音の向こう側 〜 ヴァイオリニスト吉田恭子のクラシック案内 - 第3回 【portrait】チャイコフスキーの素顔
掲載日:2009年9月30日
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 9月16日にリリースされた私の新しいアルバム(写真)は、チャイコフスキー『ヴァイオリン協奏曲&瞑想曲集』です。皆さんも『白鳥の湖』や『くるみ割り人形』『眠りの森の美女』といったチャイコフスキーの音楽を、きっとご存じのことと思います。私たちヴァイオリニストにとっても、この協奏曲はもちろんのこと、小さい頃から小品を演奏したり、音大のオーケストラで交響曲を学んだりして、とても身近に感じる作曲家のひとりです。

 でもじつは私自身大学生の頃まで、チャイコフスキーの生い立ちなどについてはほとんど知りませんでした。それが、彼の屈折した人生と苦しみを垣間見たとき、それまで勉強していた旋律のいろんなことが、「あっ! だからか」と“ほどけた”経験があります。

 ロシアのウラル地方ヴォトキンスクで鉱山技師の家庭に生まれたチャイコフスキーは、音楽の道に進むことを望んでいたのですが、10歳のときに寄宿制の法律学校に入れられてしまいます。この年頃の子どもにとって、親元を離れて暮らすだけでも寂しいのに、14歳のとき、なかなか会えなかった母親が若くして亡くなってしまうのです。彼はずっと孤独でした。

“孤独な作曲家”というと、よくブラームスが例に出されるのですが、ブラームスが孤独を愛した作曲家だったのに比べて、チャイコフスキーは孤独であることに耐えられなかった作曲家だと思います。人恋しく寂しい彼の心情は、現在よく知られているように、同性愛に向かいました(法律学校は男性ばかりでしたし……)。女性には心を開けなかったのでしょう。自分に自信がなかったのかもしれません。

 当時、同性愛はけっして許されないことでしたから、彼はそれをひた隠しにして、37歳のとき、カムフラージュのために女性と結婚をします。しかしそれもすぐに失敗に終わって、精神的に追いつめられたチャイコフスキーはモスクワ川で自殺未遂を……。そんな心の傷を癒すため、逃げるように療養に出かけたスイス・ジュネーヴ湖畔の町、クラレンスの美しい自然の中で完成させたのが、バレエ『白鳥の湖』やオペラ『エフゲニー・オネーギン』、そして「ヴァイオリン協奏曲」などの傑作です。心身ともに疲れきっていたはずですが、創作活動はとても充実していた時期なのですね。

 そんな人生の中で培われていった内向的で複雑な性格の情緒が、チャイコフスキーの作品にとても色濃く現れているように私は感じます。人生や生活が、密接に音楽に反映されている作曲家だと思うのです。

 ほかにも、一度も会うことがないまま14年間も、当時の一般的な年収の十数倍もの資金援助を続けたパトロン、フォン・メック夫人との不思議な関係や、交響曲第6番「悲愴」を初演した直後の謎の死であるとか、チャイコフスキーの人生はドラマのようなエピソードに事欠きません。

 幼い頃に音楽の英才教育を受けずに育ったことは、チャイコフスキーの音楽に大きな影響を与えています。学ぶべきことをあまり学んでいない良さというのでしょうか。絵の世界でも、独学で学んだ画家が、その人独自の世界を持っていることがよくありますよね。

 そんなチャイコフスキー独自の音楽を物語るような作曲技法について、ちょっとした“ミニ知識”をご紹介しましょう。

 『白鳥の湖』というと思い浮かぶ、皆さんご存じのとても有名なメロディは、〈情景〉という部分です。その始まりのところを音名で書くと、“ファーシドレミファー”になります。つまり2番目の音からは“シドレミファ”と単純な音階になっているのです。そのあと徐々に盛り上がっていくところも、“シー|ドーレーミーファソ|ラーソファ|”と音階がそのままメロディになっています。ほかにも、たとえばやはり彼の代表曲である「弦楽セレナーデ」の第2楽章〈ワルツ〉の出だしも、“シド|レミファ|ソーラ|シレー”という音階のフレーズ!

 子どもの頃から英才教育を受けてきた作曲家は、たぶんこんなことはしません。でもチャイコフスキーには、子どもでも弾けるような単純なメロディが意外に多いのです。それが彼の手にかかると、半音階の和音とともにあんなに美しい名曲になるんですね。そして単純なメロディだからこそ親しみやすいし覚えやすい。これって、すごいことだと思いませんか?


photo:斎藤涼介(ZiZi)




ピョートル・チャイコフスキー(1840〜1893)


 『白鳥の湖』『眠れる森の美女』『くるみ割り人形』の三大バレエ音楽、そしてたくさんの優れた交響曲、協奏曲などを残したロシア・ロマン派の巨匠。
叙情的でロマンティック、その親しみやすいメロディから絶大な人気を誇るチャイコフスキー。

 14歳で母を亡くし、聾唖の障害を持ち、ガラスのような繊細な子ども時代は、孤児や可哀想な動植物、弱いものへと心を開いて過ごします。
いったんは法律の学校へ進み、法務省に勤めますが、音楽への想いは募るばかりでした。

 また、若くから同性愛者である彼は、言葉の代わりに“音楽”で自己に内在する感情を表現し、自らの内向的な性格、心の内を明かしました。
チャイコフスキーの内に秘めた熱い想い、繊細で独特な旋律の情緒は、波のように聴くものの心に大きく揺さぶりかけます。

 私はチャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」を演奏させていただきながら、ときに〜桃色の風〜包まれ、またときに〜金色色〜のロシアの大地の薫りを想います。

→ 次回はコンサートの舞台裏を明かします!
【吉田恭子 最新作】
吉田恭子(vn)広上淳一指揮オーケストラ・アンサンブル金沢
『チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲&瞑想曲集』
(QACR-30005 税込2,800円/SHM-CD仕様)
[収録曲]
01. チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調op.35
02. グラズノフ:瞑想曲op.32
03. マスネ:タイスの瞑想曲
[録音]
2009年 石川県立音楽堂

【第10回 吉田恭子ヴァイオリンリサイタル】
11月9日(日)東京・紀尾井ホール

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