たりがなかったですね。好きな唄はどんどん覚えていく。記憶力がハンパじゃなかったんで、レコードやラジオで一回聴いただけでどんな唄でも覚えてしまうんです。だからすごい数の唄を知ってましたね」
――おじいさまのように各地の民謡を唄う方は当時の石垣でも珍しかったんじゃないですか?
 「いや、昔のほうが寛容だったみたいですよ。いろんな流派が確立されてからみんな保守的になってしまったようで。しかもウチのじいさんはどの流派にも属してなかったし、“唄い手はひとりひとり個性的であるべきだ”という思いを強く持ってましたね。まあ、ウチのじいさんはちょっと異端だったと思いますよ(笑)」
――白保独特の“遊び唄”をおじいさんが唄っていたそうですが、これはどういうものなんでしょうか。
 「まあ、流行歌のようなものというか、遊びで唄う唄ですよね」
――流行歌というのは、ラジオから聴こえてくるヤマトの民謡のようなもの?
 「そういうものを勝手に白保調に変えちゃうわけですよ。原曲の歌詞やメロディーを変えたり、三線を乗せたりして遊ぶんです。白保には“なんでも採り入れる”という文化があるんですよ。いいものはどんどん採り入れていくんです」
――どうしてそういう文化が育まれてきたんでしょうね。
 「それは津波の影響もあるでしょうね。ゼロから共同体を作り上げていったわけですから。なんでも採り入れながら、新しい村を作ってきたんだと思います」
――“ひばり”と呼ばれたおじいさんは大島さんがおいくつの時に亡くなったんですか?
 「27の頃だと思います。晩年も食後に少しお酒が入ると三線を弾いてましたよ。じいさんが亡くなったあと、生前録音していたテープを整理していたんですけど、僕のレパートリーとまったく同じだった。僕が好きな唄ばかりだったんですよ。子供のころから無意識のうちに耳にしていたんでしょうね」
――おもしろいのは大島さんのお父さまと友人の方々とやっていたという楽団にアコーディオンとかマンドリンのメンバーもいたということで、その編成にも白保らしさを感じるんですよ。
 「そうですね。音楽好きが周りにたくさんいましたし、ウチでもよく演奏会をやってましたよ。当時は家も狭かったんで、僕らが寝ているすぐそこ横で一晩中演奏してました。だから、今回のアルバムもそうですけど、メンバーを集めると自然に親父がやってた楽団に近い編成になっちゃう(笑)。アコーディオンやマンドリン、ヴァイオリン、ギターは僕の耳にも馴染みがいいんです」
――当時の石垣には唄者として活動していた方もいたんですか?
 「まあ、石垣にプロという人はいないですよね。民謡酒場で唄ってる人はいましたけど、プロになろうとしたら山里勇吉さんや仲宗根長一さんのように本島に出ていくしかない。“音楽で生計を立てる”というのは当時はタブーだったと思いますよ。当時は“歌い手=遊び人”というイメージですから、それで生計を立てるなんて、みんなの笑い者になるようなもので。ほとんどの人が第一次産業に携わってるわけですから、当時の考えでは“働きもしないで唄ばっかり唄って……”と言われたはずです」
――中学・高校時代の大島さんはギターを弾いていたんですよね。当時はどういう音楽が好きだったんですか?
 「僕の時代だとフォーク時代の長渕剛さんとか吉田拓郎さんとか井上陽水さんとか。あとね、沖縄ではふきのとうがものすごく人気があったんですよ。なにせ田舎ですから、なかなか自分たちでレコードを買えないんです。それで先輩から聴かせてもらうしかない。そういう意味では同世代の人たちとは少し(聴いているものが)ズレていると思いますよ」
――そして、高校生のときに郷土芸能クラブの仲間とゆらてぃく組を始めたと。
 「いや、ゆらてぃく組を組んだのは高校を卒業した後ですね。高校生当時は三線を弾く子が少なかったんですよ。郷土芸能クラブで三線を弾いていたひとつ先輩の新良幸人が卒業してしまうと三線を弾く人がいなくなってしまうと。それで僕が呼ばれて郷土芸能クラブを手伝うことになったんですけど、可愛い子ばっかりだったんですぐ入ることにして(笑)。ゆらてぃく組はその後、高校を卒業してから始めました」
――それ以前から三線は普通に弾けるようになっていたんですね?
 「祭りや行事があると弾かされるんで、“弾け”と言われれば弾けるぐらいの腕ですけど。郷土芸能クラブで〈この曲を弾いてくれ〉と言われれば大抵弾けましたし、弾けない曲もじいさんに聞けば教えてもらえたので」
――大島さんのように 「“弾け”と言われれば弾ける」ぐらいの生徒は結構いたんですか?
 「いや、少ないですよ。沖縄民謡界全体に言えることなんですけど、沖縄が変化しつつあった高度成長期前後の沖縄じゃ三線どころじゃなかったから50代の歌い手が少ないんですよ。40代の後半から50代が少ない。60代になると(知名)定男さんや(照屋)林賢さん、(喜納)昌吉さんなどがいますけど、その世代の下がいなくて、そのさらに下に僕らの世代がいる。僕らより下、30代〜20代の世代はたくさんいますよ」
――郷土芸能クラブで島唄に向かい合ったとき、それまで知らなかった島唄の魅力に気づいた?
 「いやー、漠然とやっていただけですからね。僕の場合、島唄を意識するようになったのは島を離れてから。僕らから見ると那覇も大都会なわけで、そういう町に出てから自分の島の唄に誇りを持ち始めたわけで。島に残っていたら分からなかったと思う」
――ものすごく素朴な質問なんですが、“島唄”と一言で言っても八重山と沖縄本島、それと宮古でスタイルが違うと言われていますよね。具体的にはどう違うんですか?
 「一番大きいのは言葉ですね。言葉が違うということは旋律も違う。方言にはメロディがあるんですよ。八重山の方言は柔らかいので美しいメロディが多いし、宮古のほうは純粋で無駄がなく、ストレート。それゆえに素朴な美しさがあるんです。沖縄本島のほうは南部・中部・北部で全然言葉が違うんですよ。そういう意味で幅は広いですよね。それと、三線も旋律が違ければ弾き方も違うし、調弦も違う。八重山は本調子・二揚という調弦なんですが、沖縄のほうにいくと三下げ。だから〈ドミファソシド〉という音階は沖縄本島に多いものであって、あれが琉球音階というわけではないんです。八重山では全部の音階を使いますから」
――なおかつ厳密に言っていけば、同じ八重山、それこそ石垣のなかでも村ごとに違う唄があると。
 「そうなんです。昔は今よりもさらに違っていたんですよ」
――大島さんの世代はその違いを子供のころに体感していたわけですよね。
 「ただ、明治時代あたりはもっと違っていたわけですよ。白保で生まれた人は亡くなるまで白保で暮らし続けていて、隣の村では同じようにその村で亡くなっていく人がいて。僕の子供の頃はその世代の人たちがそういう違いをリアルに見せてくれましたからね。彼らは当然方言しか喋らないし、その言葉の感覚はまだ僕の中にも残っていて、それがメロディとして出てくるわけです。村の外ではまったく知られていない名人がたくさんいたんですよ。それこそ嘉手苅林昌さんのような雰囲気の名人が」

