やっている事にはすべて理由がある――山崎マゾ、MASONNA25年の歴史を語る

MASONNA   2012/12/28掲載
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レイト80sからアーリー90sにかけて増殖、オルタネイティヴ・ミュージックの極北として世界を震撼させたターム“ジャパノイズ”。“キング・オブ・ノイズ”非常階段、“ノイズ・ゴッド”MERZBOWを筆頭とするアーティストたちと並び、ワールドワイド・リスペクトを一身に浴びる山崎マゾ氏によるソロ・プロジェクト、MASONNAが今年で祝活動25周年!ハーシュ / パワー・エレクトロニクスのエクスペリメンタルな手法をオーセンティックと言える“ロック”のスピリットに投入、MC5であれば“Kick out the jams, mother fucker!”、MOB 47であれば“Karnvapen attack!”等、冒頭のシャウトを沸点とする感覚を大増幅するかの如きパフォーマンス・スタイルは現在もなお唯一無比。15周年を記念してリリースされた『Shock Rock』以来実に10年ぶりとなる新作リリースを控える山崎氏に、25年分のMASONNAヒストリーを語っていただきました。
photo: はたさちお
――25周年おめでとうございます。この時間で25年の歳月を語るのは難しいかと思いますが、現在に至るまでの道程をお聞かせください。
 「はい。まず始めた時の事からですよね。MASONNAとして録音を始めたのは1987年なんですけど、その前にバンドをやっていたんですよ。地元の友達らと田舎町でパンク・バンドを」
――どんなスタイルのバンドだったのですか?
 「その頃、自分が16、7歳くらいの時っていうのは、スターリンがメジャー・デビューしたり、あとまあ “インディーズ”がすごく盛り上がってきてたんですね。スターリンのギターのタムがADKレコードを始めたり。『Outsider』ってコンピとかもその頃に手に入れたんかな、ハードコア・パンクも盛り上がってきて、AAの『ハードコア不法集会』(『Hardcore Unlawful Assembly』)、メジャーからは『Great Punk Hits』とか出て予約して買ったな。DISCHARGEDISORDERCHAOS U.K.なんかは日本盤も出てたんで田舎のレコード屋でも買えたし、GBHも来日したり。あとポジティヴ・パンクね。SEX GANG CHILDRENとか、そういうのも出てきて。リアルタイムでそこらへんを聴いていったから、もうアンダーグラウンドなもんしか買わなくなってた。初めやってたパンク・バンドは、まあスターリンとかADKレコードから出てたバンドの影響を受けて始めたものだったんですけど」
――パートは何だったのでしょうか。
 「ヴォーカルですね」
――その頃の音源は残っていたりするんですか?
 「はい。MCR COMPANYから出してて」
――そうなんですか!?
 「MCR COMPANYって、当時は地元周辺のバンドしか出してなかったんですよ。FUCK GEEZを中心にね。僕がやっていたのはTHE SADISTっていうバンドだったんですけど」
――あ〜、そうだったんですね。
 「あんまり公には言ってなかったんですけど(笑)。THE SADISTでライヴ・デビューしたのが1984年なんですよね。だからもうすぐ30周年ですね。編集CDを作ろうかって話も出てきて、当時のデモテープ的な物も見つけて聞いてたんだけどサウンドの変化がその頃の興味の移り変わりと分かりやすくリンクしてましたね。ハードコア的になったりサイキックなポジパンみたいな曲になったりと。解散直前に録った未発表のなんかはSEX GANG CHILDRENの影響がモロだった」
THE SADIST
"Onapet"
flexi

MCR COMPANY, 1986
――THE SADISTでの活動はどれくらい続いたのでしょうか。
 「THE SADISTは、メンバーが皆高校生とかやったんで、卒業したら一旦終わっちゃうんですよね。まあ京都でも日本海側の方の田舎でやったんで、卒業したら地元を離れて大学に行ったり、就職したりで。同時に仲間の間でもインディーズのパンク・ブームみたいなのが落ち着いてきてしまって。今でもパンクは大好きなんですけど、その後あたりから実験的なものにどんどんと、のめり込んでいくんですよ。ノイズ、インダストリアルやジャンクなんかを聴き始めてて。最初はまあ、まだサイズが小さかった頃の『FOOL'S MATE』にね、そういう記事が載っていて。広告があったノイズ専門店みたいなところで通販してたんですね」
――その当時の“ノイズ”というとどういった感じだったのでしょうか。
 「1980年代の海外のノイズっていうか。だから、自分が聴いてた感じで言うとNURSE WITH WOUNDとか。ETANT DONNESも好きやったな。ハーシュなものより、ストレンジな感じの方が好きだったんですよ。ヘンな編集とか、意外性のあるカットアップとか。まあNURSE WITH WOUNDが正にそうなんですけど」
――ちょっとサイケデリックな感じですよね。
 「そうですね、初期のNURSE WITH WOUNDはサイケデリック的ですよね。でも4枚目以降の独特のコラージュ感を確立させてからの方が影響を受けたんですけどね。最初の3枚は垂れ流してる感があるけど、その後は展開に予想がつかないというか、凄まじいオリジナリティで新鮮でしたね。そういうものを色々聴いていた頃にハードコアのめちゃめちゃ速いのが出てきたんだったかな」
