


ビースティ・ボーイズのデビュー・アルバム『ライセンスト・トゥ・イル』が全米チャートで1位に輝く。これはラップ作品としては初の快挙だった。誰もが知る名曲「ファイト・フォー・ユア・ライト」がロック・ファンからも親しまれているように、この作品で彼らはヒップホップ、ロック、パンクなどを見事なまでに融合。ストリートに根差したリアリティも忘れてはおらず、当時の大ヒットはもちろん、後になってもクラシックとして高い評価と人気を持ち続けた。
サイケデリックなフォーク・ロック・バンド、ラヴの中心人物だったアーサー・リーが米国テネシー州メンフィスに生まれる。父親はジャズ・コルネット奏者、母親は教師だった。もともとはテイラーという性だったが、ロサンゼルスに移住した後、母親の再婚を機にアーサー・テイラー・リーと名乗るようになる。60年代初頭からミュージシャンとしての活動を開始し、ラヴではLAシーンを中心に活躍。マルチ・プレイヤーでもあり、才能に溢れていた。2006年に死去。
いまだに語り継がれる、伝説のスーパー・アイドル、山口百恵が婚約と同時に芸能界完全引退を発表。相手は映画『伊豆の踊り子』で初共演した三浦友和。79年の大阪厚生年金ホールでのリサイタル中に三浦との仲を“恋人宣言”し、婚約にいたる。同年10月5日にはかの有名なファイナル・コンサートを開き、11月には赤坂の霊南坂教会で、2億円の超豪華結婚式を挙げる(テレビ視聴率30.7%)。ちなみにこの教会では郷ひろみも結婚式を挙げている。
人生の最後には猫一匹だけを友として暮らしていたという、フランス近代音楽を代表する作曲家、モーリス・ジョセフ・ラヴェル、スペイン国境に近いフランスの町シプールに生まれる。1928年、約15分間もの間ひとつのテーマ・メロディを繰り返す斬新な舞曲「ボレロ」を発表、一躍世界的有名人に。同曲は、拍手喝采で多くの観客に受け入れられたが、なかには“この作曲者は狂っている!”と叫ぶ人もあったとか。しかもラヴェルはその観客を見て「この音楽を本当にわかっているのは、あの人だけだ」と笑っていたと言われている。変わり者……。
ヴィジュアルロックの始祖・BUCK-TICKの桜井敦司、誕生。インディーズ時代はドラムを担当し、その後ヴォーカルに転向。'87年に「SEXUAL×××××!」でメジャー・デビュー。'88年にリリースしたシングル「JUST ONE MORE KISS」が大ヒットする。ちなみにBUCK-TICKというバンド名の由来は、華があって、過激で誰もが覚えやすい爆竹から取った、と言われている。


EMI第2スタジオにて「ラヴリー・リタ」のオーヴァーダビング作業が行われた。大量のテープ・エコーを使用したバック・ヴォーカル隊を率いたジョンはマイクに向かってわめいたり、掛け声を入れたり、くしとトイレット・ペーパーをパーカッションとして使用したりした。アップルのトニー・キングによると、スタジオにいたメンバー全員で風呂場にこもり、満足する音が録音できるまでトイレットペーパーをくしを利用して破いたりしていたらしい。ちなみに使用されたトイレットペーパーは「The Gramophone Company Ltd!」のマークが入ったものだった。