

スティーリー・ダンをはじめ、ソロとしても成功を収めているドナルド・フェイゲンが米国ニュージャージーに生まれる。71年にウォルター・ベッカーとともにグループを結成、後に2人のプロジェクトとして大成功を収める。80年代に入るとソロとしても才能を発揮。82年の1stソロ『ナイトフライ』はリリース当初から高い評価を獲得し、後年も名盤として親しまれることになった。どことなくジャズっぽい雰囲気も漂わせる、洒落たポップ・センスは天才的だ。
“神”の異名を取るギタリスト、マイケル・シェンカーがドイツに生まれる。彼のトレード・マークといえばフライングVだが、そのギターを手にしたのは、兄のルドルフが家に持ってきたことがきっかけだそうだ。スコーピオンズの一員としてデビューを果たしたのは、弱冠16歳の時。その後、UFO加入のために渡英した時点でもまだ10代だった。この頃の孤独感が後の不安定な精神状態に影響している、との声もある。が、そのプレイの素晴らしさは誰もが認めるところだ。
ロッド・スチュワートがロンドンに誕生。サッカー選手を目指しプロのチームと契約したが、ベンチの日々が続きミュージシャンへ転向。67年にジェフ・ベック・グループへの加入以降、グループとソロの両方で活動し、71年のソロ作『エヴリ・ピクチャー・テルズ・ア・ストーリー』で不動の地位を築く。「スタイルは金じゃ買えない。オレはわずかだが自分のスタイルを持つことができた。それは違ったものを見つけたいと努力したからだろう。ほかの誰とも違ったものをね」。だがロッドは、スタイル以上に脂肪も持ち合わせてしまったようだ。
'01年2月の「shooting star」で、約2年半ぶりに活動を再開したMY LITTLE LOVERのVo.Akko(本名:小林〈赤松〉亜希子)、東京都に生まれる。5歳からピアノをはじめ、小学校ではモダンバレエ、中学校では新体操に打ち込む。その後、国立音楽大学音楽部教育学科に現役合格し、大学4年の時、ミュージカル女優を目指してオーディションを受けた際にプロデューサーの小林武史に見い出され、デビューに至った。'95年に小林武史と結婚。主婦業もバリバリやってるようで、得意料理は筑前煮。



ゲット・バック・セッションのさなか、ジョージがビートルズを一時脱退。理由はポールとの衝突が原因と言われている(ジョンとの衝突が原因とも)。ジョンはジョージがスタジオを去った後、ザ・フーの「クイック・ワン」(タイトルを訳すと:彼がいない間に早くやってしまえ)を演奏したり、「戻ってこなければクラプトンを入れればいい」と発言したり、かなり攻撃的な姿勢をとっていた。15日にジョージはテレビ番組制作のセッションをアルバムと映画制作に変更することを条件にバンドに復帰した。