――グラインドという事ですか。
 「うん、まあSxOxBとかね。彼らが出てきたのはもうちょっと前だったとは思うんですけど。その感覚でノイズをやりたいって思ったんですよ。速いの。バンドが解散した時に、メンバーで練習すんのとか面倒臭いなって思ってて(笑)。バンドのエネルギーって、メンバー1人1人の個性やエネルギーが合体してすごいパワーが出るんだけど、自分の個性だけを増幅してそのパワーを出すというのかなあ。1人やったら誰にも文句言われへんし、練習とか何もせんでいいし、意見も聞かなくていいし(笑)。スタイル的には、SxOxBとかNAPALM DEATHみたいなグラインドの速い感じを、楽器もメンバーも曲も無しでやるっていう(笑)」
――曲はあるじゃないですか(笑)。
 「再現出来ない曲じゃないですか(笑)。そういう、常識的なものを一切払いのける感じで」
――その思考に至るきっかけみたいなものはあったのでしょうか。
 「まあやっぱり、人と違った事がやりたかったんですよ。自分が聴きたい音を追求するっていうのは初めからあるんで。たぶんMASONNAの前にもノイズっぽい事はやってたと思うんですよ。真似事みたいな感じで」
――バンドをやられていた時にですか?
 「そうそう。バンドの終わりかけの頃かな。リズムボックスが入ってグシャグシャっとしたのを、4チャンネルのMTRで録ったりしてやってたな。2本くらいカセット作ったと思うんですよ。バンドで会った人に渡したりしてた。その時はまだ、ちょっと実験的な事をやってみよう、くらいの気持ちだったんですけど」
――当時、すでにMERZBOWINCAPACITANTSなどは活動されていたと思うのですが、そちらから影響を受けるような事は無かったのですか?
 「影響的にはそうですね。ジャンルとしてノイズっていう事にはすごく拘ってたんですけど……。例えばSONIC YOUTHがノイズやって言われてたりしたじゃないですか。あれはバンドやからノイズじゃないっていうか。そういう拘りはあるんですけど、もっとパンクだっていう」
――所謂“ジャパノイズ”の中でも山崎さんは少し毛色が違う感じがするのは、そういう部分なんでしょうか。ひとかたまりに呼ばれがちですけど……。
 「まあそれは構わないんですけど(笑)。どうなんですかねえ」
MASONNA
"Ultimate Collection Vol.1"

Alchemy, 2008
『Masonna vs Bananamara』(1989)
+ 『Hyper Chaotic』(1996)
reissue
――MERZBOWやSOLMANIAなどはコンセプチュアルな感じがするんですけど、ライヴにも表れているようにMASONNAはもっと直情的というか。
 「ああ……。でも、初めライヴはやってなかったんですよ。最初の4年くらいは。例えばMB(Maurizio Bianchi)って、当時はライヴを絶対やらなくて、録音だけやっていう話だったんですよね。レコーディング・ユニットっていうか。そういう感じで、まあ田舎に住んでたし、ライヴをやるつもりはなかったんですよ。1st LP『Masonna vs Bananamara』(1989)や2ndアルバム(CD)の『Shinsen Na Clitoris』(1990)なんかライヴをやってなかった頃に出してますね。ちなみにこの2作はTHE SADISTのギターだった手島くんが始めたレーベルのVanilla Recordsから出してもらったんです」
MASONNA
"Ultimate Collection Vol.2"

Alchemy, 2008
『Shinsen Na Clitoris』(1990)
+ 『Tripsy Sunshine』(1998)
reissue
――そうだったんですね。
 「はい。それで1991、2年だったと思うんですけど、MONDE BRUITSの岩崎(昇平)さんから突然“企画やってるんですけど、出てもらえませんか”って電話がかかてっきたんですよ。ライヴなんか1回もやったことないのに。彼は大阪にMERZBOWやINCAPACITANTSを呼んだりして、(大阪・難波)Bearsとかで〈NOISE FOREST〉っていうノイズのライヴ企画をやっていたんですね。東西のネットワークを結ぶ感じで。どこで電話番号調べたのかな、って思ったら、僕がカセットを卸してたレコード屋の店員に電話番号を聞いたらしくて。何の面識もないのに(笑)」
――バンドをやっていたころに顔は知っていた、みたいな事もなく?
 「なしなし。ないです。いきなりだったんで、いやいや、みたいな感じだったんですよ。でもSOLMANIAも出るっていう話やって、一緒やったらやってもいいかなって思ったんですよ。デュオで。その頃ちょうど、全然別のところでSOLMANIAの大野さんと知り合うきっかけがあったから。結局そうこうしてるうちに話が決まって、SOLMANIA + MASONNAみたいな感じでやったのが最初のライヴ」
――SOLMANIAとはもっと以前から交流があったのかと思っていました。
 「無かったですね。大野さんはそれまでに1回くらいしか会ったことがなくて。知り合ったきかっけも、なんかアートの人が……」
――アートの人?