『島渡る〜Across the Islands〜』

――なるほど。新作(『島渡る〜Across the Islands〜』)に話を移したいんですが、今回は全曲オリジナルで構成されていますね。
 「今回のアルバムに入っている<マンタラ祝>とか<〜与那岡(ゆなむり)>のような古い民謡調の曲を書けるようになるまで20年以上もかかってしまったんですけど、こういう曲が一番難しい。たくさんの曲を理解したからといって書けるわけでもないし、感性だけでも書けない。複合的な要素がないとなかなか書けないんです。だから、今回こういう民謡調の曲を書けたのが一番嬉しいんです。『島時間〜ISLAND TIME〜』(2002年)ではこういう曲が書けなかったから古い民謡を入れたんですけど、今回も古い民謡を入れちゃうと10年前と一緒になりますから、今回はあえてそういう曲も作ってみよう、と」
――昔は伝統的な島唄に対して憧れとか畏怖みたいな感覚があった?
 「うーん、まあ、いろんな音楽を吸収したのが良かったんでしょうね。宮古や沖縄、外国の音楽を聴いてきたので。あとね、島唄は時間がかかりますよ。唄にしても三線にしても。僕も20年間やってきてようやく掴みかけたような感覚がありますよ。まだ入り口に立ったばかりというか」
――その“ようやく掴みかけた”とはどういうことなのか、言葉にするのは難しい感覚なんですか。
 「唄うときに力が入らなくなったということですね。どういう唄でも構えなくなった。いちいち考えなくても声に出せるようになってきたんでしょうね。それは精神的な成長もあるんだろうし、技術的なこともあると思います。あと、どんな唄でもフラットに唄えるようになるためには素晴らしいミュージシャンが横にいる必要があった。だから、今回のレコーディングも細かいところは近藤(研二 / ギター)さんに委ねてましたから。一番慣れている近藤さんとサンデー(太鼓)と初日に7曲ぐらいベーシックを録ったんですよ。あの2人だとそれぐらいすぐに録れちゃうんです」
――ところで、日本各地でさまざまな民謡が歌われていますけど、沖縄のように次々に新曲が生まれている土地って他にないですよね。それはなぜだと思いますか?
 「第一に沖縄では生活の中に唄があるということですよね。結婚式の余興では必ず三線を弾く人がいますしね。カラオケなんか歌ったら怒られますから(笑)。きちんと流れがあるんですよ。座を開く唄があって、おじさん・おばさんが教訓唄を唄って、シメの言葉があって、最後はみんなで踊って、<弥勒節(みろくぶし)>でシメる。沖縄でラジオを付ければ、どこかで島唄が流れてきますからね。生活の中に入り込んでいる。もちろん僕らが子供の頃と比べればだいぶ変わりましたけど、まだ残っているんです。三線など楽器に触れる機会も他の地域とはまったく違うと思いますしね。僕の村では三線がない家を探すほうが難しいんですけど、東京だと三味線がある家を探すほうが難しいですよね」
――そうですね、まさに。
 「あとは普久原朝喜さん以降、先輩方が曲を作り続けたことですね。だから僕らも作らなきゃいけないし、それが使命でもあるんです」
――若い人はどうですか?
 「みんな技術は高いですよ。その中で誰が個性を発揮して抜きん出てくるか。僕らは定男さんや林賢さん、昌吉さんが戦っている背中を見ながら育ってきたので、僕ら40代の面々が切り開かないといけないとは思ってます」
――じゃあ、そろそろ大島さんに刺激を受けて出てくる若手がいるかもしれませんね。
 「どうでしょうね。今の若い子たちはみんないい子なんですよ(笑)。大人しいというか。でも、そのなかにもギラギラしたヤツも何人かいるんで、楽しみですね」

