デペッシュ・モード   2009/04/21掲載
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PVを観ながら振り返る、デペッシュ・モードの軌跡



 約30年と息の長い活動を展開する中でコンスタントに作品を発表し続け、常に高い評価を獲得してきたデペッシュ・モード。変わらぬ美意識を持ちながら常に進化し続ける彼らの活動を追いかけながら、その魅力について探ってみたい。ヴィジュアル・イメージの鮮烈さでも他の追随を許さない、彼らのアーティスティックなプロモーション・ビデオもお楽しみください。

 日本と海外の人気にギャップがあるアーティストは少なくないが、デペッシュ・モードはなかでも極めつきの大物と言える。欧米ではスタジアム・クラスのツアーをするほどのスーパー・グループなのに、日本では知名度こそそこそこあるものの、とても正当に評価されているとは言い難い。だいぶ前の話だが、アメリカからの帰国子女で知られる某女性タレントがデペッシュ好きで、とてもそんな音楽が好きなタイプには見えなかったので理由を尋ねると「人生に悩みながらもマジメに向き合っている姿勢に共感できるから」というような意味のことを答えたことがある。つまり欧米では歌詞がその大きな魅力となっているようなのだ。その痛みや苦しみ、悲しみに満ちた歌詞世界には、罪や罰、祈り、懺悔、堕落、愛とセックス、死などのタームが飛び交い、たとえば「ぼくたちは傷んだ人間/堕落した魂」(「ダメージド・ピープル」)といった人間のダークサイドを真正面から見つめ、救済を求めるような祈りにも似た荘厳なメッセージに満ちており、とくにキリスト教的な倫理観や価値観が大きな影響を及ぼす欧米の人たちに対しては強くアピールするものがあることは容易に想像がつく。そのシリアスでヘヴィな歌詞世界を、重々しくダークなエレクトロ・サウンドは完璧に表現しているのだ。それがデペッシュのオリジナリティであり、その表現世界は単に音響的な快楽や暇つぶしの娯楽にとどまらず、聴く者に人生の指針を与えるほどの深く強い共感を呼び起こすわけである。それが英語のわからない日本人には通じにくいのだろう。


 とはいえ、最初からそうだったわけではない。むしろ最初期の彼らは現在とはほぼ正反対のイメージだった。1980年にヴィンス・クラーク(key)、マーティン・ゴア(g、syn、programming)、アンディ・フレッチャー(key)、そしてデイヴ・ガーン(vo)の4人でロンドンにて結成されたデペッシュ・モードは、81年に現在でも所属するミュート・レーベルからファースト・シングル「ドリーミング・オブ・ミー」を発表。当時メンバー全員がまだ19歳という若さだった。初期デペッシュはヴィンスがほとんどの曲の作詞曲を手がける、実質的な彼のワンマン・グループだったと言っていい。「キャント・ゲット・イナフ」や「ニュー・ライフ」が当時の典型的なデペッシュ・サウンドで、これぞまさにテクノ・ポップ!といった感じの、明るくチープでポップな、弾むようなオプティミスティックなサウンドは、ニューウェイヴ全盛期のイギリスに新鮮な風を巻き起こした。81年発表のファースト・アルバム『ニュー・ライフ』は全英チャート10位に入るヒットとなって、後に屈指の電脳音楽レーベルとして名をはせるミュート・レコードのイメージをも決定づけたのだった。


 ところが絶対的リーダーだったはずのヴィンスが、ツアーやプロモーション活動をいやがりわずかアルバム1枚でバンドを脱退してしまう。代わってマーティンがメイン・ソングライターとなってバンドは危機を回避。メランコリックで内省的な作風のマーティンの才能が花開くきっかけとなる。さらにヴィンスの後釜としてアラン・ワイルダーが参加、バンドは当時ベルリンから登場して大きな衝撃を与えていたアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンに強く触発され、メタル・パーカッションが乱舞する硬質なインダストリアル・サウンドと、彼ららしい叙情性を融合させた新しいサウンドへと大胆に変身。3作目『コンストラクション・タイム・アゲイン』(83年)、『サム・グレイト・リウォード』(84年)がその時期の作品で、「ピープル・アー・ピープル」「マスター・アンド・サーヴァント」などがヒット。何種類ものリミックス・シングルを大量にリリースして、アルバムとも7インチ・シングルとも違う、12インチ・シングルという新しいメディアをロックに定着させた。


 とくに当時最尖鋭だったプロデューサー、エイドリアン・シャーウッドがリミックスした過激なヴァージョンが、後のナイン・インチ・ネイルズなどに与えた影響はきわめて大きい。またこのころから社会的なテーマや宗教を取り扱った曲も増え、初期のチープなテクノ・ポップ・イメージはほぼ払拭された(そうした初期デペッシュのイメージは、後にヴィンスが結成したイレイジャーに受け継がれた)。


 その後バンドはさらに重厚でゴシックなサウンドへと変化、電子音らしさというより、生音のシミュレーション的なナチュラルな音色を強調し、ギターや壮大なオーケストレイションなども導入したスケールの大きなものとなり、歌詞の内容も死や孤独、疎外感、神といったものを描く内向的な内容となる。比例するようにバンドは加速度的に存在感を高め、90年に発表された7枚目のアルバム『ヴァイオレーター』は全米だけで350万枚を売り上げる最大のヒットとなり、続くオルタナ・ロック色濃い『ソングス・オブ・フェイス・アンド・デヴォーション』(93年)は、英米で初のチャート1位を記録、ついにデペッシュは世界の頂点に立ったのである。


 しかし95年になってサウンドの要だったアランが脱退、さらにデイヴが重度のドラッグ中毒から自殺未遂を図り、マーティンはアルコール依存症に苦しむなどバンドは危機に。再起をかけた9作目『ウルトラ』(97年)も行き詰まり感は免れない出来だった。ところがビョークなども手がけたLFOマーク・ベルがプロデュースして最新のエレクトロニカなどの要素を加えた10作目『エキサイター』(01年)あたりからツキモノが落ちたかのように、彼らのサウンドにはある種の軽やかさと風通しの良さが出てきた。


 さらにデイヴやマーティンのソロ活動、11作目『プレイング・ジ・エンジェル』(05年)を経て、今年になって待望の最新作『サウンズ・オブ・ザ・ユニバース』を発表。アナログ・シンセをはじめとするヴィンテージ機材を数多く使用し、自然で温かい肌触りと、電子音特有の太い音色がうまく溶け合ったデペッシュらしい世界を作り出している。また楽曲の質はここ20年で一番と言っていいほどで、メロディにキレのある曲を揃え、アルバム全体の構成や流れもスムース。ここ最近のデペッシュの達した高みが実感できる見事な完成度のアルバムに仕上がっている。

 2006年に出た『プレイング・ジ・エンジェル』のツアーの様子を収めたライヴDVD『ツアーリング・ジ・エンジェル-LIVE DVD-』を観ても、近年の彼らの充実ぶりがわかる。ここはぜひ90年以来の来日を期待したいところだ。



文/小野島 大



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