音の向こう側 〜 ヴァイオリニスト吉田恭子のクラシック案内 - 第5回【Strings】魅惑の楽器ヴァイオリン
掲載日:2009年10月28日
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吉田さん愛用のヴァイオリン
photo:斎藤涼介(ZiZi)
 皆さんはヴァイオリンという楽器が、この世に生まれた16世紀からまったく形を変えていないということをご存じでしょうか。

 たとえば、ピアノやトランペットなどの楽器は、誕生以来、何度も改良が加えられて現在の形になっています。楽器だけでなく、乗り物やお洋服、日用の身の回りの道具も、時代に沿って進化してきました。それなのに、ヴァイオリンはずっと変わらず昔から今の形なのです。最初から楽器として完成された形だったのですね。これって、じつはとても魅力的なことだと思いませんか。

 その最初のヴァイオリンを作ったのは、一般にアンドレア・アマティだと言われています。16世紀に北イタリアのクレモナという街で活躍した楽器職人です。彼の子孫やその弟子たちの系列からは、ニコロ・アマティや、有名なアントニオ・ストラディヴァリ、グァルネリ・デル・ジェスといった、多くの優れたヴァイオリン製作者が育ち、クレモナはヴァイオリンの聖地として有名になりました。

 アントニオ・ストラディヴァリの名前はきっとみなさんも耳にしたことがあるのでは? 彼の手がけた楽器が、現在では数億円もの値段で取引される歴史的な名匠です。ストラディヴァリの楽器はとても精巧に作られていて、女性の身体にも喩えられるフォルムの正確な滑らかさ、ニスの輝かしさ、誰が見てもため息が出るほど美しいものです。

 かたやグァルネリも、ストラディヴァリと並び称される名器をのこした天才です。とても信仰を重んじた人で、デル・ジェスというのはニックネームで、“イエスの(del Ges)”という意味があり、彼が作った楽器の内部に貼られているラベルには、十字架の絵とともにサインがあります。最近ちょうど私の師でもあるアーロン・ロザンドさんの名器デル・ジェスの“コハンスキ”が、大変な高額でロシアの富豪に譲り渡されたと話題になった名匠です。

 ストラディヴァリとグァルネリ。この二人による楽器が、ヴァイオリニストの人気を二分しています。二人の工房は隣り合わせにあったらしいのですが、楽器の特徴は大きく違うのです。

 ストラディヴァリが細部の装飾にいたるまで非常に緻密に美しく作られているのに対して、グァルネリは“f字孔”と呼ばれる穴の形や大きさが左右対称でなかったり、ニスの色も楽器によってまちまちだったりします。もちろん音も大きく違っていて、ストラディヴァリは“天使のような声”と形容される濁りのない音であるのに対して、グァルネリは、強く激しい情念を感じさせるような音、また得も知れぬ深い優しさ、哀しみを音に持っているのが魅力です。

 音が違えば、もちろん奏法も違ってきます。そのためストラディヴァリを弾く演奏家はずっとストラディヴァリを好んで演奏していきますし、一度グァルネリを弾き始めた人はストラディヴァリにはあまり興味がないことも。

photo:斎藤涼介(ZiZi)
 私が師事したアーロン・ロザンドさんは、現在82歳になられますが、21歳の時からずっとグァルネリの“コハンスキ”を演奏していらっしゃって、その名器と数えきれない舞台、また沢山の録音を残されてきました。歴史上の奏者では、ニコロ・パガニーニがデル・ジェスの“カノン”、ユーディ・メニューインもデル・ジェスの“ロード・ウィルトン”と、グァルネリを愛してやまなかったヴァイオリン奏者です。

 もちろん、どちらの楽器も数が限られていますし、音楽家人生の中、必ず彼らの作った楽器に巡り会えるとは限りません。今ではテクノロジーの進化とともに、世界的にも多くの研究がなされ、楽器のニスや製作方法、材質などが探求されていますが、いろいろな理由で1700年代初期、クレモナの黄金期に作られた楽器を越える音色を持つものは、残念ながら生まれません。だからこそ、人はストラディヴァリとグァルネリの魔力に魅せられていくのでしょう。