 「……思い出した。田村さんていう、ドロドロに溶かしたオブジェを作ってる人で大野さんの芸大時代からの友人だったんですけど。その人がコンタクトを取ってきたんですよ。何でやったかは忘れてしまって……個展をやるから音を使わせてくれとか、そんなんかな。1度大阪で会うことになって、その時に大野さんの家に連れていかれたんですよね。ちらっと」
――それが初対面?
 「うん。ほとんど喋らなかったけど」
――田村さんは音源を聴いてコンタクトを取ってきたんですか?
 「うん。レコードやカセットにコンタクト・アドレスを載せてたんで手紙が来たんだったかな。彼の作品の写真と一緒に。まあそこからも繋がってるんですけど、それよりもやっぱり岩崎さんの存在のほうが大きかったですね。彼は残念な事に、2005年に突然、バイク事故で亡くなってしまったんですけど……。彼が電話をしてこなかったら、ライヴを今やってなかったかもしれないです。そこから大阪でライヴをするようになって。C.C.C.C.なんかもMONDE BRUITS企画で一緒やったと思うんですけど。SOLMANIA + MASONNAの後に日野繭子さんと一緒に“マゾ繭子”とかやりましたね(笑)。その後本格的にMASONNAのソロでライヴを始めて。92年くらい」
――そんなに後になってからだったんですね。
 「そうですね。色々段階があったんですね。やっぱり初めはライヴを中心に考えてなかったので、今みたいなスタイルでもなくて。一番最初にMASONNA名義でやったライヴは、東京でやったと思うんですよ」
――えっ、そうなんですか?
 「うん。新宿のシアターPOOっていうところで、C.C.C.C.の企画」
――その時はどんなスタイルで?
 「アコースティック・ギターにコンタクト・マイクを付けて、鳴らしながらホールの中に叫んで。まあディレイとか咬ましてたんですけど、叫びながらだんだんギターを破壊していくっていう。音源でやっているような事はライヴでは出来ないと思ってたんで、逆に違う事しよう思ってて。その時にインキャパの美川さんと初めて会ったの覚えてますね。“録音して良いですか?”って聞かれて、一番前でテレコを準備してたのを覚えてるけど(笑)」
――(笑)。レコーディング・プロジェクトとしてスタートしたという事もありますけど、ライヴと録音ではやっぱり勝手が全然違いますよね。作り込み方とか。
 「違いますね。だって、レコーディングは良いところだけが使えるし、編集で何とでもなりますからね。ノイズの出音も録音機材に直接ぶち込むのとアンプから出すのも全然違うのが分かったし。フィードバックを使うから同じにならないんです。それとあの絶叫やテンションがピークのままの状態をライヴで連続してやるのは無理だな、って思ってたんですよね。そうこうしているうちにライヴのお誘いも増えてきて、色んな事が繋がってJOJO広重さんと出会ったり。それでAlchemyからのリリースとかも決まってくるんですよね。その頃、93年前半はたぶん、ライヴをしながらノイズで知り合った人の家に泊めてもらう生活が多かったと思うんですよ(笑)」
――特定の家に住まずに、という事ですか?
 「そうですね。カセットを作ってレコード屋に卸したり、買い取ってもらったりして、そのお金を旅費にして大阪とか、東京に行って。働かずにそういう生活をしていたと思うんですよ」
――ということは、結構売れていらっしゃったんですね。
 「売れてましたね(笑)。でも人ん家やからね、タダだから。東京だとMERZBOWの秋田(昌美)さんの家によく泊めてもらって。その時にFLYING TESTICLE(MERZBOW + MASONNA + Zev Asher)っていうユニットのレコーディングも秋田さんの部屋でしました。そのうち、大阪に住む事になって。94年やったかな。激動の数年間やったから、よく覚えてないけど」
FLYING TESTICLE
"Space Desia"

ZSF PRODUKT, 1993
――何故大阪に住まれる事になったのですか?
 「岩崎さんの企画でBearsに出てるときに、山本精一さんに出会ったんですよね。その時山本さんはBearsのブッキングもやられてて。ほんで“山崎君、毎月何かノイズの企画やってよ”って言われて。その頃のノイズだけのライヴって、やってもたぶん10人も客来なかったんですよ(笑)。10人以上来たらすごいな、みたいな感じやったんですよね。それなのに、土日とか取らせてくれるんですよ。それも何のノルマも無しで(笑)。“ええねん、ええねん”とか言って。山本さん、どういうアレなんやろ?って思ってましたけど」
――すごいですね。それだけ山本さんは先見の明があったということですよね。間違っていなかったわけですものね。
 「その時間違ってなかったかどうかは分らないですけど(笑)。でもそんなんでやらせてくれて。言ってくれるから何も考えずにやってたんですよね。やりますわ〜、みたいな感じで。だったらもうBearsの近くに引っ越そう思って。引っ越しも岩崎さんの車で手伝ってもらったな。ほんとに世話になってた」
――なるほど。そこまで音楽、というかノイズ一筋だったんですね。ほかに興味が湧いてくるような事は無かったのですか?
