南波一海 presents 「ヒロインたちのうた。」 アイドル・ポップのキーパーソンを直撃! - 第1回:ツキダタダシ
掲載日:2012年01月23日
南波一海 presents 「ヒロインたちのうた。」 アイドル・ポップのキーパーソンを直撃! - 第1回:ツキダタダシ - CDJournal.com
南波一海 presents 「ヒロインたちのうた。」 〜アイドル・ポップのキーパーソンを直撃!〜
第1回:ツキダタダシ https://twitter.com/tsukitada

【主な提供楽曲】

SKE48「1!2!3!4! ヨロシク!」(作曲) / NMB48白組「僕が負けた夏」(作曲) / ももいろクローバーZ「オレンジノート」「コノウタ」(作詞・作曲・編曲) / ドロシーリトルハッピー「HAPPY DAYS!」「Hey boy! Hey girl!」(作詞・作曲・編曲)


 近年のアイドル・ソングをウォッチしている方は、“ツキダタダシ”というカタカナの名を目する機会が幾度かあったのではないだろうか。ももいろクローバーZのライヴ終盤を盛り上げる「オレンジノート」や「コノウタ」の作詞・作曲・編曲や、SKE48の鉄板ディスコ・ナンバー「1!2!3!4! ヨロシク!」の作曲を手掛ける、新進気鋭の作家である。90年代半ばにはレイモンズというバンドのギタリスト / ソングライターとして活動していた彼が、どのようにして作家への道を歩み、アイドル・ソングを手掛けるに至ったか。大阪在住のツキダに話を訊く。
(アイドル・ソングで)最初に採用されたのが
ももいろクローバーの<オレンジノート>でした。

ツキダタダシ

――ツキダさんが音楽の道に進むことになった経緯から教えて下さい。
 「映画が好きで、中学生の時に『バック・トゥ・ザ・フューチャー』にヤラれてギターを始めました。『ゴーストバスターズ』とか『ネバーエンディングストーリー』とか、サントラが当時アツかったんですね。それでハード・ロックとかメタルにハマっちゃいまして、高校生でコピー・バンドを始めて。大学からオリジナルをやり始めて、その流れで大学の時のサークルの友達とレイモンズっていうバンドを作りました」
――レイモンズは大学生の時に始めたバンドなんですね。
 「当時は違う名前ですけど、ヴォーカルのコとは大学で知り合いました」
――レイモンズのフォーキーな音楽性と洋楽のロックって結びつかないですよね。
 「バンドを始めるにあたっては、当時はHi-STANDARDとかが出てくる以前だったので、洋楽的なことをして日本のメジャー・シーンで活躍できるなんて考えられなかったんです。僕としてはギターで食いたいってだけだったんですね。とにかくメジャーに行きたいと。でも曲を作っていなくて、作曲をしていたヴォーカルのコに依存するしかなかった。当時はスピッツとかミスチルが流行っていたので、ヴォーカルが作るスピッツ的な音楽に合わせてギターを弾いていました」
――すでに“この音楽をやりたい”よりも“こうすれば食っていけるかも”というスタンスだった。

レイモンズ。右端がツキダ。当時は“関西のサニーデイ”との異名も。

 「そうですね。日本でクリームレッド・ツェッペリンみたいな渋い音楽をやってもまず食えないと(笑)。でもその当時やっていた音楽とレイモンズとは直結では繋がってはいないんです。大学の頃は曲作るなんて端から考えてなかったので」
――レイモンズになって、ツキダさんが曲や詞を書くようになっていった経緯は?
 「馬鹿馬鹿しい話なんですけど、グリーン・デイとかのメロコア・ブームがきて、ヴォーカルがかなりハマっちゃいまして。ある時期を境に“オレは英語でパンクしか作らんよ”って言い出したんです。昨日までスピッツみたいなのを歌ってたのに(笑)。“日本語でやりたければお前作ればいいじゃん”みたいな。それで、大学卒業して就職もせずに音楽一本でやっていこうと思っていた時期というのもあって、必要に迫られて自分で作りはじめました。メロディや歌詞を書いたことは一回もないし、できるとも思ってなかったんですが、作ってみたら周りから評判が良くて。そうしていくうちに曲が増えて、レイモンズをやり始めたあたりからは、ほとんど僕が作曲するようになってました」

サニーデイ・サービス『東京』
(1996年)