 じつは楽器だけではなく、弓も今ではとても高価なものになっているのです。弓職人にはフランソワ・トルテやドミニク ペカットという名匠があげられます。ヴァイオリンはイタリアのクレモナですが、弓の優れた職人はフランスで生まれました。ヴァイオリンの音色は、弓を持つ右手の技術によるものがとても大きいので、芯の強いバランスのとれた弓に巡り会うことはとても重要です。

 ほかにも、弓に張られている馬の毛も、その馬の産地や種類によって(たとえばイタリア産、シベリア産、モンゴル産などが有名)、やわらかい音、激しい音を出すのに向いているとか、それぞれに個性があります。平均的にはだいたい170本ぐらいの毛を張るのですが、弓のバランスやテンションを考えてそれを150本ぐらいにする人がいたり、持ち手のところに小さな鉛を巻いてウェイトを調整したりする人もいます。顕微鏡で見せてもらったことがあるのですが、本当にいろいろな種類があるんですよ?。

 楽器の弦についても、最近ではさまざまな種類が改良されているので、弦の組み合わせだけでも極端にいうと幾百通りもできてしまいます。こだわりすぎてしまうと、何がいいのか分からなくなってしまいますが、そのつど風土や演奏スタイルに合わせて、最良の音を追求するのは楽しいことです(笑)。

 300年間という長い年月の中、まったく姿を変えないヴァイオリン。憂いと哀しみのある生の声を、ぜひ皆さんに聴いていただきたいです!



シャルル・カミーユ・サン=サーンス(1835〜1921)


 19世紀フランス音楽を代表する巨匠、カミーユ・サン=サーンス。
 パリで生まれ、幼少の頃から並外れたピアニスト、オルガニストとして活躍し、リストからは「世界で一番偉大なオルガニスト」、ベルリオーズからは「サン=サーンスは何もかも心得ている。足りないのは未知の経験だけだ」と絶賛されていました。
 若い頃から音楽の才能に恵まれていたサン=サーンスですが、40歳で教え子の妹と結婚をするものの次々と二人の息子を亡くし、深い哀しみと失意のどん底から蒸発してしまいます。
 また、古典的かつ近代的な思想の持ち主であったサン=サーンスは、ドビュッシーなどの新しい音楽に閉鎖的で、徐々に音楽会からも遠ざかっていきました。
 しかし、不思議とこの頃から作曲家としての才能は発揮され、なかでも「動物の謝肉祭」、オペラ『サムソンとデリラ』、交響曲第3番「オルガン付き」、交響詩「死の舞踏」など、今日私たちが楽しんでいる数々の名作が生み出されるのです。
 ぴりぴりとしたエネルギーとドラマティックで表情豊かな旋律、人間の持つ皮肉や感情の揺れ動く様子が見事に音楽に表現されています。
 フランスのエスプリ薫るカミーユ・サン=サーンス、大陸風土が心の情感と交わった〜橙色の吹く〜音色。

→ 次回は“絵画と音楽”の関係をご紹介します!
【第10回 吉田恭子ヴァイオリンリサイタル】
●10月28日(水) 18:45
名古屋・宗次ホール
[共演]ピアノ:加藤洋之
問:宗次ホール [Tel]052-265-1715

●11月9日(月) 19:00
東京・紀尾井ホール
[共演]ピアノ:白石光隆
問:ヤマハ エーアンドアール [Tel]03-6894-0222

[曲目]
モーツァルト:ヴァイオリンソナタ第24番
サン=サーンス:ヴァイオリンソナタ第1番
イザイ:無伴奏ヴァイオリンソナタ第4番
ショーソン:詩曲
サラサーテ:モーツァルトの歌劇「魔笛」による幻想曲
【吉田恭子 最新作】
吉田恭子(vn)広上淳一指揮オーケストラ・アンサンブル金沢
『チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲&瞑想曲集』
(QACR-30005 税込2,800円/SHM-CD仕様)
[収録曲]
01. チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調op.35
02. グラズノフ:瞑想曲op.32
03. マスネ:タイスの瞑想曲
[録音]
2009年 石川県立音楽堂
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