 「無かったですね。でもまあ大阪に住んだら家賃も払わなきゃいけないから、Alchemyで使ってもらって。それで毎月Bearsでライヴをするようになったんですね」
――その頃に現在のMASONNAスタイルを編み出したのですか?
 「そうですね。初めはまだ音源とは全く違う感じでやるのが何回か続いてたんですよ。ハイハット振り回したり、ハーモニカにコンタクトマイク付けてやったり。こないだYouTube観てたらそういうのも上がってた(笑)」
――(笑)。ご自身の昔の姿が、そうしてYouTubeにアップされているというのはどういう気分なんですか?
 「う〜ん。最近なんかヒドいですよ。ライヴした次の日とかにもう上がってるんですよね。どうなんだろうね、あれね。あの、昔下北沢でワンマンやった時って来てないですか?」
――Shelterですよね。
 「そうそう。ゆらゆら帝国Borisにアンプ借りてやったんですけど。OrangeAmpegのアンプをバーンとシンメトリーに置いて積み上げて。あの時Borisのスタッフが撮ってて、編集してリリースしたいって言ってたんですけど、観たら自分のパフォーマンスが気に入らんくてボツになったんですよね。久しぶりに観たら良いかも分らないですけど(笑)。まあ映像で観られるんは作品として残すのにすごく拘りがあるんで。だから、勝手にYouTubeに上がってるのはなんかもう別もんの感覚だけど。自分の手は掛けてないから」
――そういうものに憤ったりする事は無いんですか?
 「(笑)。どうなんですかねえ……。あれって、苦情みたいなの書いたら削除してもらえるの?」
――してもらえますよ。
 「そうなんですね……どうなんですかね……」
――ノイズ界隈って、好きな人はライヴを録音する、みたいなところあるじゃないですか、昔からカルチャー的に。バイノーラルで録ったり(笑)。
 「ああ(笑)」
――そういうものの延長線上と考えるのとは、またちょっと違いますよね。
 「ねえ。でもそういう時代なんですよね、今はね。音源もそうやもんね。YouTubeに音源だけのやつもアップされてるし」
――そうですね……。すみません、脱線してしまって。
 「うん。まあ、そういう色んなスタイルでやっているうちに、やっぱりリリース音源の感じに近づけようかなと。ロウな感じでもそれはそれでいいかなって。だんだんMASONNA美学みたいなものが出てきて。やっぱりライヴやるからには他の人がやってない見た目のスタイルをやらないかんと思ってたんですね。テーブルに機材をならべてやる人はいるでしょう。インキャパとかMERZBOWとか。ギターでやる人もおるでしょう」
――SOLMANIAですね。
photo: はたさちお
 「そうそう。NULLさんとかね。あと、当時ノイズといえば非常階段ハナタラシのスキャンダラスなパフォーマンスがありましたけど。そのどれにも当てはまらないのが良いな、という事で。テーブルは使わない、楽器を使わない、1人でやる、でヴォーカルがメイン。絶対マイクスタンドを立てて、足元にエフェクター。テーブルやと、まあちょっと動きはあってもそんなに動けれへんし、ギターも持って動いてるんで制限されるし。もっと音と体の動きが連動したものが良いな、と思って、飴の缶にマイクを付けて振れば振るほど音が激しくなるようにして(笑)。それをワイヤレスで飛ばしてエフェクターでフィルターかけたりするんですけど。まあそれは下に置いておいて、振りながら自在にどこへでも行けるっていうか。そういうスタイルに」
――他のノイズ勢に比べると、フィジカル度が高いですよね。それはかつてパンク / ハードコアを通っているというところが大きいのでしょうか。
 「うん、それもあるし、観に行くんやったら、ヴィジュアルのインパクトが大きい方が良いでしょ。逆にね、音はちゃんと出来ていないと思うんですよ、ライヴで(笑)」
――そんなことないですよ!
 「いやいや、出来てないんですよ(笑)、CDのようには。落ち着いてやったらもっと長い時間出来るし、コントロールも出来るっていう利点はあるんですけど、それを捨ててでも、ジャンプして飛び降りた瞬間に音が変わったりとか(笑)、そういう方を優先したかったんですよ。自分も観たらそういう方が面白いな、って思って」
――それは“楽しさ”と受け止めて良いのでしょうか。例えばMERZBOWだったら、システムに対する憎悪がパフォーマンスに込められていますよね。
 「そんなん全然考えてないです(笑)。なんやろな、“楽しさ”って言うと違うかもしれないですけどね。どうなんやろね。“ショウ”っていうかな。音だけ聴くならCDで十分かな、と思うんですよ。若干の動きでもライヴ感はあるかもしれないですけど、捨て身でやる、っていう感じとは違うと思うんですよ。観ていて」
――MASONNAのライヴは本当に捨て身ですよね。
 「今よりは捨て身でしたね、20代の頃は(笑)。当時はヒドかったですね」
――そのスタイルで初めてパフォーマンスをされた時の反応は、いかがでしたか?