GREAT3『METAL LUNCHBOX』
(1996年)

レイモンズ『BLUE BIRD』
(2004年 ※ベスト盤)

――書き始めた時は何かを参考にしました?
 「能動的にJ-POPを聴いたりはほとんどしてなかったです。それでも、はっぴいえんどとかサニーデイ・サービスとかGREAT3は聴いていましたね」
――なるほど。レイモンズを聴くと90年代半ばの空気が浮かび上がります。
 「当時、作詞で考えていたのは、とにかく嘘がない表現をしようと。フィクショナルに作り込んだ世界観ではなく私小説。今とは全然違いますね」
――今は作家的な書き方をされているわけですもんね。
 「今は発注を受けて、それに沿って書けるようにはなりましたね。当時は彼女にフラれたことをそのまま書いたりしてました。いかに恨んでいるかっていうのを5〜6曲書きました(笑)」
――あはは。それで00年頃にはレイモンズの活動がストップするわけですけど、どういった理由だったんですか?
 「事務所と契約が切れるタイミングでした。売れなかったので、契約更新しないよと。僕としてはその後もやり続けていくつもりだったんですけど求心力がなくなって。事務所から給料もらっていたわけですよ。それがなくなって、メンバーが離れて。正式に解散したというわけではないんですけど、活動ペースが落ちて」
――フェイドアウトしていったと。その後はどういう活動に移っていったんですか?
 「音楽を諦めて自堕落な生活をしていました。そうしたら、広告代理店で働いていた昔のバンド仲間が僕の惨状を見かねて、テレビとか広告系の音楽をやってみないかと。それが今から8年くらい前の話ですね」
――ケダマ(※OHK岡山放送のイメージキャラ「OH!くん」のテーマソングを制作するユニット)を始めたのがその頃ですか?
 「一番最初にやったのがケダマですね。ケダマはバンドっていう体でパーマネントに続いています。その時の担当者が昔一緒にバンドやっていた知り合いで、また別の代理店の人がCM音楽の話をくれたりして」
――そうやって仕事が徐々に増えて、プロとしてやっていくことになっていったんですか?
 「そうですね。こういう音楽を作ってと言われてやるのは大変やったんですけど、それで鍛えられた部分はあります。締め切りがタイトだったりとかも。ポップ・ソングの仕事はここ2〜3年くらいですね。僕が昔バンドをやっていたという話の流れで、出入りしていたCMの制作会社の方から“アニソンをやってみない?”ということを言われまして。それでコンペに参加させてもらうことになりました。水木一郎さんとかは子供の頃、聴いてましたけど、今のアニソンとか知らなかったですね。それでも何曲かやっているうちに採用され始めて、同じ流れで、“アニソンとかやっているならアイドル・ソングもどうですか?”と声を掛けていただいて。それこそ松田聖子さんとか、たのきん(トリオ)の世代なので、今のアイドルもまったく知らなかったです。(アイドル・ソングで)最初に採用されたのがももいろクローバーの<オレンジノート>でした。それが2010年です」
「怪盗少女」を聴かせてもらって、
とんでもない世界に足を踏み入れてしまったなと思いましたね(笑)。
――コンペは詞が先にあったりするんですか?
 「基本的には作曲だけのオーダーです。僕はその時に歌詞も書いて提出するんですね。本来は必要ないんですけど、分かりやすいようにと。ももクロちゃんの場合は歌詞もそのまま使っていただきました」
――デモに歌も入れるんですね。
 「女のコに仮歌を入れてもらって、アレンジもしっかりして、完成品に近い形で出しますね。作曲(の募集)でも、アレンジまできっちりして出さないと採用してもらえない。今はわりとそういう風になってますね。作り込んで、歌詞もアレンジも気に入っていただければそのままいくと」
――逆にそこまで作ったもので、作曲部分だけ採用されるのも面白いですね。
 「作詞家が決まっている場合、たとえば秋元(康)さんの案件はそうですよね。そういう時でも歌詞は完全に作って渡しています。曲を補完するようなイメージで。♪ラララ、ナナナとかよりも分かりやすいので」
――ももクロの「オレンジノート」はどういう経緯で生まれたのでしょうか?
 「ももクロちゃんがメジャーに行くくらいのタイミングでいただいたお話ですね。<行くぜっ!怪盗少女>の次のシングルのコンペでした。<怪盗少女>を聴かせてもらって、とんでもない世界に足を踏み入れてしまったなと思いましたね(笑)。自分にはこんなブッ飛んだ曲は作れないなと」