■オフィシャル・サイト www.oshimayasukatsu.com

■Twitter http://twitter.com/oshimayasukatsu
[大島保克 島渡る CD発売記念コンサート]

■ 東京
5月13日(日) 東京 吉祥寺 スターパインズカフェ
開場 18:00 / 開演 19:00
[出演] 大島保克(唄・三線) / 鳩間可奈子(唄・三線) / 近藤研二(ギター)
前売 4,000円 / 当日 4,500円 (共に別途ドリンク代600円)
※お問い合わせ・ご予約: キャンパス 098-932-3801

■ 大阪
5月25日(金) 大阪 umeda AKASO
開場 18:00 / 開演 19:00
[出演] 大島保克(唄・三線) / 近藤研二(ギター) / サンデー(太鼓)
前売 4,000円 / 当日 4,500円 (共に別途ドリンク代)
[チケット] ぴあ(P: 166-157) / ローソン(L: 57151) / e+ / umeda AKASO
※お問い合わせ: umeda AKASO 06-7897-2454(info@akaso.jp)

■ 名古屋
5月26日(土) 愛知 名古屋 得三 TOKUZO
開場 18:00 / 開演 19:00
[出演] 大島保克(唄・三線) / 近藤研二(ギター) / サンデー(太鼓)
前売 4,000円、当日 4,500円 (共に別途ドリンク代)
[チケット] ぴあ(P: 166-832) / TOKUZO
※お問い合わせ: TOKUZO 052-733-3709 info@tokuzo.com

■ 沖縄
7月7日(土) 沖縄 那覇 桜坂劇場 ホールA
開場 18:30 / 開演 19:00
[出演] 大島保克(唄・三線) / 近藤研二(ギター) / サンデー(太鼓)
前売 3,500円 / 当日 4,000円 (共に別途ドリンク代300円)
[チケット] 桜坂劇場 / ファミリーマート各店 / e+ / ローソンチケット / チケットぴあスポット / リウボウ8階プレイガイド / キャンパスレコード(コザ)
※お問い合わせ: 桜坂劇場 098-860-9555

[大島保克 ソロライブ]

5月27日(日) 石川 金沢 もっきりや
開場 17:00 / 開演 18:00
前予約 3,500円 / 当日 4,000(共に別途オーダー)
※お問い合わせ・ご予約: もっきりや 076-231-0096(営業時間12:00〜24:00)
メールでのご予約 mokkiriya@spacelan.ne.jp
(お名前・電話番号・ライブ名・枚数をお知らせ下さい)

[大島保克 島唄ライブ]

6月9日(土) 静岡 沼津 沖縄茶屋なんくる
開場 17:30 / 開演 19:00
3,500円(別途オーダー)
※お問い合わせ・ご予約: 沖縄茶屋なんくる 055-925-5511

[大島保克 「八重山の歌会」 共演: 鳩間可奈子]

6月29日(金) 神奈川 横浜 Thumbs Up
開場 18:30 / 開演 19:30
[出演] 大島保克(唄・三線) / 鳩間可奈子(唄・三線)
前売 3,800円 / 当日 4,300円(別途オーダー)
※お問い合わせ・ご予約: サムズアップ 045-314-8705

[大島保克 島唄ソロライブ]

6月30日(土) 長野 ネオンホール
開場 18:30 / 開演 19:00
前売 3,500円 / 当日 4,000円(別途ドリンク代)
[チケット] メール予約(info@neonhall.com)にて受付
※お名前・電話番号・枚数・公演名を明記してください。
※お問い合わせ: ネオンホール 026-237-2719(水〜日 18:00〜)
弊社サイトでは、CD、DVD、楽曲ダウンロード、グッズの販売は行っておりません。
JASRAC許諾番号:9009376005Y31015
Copyright © ONGAKU SHUPPANSHA Co.,Ltd. All Rights Reserved.