 「う〜ん、自分では分らないから……(笑)。結局自分の事は自分で生で観てないじゃないですか。いくらビデオ撮ったやつを後で観ても、違うと思うんですよね。その場にいるのとは。幽体離脱して観てみたいんですけどね(笑)」
――そうですね(笑)。では当時、山崎さんから観て圧倒されるパフォーマンスをされていた方というと?
 「あ〜、どうなんだろう。ライヴ自体あまり観に行った事がなかったんですよね。ライヴハウスもほぼ行った事が無くて。どうなんだろうなあ……。ライヴあんまり観に行かない派なんで分らないですね(笑)」
――そうなんですか。何故あまりライヴに行かないのでしょう。
 「う〜ん、最初はライヴハウスの近くに住んでなかったからじゃないですかね。後はまあ、何でだろうなあ……。なんか、決められた時間に行くのが面倒臭いんちゃう?そういうのがあるのかな。すごい期待してるんだけど、近づいてくるとだんだん面倒臭くなってきたりとか(笑)」
――なんとなく分りますけど(笑)。今もあまり観に行かれないのですか?
 「うん。でもCRAMPS観に行きたかったなあ」
――CRAMPSお好きなんですね。
 「うん、好きなんですけどね。観に行けなくて。まあ、この話はヨシとしましょうよ(笑)」
――はい(笑)。そうしてMASONNAと言えばあのライヴ、というスタイルが確立されたわけですね。
 「そうそう。色々あってああなったんですよ。一番よく聞かれるのは“何分やるんだ”とかそういう事なんですけど」
――短時間で終了するライヴは、半ば名物みたいになってしまっていますものね。
 「うん。それもね、レコーディングの方もだんだん進化していって、Alchemyから出した頃からかな、カットアップっていうか、編集技術が細かくなっていくんですよ。嫌な音を全部カットしてるんです。ものすごい細かく編集して、無駄な部分をどんどん外していくっていうか。極端にそういう方向で作品を作っていくようになるんですね。だからライヴでも、長くやるとどうしてもテンションが弛む部分、ダラける部分が気に入らなくなってきちゃって。ものすごいスピード感を追求するようになっていくんですね。超高速の切り替えしで。ダラけた部分を無しにしていくと、短くなっちゃうんですよね。頭からトップスピード入って、落ちる前に終わっちゃう勢いで」
――いきなりトップスピードに入るのって、意識的に難しくないですか?
 「大丈夫です。今はもう1、2、3のカウントで入れるんで。長くやろうと思ったら、イントロを付けたりしなきゃいけなくなるけど」
――そういう体裁を取ろうという気持ちは無いんですよね。
 「無いです。ライヴはワビサビとかじゃなくて、まあ、サビばっかりっちゅうか(笑)。徹底してやりたいな、っていう事でやってるんですよね、今まで。年齢と共に体力は変わっていってると思うけど(笑)。超高速で頭から最後まで」
――イロモノ的に見られてしまう部分もありますよね。
 「そうなんですよ。理論的にというか、ちゃんと理由があるんですよ。MASONNA美学みたいなもんが。やっている事にはすべて理由があるんだっていう事。わざと長くやるとか、わざと短くやるとかじゃなくて、やりたい事をやるとそういう風になるっていうか。コンセプト的に絶対落ちたらあかんから。突っ走らないと」
――その高速感は先ほどもおっしゃっていたようにグラインドコアの成分なのでしょうか。
 「たぶんそうですね」
――今でもグラインドコアは聴かれるのですか?
 「今は聴かないですね(笑)。ハードコアは聞くけど。でもやっぱり、90年代は海外からものすごい沢山手紙が来ましたね。まだメールが無い頃ね。昔は手紙やったんで。日本でリリースされたものは輸出されてるし、海外のレーベルからも出してるから、コンタクト・アドレスで書いてあった家の住所に毎日のように手紙が来てて。ほんでメキシコかどこかから手紙を送ってくれた人がめっちゃグラインド好きな人みたいで、“ドラムが聴こえないくらい速かった!”とか書いてあったりして(笑)」
――それはなんだか嬉しい感想ですね(笑)。
 「うん。面白いなあ、って思った(笑)。そういう風に聴いてくれてるんだなあ、って。もしかしたら1人でやってるって思ってなかったりするかもしれないですよね」
――90年代中盤から海外のリリースがどんどん増えていきますが、それもそういったやり取りの中から生まれたものなのですか?
 「うん、そうですね」
――その頃から作品のテイストが少し変わってきますよね。
 「そうですね、作品的には途中からサイケデリックの要素が増えてきて。普段はサイケデリックばっかり聴いてたんで。MASONNAやり始めるとノイズのレコードはあんまり買わなくなっちゃって。そういうテイストはジャケットなんかにも入ってきてると思うんですけど」
――サイケデリックというとどのあたりのものだったのですか?