ももいろクローバーZ
『バトル アンド ロマンス』
(2011年 ※通常盤)

※M9に「オレンジノート」、M12に「コノウタ」収録。

――「怪盗少女」を聴いた後に比較的オーソドックスな「オレンジノート」を作ったのが凄いことだと思うんです。
 「僕にできると思って声を掛けていただいてるので、それに応えないといけないと思いまして。オーダーとしても<怪盗少女>みたいなものを作ってくれという形ではなかった。もうちょっと歌モノ寄りというか、メロウなものっていうオーダーだったと思います」
――ラップ・パートもオーダーにあったものなんですか?
 「はい。でもヒップホップもそれまでまったく興味がなかった。もう一曲の<コノウタ>もラップが入ってるんですけど、もう韻を踏むというのはなんだろうってレベル(笑)。アイドル・ラップはまた別のものなので、日本のヒップホップに寄せる必要もないと思うんですけど、ぬるいことやっていると怒られそうだし。ホント大変でした」
――「オレンジノート」も「コノウタ」も、メロディを大事にしている曲じゃないですか。他のトリッキーな曲がある中で、それがかえって際立って聴こえます。
 「逆に前山田健一さんやNARASAKIさんは途轍もない曲をぶち込んでくるわけですよ。ああいう方がメインでいるので、僕は違うアプローチ、分かりやすい曲でというところで選んでいただいてると思うんです。僕まで変化球を作り出すと収拾がつかなくなる(笑)。歌詞も特にそうなんですけど、僕は僕なりの平易な表現を使いました。等身大の彼女たち、現実とリンクしたものを、というオーダーありきですが」
――編曲もやられていて、ギター・ソロも入りますよね。ここにメタラーの血が(笑)。
 「ギターは全部自分で弾いていますけど、やっぱメタルは影響あります(笑)。単純に、ギターは唯一自分でコントロールできる楽器なんです。僕のイメージするアイドル・ソングっていうのはエモいギターが入っている印象があるので、入れる傾向にあるのかもしれないです」
――そういうところもプレイヤーではなく作家然としていらっしゃるんですね。
 「好きで弾いているってことは一切ないですね。“ここでこう入れたらいいかな?”ってだけですね。ももクロちゃんに関してはギターから打ち込みまで全部やっています。レイモンズ時代は打ち込みなんてまったく無縁の世界でやっていたので大変でしたけど、CM音楽で鍛えられた部分が大きいですね。鍵盤とかは未だにまったく弾けないんですが」
――本当ですか!?
 「たぶん業界内で最もスキルが低い(笑)。まったくノウハウがないんですよ。完全に自己流で。いまだにキーボードもワンコードずつ押さえてパンチインしています。続けて弾けないんですよ」
――すごい! 超特殊じゃないですか! 衝撃の情報です。
 「最低レベルだと思います(笑)。鍵盤畑の人がアレンジャーとか作曲家さんになることが多いと思うんですけど……。もうパンチインの繰り返しです。弾ける人が弾いたら一瞬なんでしょうけど、大変な労力をかけてやっています」
(歌詞は)現実に今の10代が感じていることとは違う部分があるかも。
でも、基本的な感情というのは時代が変わっても変わらないとは思います。
――SKE48やNMB48の曲を手掛けることになった経緯を聞かせてください。
 「<オレンジノート>を作業していた流れで、同じ作家事務所から声をいただいてコンペに参加し始めたんですね」

SKE48「1!2!3!4! ヨロシク!」
(2010年 ※通常盤Type-A)

