

いつの時代もお騒がせ、マイケル・ジャクソンがドミニカ共和国で結婚した。お相手はリサ・マリー・プレスリー。あの、“キング・オブ・ロックンロール”ことエルヴィス・プレスリーの娘だ。これだけのビッグ・カップルとなれば、注目されるのは“いつ離婚するか”ということ。なんとも卑しい話なのだが、ご多分に漏れず、この2人も96年1月に19ヶ月で別離している。やっぱりね、と思う反面、子どもの姿を見てみたかったというファンもいる?
フリートウッド・マックでの活動で知られるスティーヴィー・ニックスが、米国アリゾナに生まれる。本名はステファニー・リン・ニックス。幼い頃、“ステファニー”という発音が難しく、自らを“スティーヴィー”と呼び始めた、と言われている。幼少期から歌うことが大好きで、はじめてギターを手にしたのは16歳の時。後に公私ともにパートナーとなるリンジー・バッキンガムとは学生時代に出会い、その後の成功を味わうこととなった。
ご存じジャズの帝王、マイルス・デイヴィス誕生。7歳の時、ラジオで聴いたジャズにのめり込んでいく。彼が生涯の相棒・トランペットと出会ったのは13歳。父からの誕生日プレゼントであった。その後、本格的に音楽に取り組み18歳でプロ・デビュー。成功に安住することなく、クール・ジャズの創始者、ハード・バップ&モードのリーダー、フュージョンを先駆けるなどして、時代を駆け抜けていった。'91年の死後も誕生日を記念した音源が作られるなど、その影響力は計り知れない。
GLAYのギタリスト、TAKUROこと久保琢郎が北海道函館市に生まれる。元シャンソン歌手の母を持ち、ピンクレディ→ビートルズ→尾崎豊と音楽の影響を受けたTAKUROは、高校1年のときにBOOWYのコピーバンド“GUEST-APO(ゲシュタポ)”を結成。しかし、さらに本物を追求する彼は、TERUをドラムとして加入させ新バンド“GLAY”をスタートさせる。その後HISASHIが加入し、上京後にJIROを加えたGLAYは、Jポップ史に残る快進撃を遂げていくことになる。
レニー・クラヴィッツがNYに生まれる。父はユダヤ系のプロデューサー、母はバハマ出身の女優。2人の異なる血と文化を受け継いだレニーは、両親の住むマンハッタンの高級住宅街と、祖母の住む低所得住宅街という極端な生活環境の中で育ち、ジャンクフードとテレビに夢中だったという。'89年にデビューし、2nd『ママ・セッド』が全世界で約300万枚を記録。一躍時の人となる。それにしても、今年、4年連続同一ジャンルでのグラミー賞を受賞(史上初)はまさに快挙!
1937年、漫画家のモンキー・パンチ(本名 加藤一彦)が北海道に生まれる。代表作は「漫画アクション」(双葉社 刊)連載、アルセーヌ・ルパンの末裔による活躍(悪事)を描いた『ルパン三世』。同作はTVアニメ化され、故 山田康雄の名演技、若き日の宮崎 駿、高畑 勲ジブリ両雄の手腕と共に国民的人気作品となる。原作のハードな印象とは異なり、アニメ版では優しさに重きを置いたキャラクター作りとなっている。

ジョンとヨーコ、24日にバハマで7日間の「ベッド・イン」を行なうため、ロンドンのヒースロー空港を出発。翌日、バハマ行きの予定を変更し、モントリオールへと向かった。2人はモントリオールのクイーン・エリザベス・ホテルで、2度目のベッド・インを26日から6月2日まで行ない、報道関係のインタビューを60以上受けた。2人はティモシー・リアリーやハレ・クリシュナのカナダ支部らと「平和を我等に」をレコーディング。またこのイベントでは、アメリカの保守派な漫画家アル・キャップと激しい論争が交わされた。