 「60、70年代ですね。昔のね。ファッションとかも含めて。ショップもやってたから、サイケのレコードとかも仕入れたりしてたんで。アシッド感みたいなものを入れる事が多かったですね。例えばHUNGERっていうサイケデリックのバンドだと、ヴォーカルの語尾にディレイをかけたりするんですよ。そういうのに影響を受けてると思うんですけど。MASONNAも語尾にディレイが残してみたり」
――サイケデリック方面に行くきっかけみたいなものがあったのでしょうか。
 「ひとつの出会いがあったなあ。ノイズの後に、ジャンク・ブームみたいなものがあったんですよね。BUTTHOLE SURFERSとか、PUSSY GALOREとかね。BUTTHOLE SURFERSはかなりサイケデリックなテイストだったから、それも関係してると思うんですけど、アメリカのアンダーグラウンドなジャンクをすごい聴いてて。大阪に、それもまた『FOOL'S MATE』の広告で知ったんやったと思うんですけど(笑)、大阪でDavid Hopkinsさんていう人がやってる通販屋があったんですよ。Davidさんはアメリカ人なんですけど、日本の大学で講師をやっている人で。夏休みにアメリカに帰ったら、現地で買ってくるんですよね。アンダーグラウンドなジャンクを。それを持ち帰って通販カタログ作って、売ってたんですよ。学校の先生が。その人のところで結構通販をしてて、まあ電話受付やったんで電話で喋ったり(笑)。それで何回か利用してると、オマケのレコードをくれるんですよね。その中に、NUGGETSっていうガレージとか、MUSIC MACHINETHE SEEDSなんかの60年代の基本的なサイケデリックのバンドが入ってるコンピレーションなんかがあって。そういうのを聴いたんと、BUTTHOLE SURFERSの流れから興味が湧いたんかな。それとまあ、カルチャー的なものも好きになって。ベルボトムとか、柄シャツとか(笑)。全体的に好きになったんですよね。ライヴでベルボトム絶対履くし。まあ普段もやけど(笑)。あと色使いとか」
――白黒使いの多いパンク / ハードコアから、そこに至るというのは面白いですよね。
 「色々変わってきますよね。パンクがあって、ハードコアとかポジパンがあって、『FOOL'S MATE』を読み出して、TRANS RECORDSから出てるものを聴いたり。YBO2好きやから実験的なロックも気になって、ちょっとプログレとかも聴くようになって。だんだん聴くものが古くなっていったんですよね。でも、東京にあるModern Musicにしても、NedSとかにしても、ノイズも扱ってるけどサイケデリックも扱ってるじゃないですか。やっぱり繋がってる感じしませんか?どっちもアンダーグラウンドな、一般的な感じじゃないからかも分らないですけど」
――そうですね。60、70年代の録音の空気感というか、そういうものはかなり通じてる感じがしますよね。
 「そうそうそう。右のスピーカーからヴォーカルだけ出て、逆からは楽器だけとか、めっちゃかっこいいですけどね。何と言うか、当時の空気が感じられるものが好きなんですよね」
――当時の音って、現在では再現不可能ですもんね。今全く同じ機材で同じように録音したとしても。
 「そう。今同じような事やっても違うんですよね。空気が入ってないんですよね、当時の気配が」
MASONNA
"Freak-Out Electrolyze"

Nanophonica, 1997
――MASONNAは、その“空気”を頭の中で凝縮したものを放出している感じがしますね。
 「MASONNAは、グラインドコアからのスピード、絶叫を使った、速くてうるさいやつ、レコーディング作品にはNURSE WITH WOUNDやETANT DONNESから影響受けた極端な切返し編集なんかが元にあって、そこにそういう要素を2割ずつくらい足していってるんですよ。『Freak-Out Electrolyze』の頃は電子音を入れてみたり。電子音が好きになって、アナログ・シンセサイザーに凝り出したんですね」
――SPACE MACHINEに繋がっていく感じの。
 「そう。その頃はまだ全然SPACE MACHINEはやってなかったけど。秋田さんの家に泊まりに行ったときにね、やっぱりEMSとかあって、触らせてもらってすごく良いなと思って。見た目も良いですしね。70年代のデザインだし。70年代のもの好きなんで。後は、その頃住んでた花園町の家の前に“イズミヤ”っていう、大阪では有名な大きいスーパーの本店があったんですけど(笑)、そこのレジがね、旧式で、電子音が出たんですよ。プッシュした時とか、すごいかっこいい、古臭い音が。なんかそれにピンときて。電子音のみがかっこいい!って思ったんですね(笑)。それから電子音に敏感になって。夜中に宇宙戦艦ヤマトの再放送とかしてると、電子音が入ってくるわけじゃないですか。宇宙空間の音、ヤマトの中の音とか、エレベーターの音、ワープの音とかね。それもめっちゃかっこいい!って思ってて」
――なるほど。ヤマトのお話が出てきましたが、アニメや特撮からの影響ってあったりしますか?