――例えば「1!2!3!4! ヨロシク!」はどういったオファーがあるものなんですか?
 「大まかに“ディスコ・ソングで”っていうくらいやったと思います。あとはテンポはこのくらいでとか、ヴォーカルのキーはここからここに収めてくださいとかですね」
――ヴォーカルのキーはすごく重要ですよね。
 「アイドルさんの場合ですと割とレンジが広くないことが多いですね。その中でいかに作るのかが醍醐味やったりするんですけど」
――ディスコ調ということですが、お話を聞いているとツキダさんの中にその素養があまりないように思えるのですが。
 「いやもう、まったくなかったです(笑)。あれからもう一曲ディスコを作れって言われても無理だったと思います。でもあれはアレンジャーさんがいて、ものすごく良い感じにしていただきました。僕はビージーズくらいしか分からなかったんですけど、自分の中のディスコの引き出しを開き切って作りました。大変でしたけど、採用していただけたのでよかったです」
――それが結果的に彼女たちの代表曲のひとつになっているというのも凄いですね。
 「あれは秋元さんの力が相当凄いと思います。僕が仮でつけていた歌詞とは全然違うものになりました。ディスコということで、もうちょっと夜の匂いがする感じにしていたんですけど、まるで反対の、明るくて元気なポップスになっていたので、初めて聴いた時はビックリしましたね。台詞とかも入ったりしてすごいなと」
――“告るってのは、勇気いるけど〜”ですよね。
 「僕にはまったく思いつかない独自の世界。デモを聴いたら原曲の要素が欠片も残っていないのでビックリされると思いますよ。原曲のあるエッセンスを捉えて、そこからイメージを膨らまされたんだと思いますけど、ああやってパッと違う曲にできる能力は凄いと思います」

NMB48「絶滅黒髪少女」
(2011年 ※通常盤Type-A)

※通常盤Type-A のM2に「僕が負けた夏」収録。

ドロシーリトルハッピー
「HAPPY DAYS!」
(2012年 ※Type-B)

※Type-BのM2に「Hey boy! Hey girl!」収録。

――NMB48白組の「僕が負けた夏」に関しては、サビでフワっと転調する王道のAKBマナーを踏襲されていました。AKB的な音楽を意識して作ったのでしょうか?
 「そうですね、そこに当てはめるように作っています。王道っぽいコード進行とか。でもAKB系に関しては特にアレンジャーさんの力が大きい。作曲家さんは、いろいろな方が提供されているので。ドラムの音色ですとか、ギターの入れ方とかもアレンジャーさんのカラーが出ていると思います」
――最近だとドロシーリトルハッピーの新曲「HAPPY DAYS!」と「Hey boy! Hey girl!」を手掛けられましたが、これまでと同じくコンペですか?
 「はい。基本全部そうです。気に入っていただいて、作詞作曲アレンジをやらせていただいたという感じですね」
――ドロシーのメンバーは音域が広いですよね。
 「そうですね。音域の指定はあまりなかった。結構上の方まで使って曲を作っても大丈夫だよと」
――心掛けたことはありますか?
 「特にどのグループで、ということはないんですけど、いつも下調べするようにはしています。年齢とかどういうものが好きとか、過去のライヴ映像とかを見て、頭に入れて作るようにはしています」
――20歳以上年下の人の歌詞を書くわけじゃないですか。
 「それはいつも苦労している点で。アイドルさんの場合は歌っているのは中学生とか高校生とかが多い。でも、聴いているのは20代、30代の男性が多いじゃないですか? 僕と同年代の方もいらっしゃると思うんですよ(ツキダは39歳)。だから美化された、振り返って想う青春時代を書いているところがあるかもしれない。現実に今の10代が感じていることとは違う部分があるかも。でも、基本的な感情というのは時代が変わっても変わらないとは思います。あとやっぱり、メンバーのコたちが歌っても違和感がないものにしたいと思っています。そのあたりは気を使う部分ではあります。歌ってるコたちも共感して感情を込めて歌ってもらいたいとは思っているので。そうしないと聴いてる方も入り込めなくなってしまうので」
――オーダーありきで曲を作る中で、どうやってご自身のオリジナリティを出していくのでしょうか?
 「僕の色は全然出なくていいと思ってるんですね。アイドルが歌って、そのコたちの曲として響けばいいと思っているんですね。パッと聴いて僕と分からなくていいかなと。そのコたちにふさわしい曲にすることを主眼に置いてます。だから自分の特徴はこのシンセの音とか、転調だとか、そういうのは考えずにやっています。それに、自ずとカラーは出るものだと思っていますので」
――そうした結果、ツキダさんは分かりやすいメロディが最大の特色になっていると思いました。
 「むしろそれしかできない(笑)。アイドル・ソングを始めて2年くらいなので、もう毎回死ぬ思いでやってるんです。いかに期待に応えられるかっていうところで、ない引き出しを開けながら。鼻歌混じりに作れるようになったらいいんですけど。一日で作って楽勝!みたいなことはないですね。CM始めた頃からずっと必死の思いでやっている感じです」
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