 「あ〜、あるんですよね。やっぱりね、子供の頃は仮面ライダーが大好きで。2号ライダーに似てるってよく言われてた(笑)」
――そうそう、MASONNAって仮面ライダー感があると思っていたんです。
 「うん。2号ライダー(笑)。あとやっぱり70年代じゃないですか、ファッション的にも。変身する前とか」
――ライヴ中、そういうヒロイックな心境になったりする事はありますか?
 「それはないなあ(笑)。何にも考えてないですね。やっぱりライヴ中はロックですね。パンクっちゅうか。まあ2000年前後かな、電子音をMASONNAに加えたりしてたんですけど、その頃に劇的な問題が発生してしまうんですよね……」
――何が起きたのですか?
 「99年か2000年くらいに、腰を痛めてしまうんですよ」
――それは、捨て身のライヴのせいだったのでしょうか。
 「う〜ん、どうなんかなあ。月に1、2本はライヴやってたんですけどね。腰が痛くて立てなくなって病院に行ったら、結構安静に、みたいな感じになったんで、一時ライヴ活動休止にしたんですけどね。その時にSPACE MACHINEを始めて。動かずにライヴが出来るし。今度はMASONNAと全く反対で、無機質で完全に汗をかかないライヴ。音だけに集中出来るから、興味のあった電子音だけで。宇宙音ていうか」
――MASONNAをそういった方向にシフトする、という道は何故選ばれなかったのですか?
 「MASONNAはもう、核がMASONNAの音なんで、それ以上変えられなかったんですよね。違うものには出来ないんですよ。部分的に混ぜるのはオッケーなんだけど。スタイルをガラリと変える事は出来ないし、だったら切り離してやろうっていう事で」
――ではちょうど良い時に、と言ったらアレですけど、電子音と出会っていたわけですね。
 「そうそう(笑)。とりあえずアナログ・シンセとか、機材も買ってあったしね。MASONNAに電子音を混ぜる感じっていうのは『Vestal Spacy Ritual』でもう完結してはいるんですけど、その後にたぶん腰を痛めたんですね。でも好きな電子音だけのがやりたかったんで、ちょうど良かったと言えば良かったですよ。その前にCHRISTINE 23 ONNAも始めてたし。音楽的なものを全部捨ててMASONNAやったじゃないですか。この頃は、そこからちょっと音楽的な事をやりたくなったんですよね。CHRISTINEの1枚目はまだアヴァンギャルドな感じだけど」
――それで(ANGEL'IN HEAVY SYRUPのフサオさんと)お2人で。
 「うん。ちゃんと(フサオさんの)ファズ・ギターと、自分のシンセが入ってて、ちょっと音楽的な感じ。4人もメンバーいらんし、まあ2人くらいやったら良いかなと(笑)。リハビリ的な感じですかね。サイケデリックのテイストも楽曲的にMASONNAでは出来へん音、っていうところで。しかもだんだんグルーヴィな感じになっていって。こっちの人(フサオさん)がサントラをすごい買ってて。60年代、70年代の」
――またディープですね。
 「うん(笑)。それをちょっと聴いてたら、こんなん出来へんかな、みたいになってきて。リズムトラックはサンプリングでループさせて、その上に自分らの演奏を載せて、っていうスタイルが出来てきたんですよね。それで2枚ほど作ったんですけど」
――CHRISTINE 23 ONNAやSPACE MACHINEを始められた事が、その後の『Shock Rock』にも反映されている気がしているんですよね。
 「ああ。そうですよね、分裂したかもしれないです。だから『Shock Rock』にはもう電子音とか入ってないんですよね。マイブーム的な追加要素が無くなって、初期の飾りの無い、ヴォーカルとノイズだけで突っ走る感じに戻ってるんですよ。『Shock Rock』の時はMASONNA、CHRISTINE 23 ONNA、SPACE MACHINEで3枚出したんですよね」
――15周年記念の3作ですよね。
 「そうそう。その時に、MASONNAの要素から外れた電子音がSPACE MACHINE、サイケデリックで音楽的な要素がCHRISTINE 23 ONNA、って分裂したんですね」
――全部に踏ん切りを付けた感じで。
 「うん。そうですね」
――MASONNAとしては、『Shock Rock』以降全くリリースが無いですよね。
 「うん、出てない。それには.……2つの問題がありますね。1つは、次に作りたい音源があんまり無かったんですよね。いつもはほら、次はこういう感じにしたいな、っていうのがあったんですけど。カットアップを細かくしたり、電子音混ぜたり、サイケデリックの要素入れたり、次にやりたい事、自分の聴きたいものを追求しながらやってたんですけど、ここ『Shock Rock』で原点に戻って、とりあえず完結しちゃってたんかな。音源を作るっていうところでは。ライヴ活動は復活したんですけど、それでやっぱりライヴの方が良いな、って思った事もあるかな。2つ目は、引っ越したんですよ(笑)。新しく住む事になった所が、1フロアに結構人が住んでたので。全部宅録やったんで、ちょっとこれは初めからキビしいな、とか思って(笑)。前のマンションは全く苦情来なかったんで良かったんですけど。まあキチガイが住んでると思われてるかもしれないですけどね(笑)。そういうのもあったり。でもまあ、新作を作りたい意欲が無くなってたんですよね。その替わりに、バンド活動が始まるんですよね」
――ACID EATERの事ですか?
 「うん。本格的にメンバー入れて。ちゃんとした曲で、歌を歌うっていうスタイル。終始ファズギターがビリビリ鳴りまくって、チープなオルガンがガンガン入ってて、っていうのが周りにいなかったんで。ファズ・パンクっていうか」
――頑なにメンバーを拒否していたのに、どうしてそうなったのですか(笑)?
 「そう、拒否していたのに(笑)。CHRISTINE 23 ONNAで、サポートメンバーを入れてライヴをやり始めてたんです。その頃はまだ非ロック的な部分はあったんですけど、ライヴをやってるうちに、ライヴ・バンドをまたやりたいって思うようになってきて」
――楽しくなってきたんですか?
ACID EATER / photo: はたさちお
 「うん、楽しくなってきた(笑)。戻って来たんですかね、10代の頃に。本当に、完全に常識的な事をやりたかったっていうか。それで、MASONNA、ACID EATERでライヴ活動やって。SPACE MACHINEは3枚出してそこで結構完結しちゃった。ライヴはやっぱり動きが無いのはつまらんな、ってなっちゃって」
――では、今はACID EATERメインという感じなんですか?
 「今はやってないです(笑)。メンバーがちょっとバラバラになってしまって、活動が出来てない状態ですね。だから今はMASONNAをときどきやるくらいで」
――なるほど。一連の流れが全く違和感無く、すごく自然ですね。
 「うん。自分のやりたい事をやってきてる。昔から、聴きたいから作るっていうのがあるからね。CHRISTINE 23 ONNAみたいに、遊びが形になって、っていうのもあるけど」
――自分の思うものをしっかり具体化出来るというのはすごいことですよね。
 「何かひとつ自分にハマると、そこから膨らまして追求出来るんで」
――次はまたMASONNAの新作を予定されているということで。
 「うん。今年25周年だったんで、絶対出そうと思って。HELLO FROM THE GUTTERっていう信頼出来るレーベルから7inchが出したいってオファーが来て、25周年だから25曲入りの7inch作りませんか?っていうアイディアが浮かんで。片面5分以内に12曲、13曲。シンセとかも入ってなくて、『Shock Rock』路線のもっと短い、もっとロウな感じかもしれないですね。ディレイとかは使ってるけど」
――『Shock Rock』で一度こう、完結したじゃないですか。
 「レコーディング的にはねえ」
MASONNA
"Psychetronics
Erectile"
10"

Japan Overseas, 1995
――次の作品では、音楽というよりもむしろパッケージがやりたい事になったということなのでしょうか。
 「ああ……。うん。初めの頃は、出した事無いフォーマットだから出してみたいっていうのもあったんですよね。10inch出した事ないから出したいな、とか。5inch出したりね。色々出していって、リリースのワクワク感はちょっと減ったかな。最初はそういう楽しみがあったけど。新作は“7inchアルバム”っていうのはやった事無いな、っていうところで」
――『Shock Rock』以降、Alchemyの店舗が無くなってしまったり、音楽を取り巻く環境では色んな事が起こりましたよね。
MASONNA
"Destructive Microphone"
5"

Alley Sweeper, 1995
 「そうなんですよね」
――そんな中でパッケージは縮小傾向にあるわけですが、次のリリースはそういうところに対するアンチテーゼ的な部分もあるのでしょうか。
 「ああ〜。何にも無いです。全く無いですね(笑)。自分の聴きたいものを作っただけで」
――その次はどんな作品が作りたくなるんでしょうね。楽しみですね。
 「うん。何かアイディアが浮かんだら作りたくなると思うんですけど……。ひとつ作りたいと思ってるのは自分オムニバス。自分のやってる色んなユニットを混ぜ混ぜにしたCD。それも、ちょっとミックスとか繋ぎを変えたりして。CHRISTINE 23 ONNAのグルーヴィな感じの途中でMASONNAがウワーっ!て始まったりとか」
――それは良いですねえ。山崎さんの全体像が見える感じで。
 「うん。自分の素材を使って、ミックスCDみたいなものをそのうち1枚作ろうかなあと思ってて」
――なるほど。25年の出来事を振り返っていただいて、お話を伺っていると、すべてがすごく楽しそうに聞こえます。
 「そうですね(笑)」
――でも辛い事もたくさんあったと思います。一番辛かったのはどんな時でしたか?
 「う〜ん、どうだろう(笑)。……やっぱり、腰を痛めてライヴが出来なくなった時は、アレですよねえ。終わる、って思ったのはありますよねえ。シンセ・ユニットがあったから、まだ良かったけど」
――山崎さんは未来の事を想像するような事はありますか?例えば30周年の時は何しているだろう?とか。
 「全然考えないですよね(笑)」
取材・文 / 久保田千史 (2012年12月)
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