

元スマッシング・パンプキンズのスキンヘッド男、ビリー・コーガンが米国イリノイ州に生まれる。父親がブルース・ギタリストということもあり、幼少期から音楽に親しんでいたという。彼がギターを手にしたのは14歳の時。初めて結成したバンドはゴス系だったとか。その後、レコード店で働きながらメンバーを集め、スマパンで大成功を収めることになる。2000年にバンドは解散、ズワン結成やソロ活動を行なうものの、スマパンには未練が大アリのようだ。
英国のロックンロール・バンド、ザ・ダークネスのジャスティン・ホーキンスが英国サフォーク州に生まれる。まだアマチュアの頃、カラオケでクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」を完璧に歌いこなした、という逸話は有名で、あのジョーク手前の強烈なファルセットは昔からのものらしい。ギターの腕も実に達者。頑固なことでも知られており、かつて酷評されたNME誌の取材は一切受けていない。2006年、ドラッグ癖を克服するためにバンドを離脱。

甲本ヒロト、岡山県に生まれる。マンフレッド・マンを聴きロックを志し、大学進学のため上京した東京で真島昌利と出会う。ザ・ブルーハーツを結成。その頃、ヒロトは廃屋の工場に住んでおり、多くの友人が出入りするうちに真島も一緒に住むようになったという。しかし、ヒロトがTVばかり観て曲を作らず、怒った真島はTVを知人の家に持っていき、仲直りのためにヒロトが「リンダ・リンダ」を作ったというエピソードもある。87年『THE BLUE HEARTS』でメジャーデビュー。
'71年に解散した人気GSグループ・タイガースが、日本武道館で再結成コンサートを行なう。懐かしいデビュー曲「僕のマリー」などのオリジナルヒット曲や、「ツイスト・アンド・シャウト」などロックのカヴァー。また、同年2月に同窓会記念で発売し、CM曲ということもあってヒットした「色つきの女でいてくれよ」などなどその内容は盛りだくさん。自分たちで楽しもうという姿勢が伝わるリラックスした雰囲気は、後日発売されたライヴ・アルバム『A-LIVE』からも感じ取ることができる。
アメリカンポップスの巨匠・ナット・キング・コール、誕生。'50年代、全てのアメリカ国民から、そして世界の音楽ファンから愛されたコール。牧師の子供として生まれた彼は、幼い頃からピアノを習う。その後、トリオでの演奏やミュージカルの伴奏楽団の指揮をして、ジャズの新境地を切り開き「キング」の愛称で親しまれる。そして、シンガーの才能を見いだされ、張りのある低い声で多くの人々を魅了し、今でも語り継がれる数々の名曲を世に送り出した。娘はアメリカポピュラー音楽界の超大物歌手、ナタリー・コール。


午後7時から「シーズ・リーヴィング・ホーム」のオーケストラ・セクションの録音を行なった。このオーケストラ・スコアを担当したのはマイク・リーンダー。というのも、ジョージ・マーティンはシラ・ブラックの録音で手が離せず、ポールは急遽別の人にアレンジを依頼したのだった。これもポールの「今すぐに録音したい」という衝動によるものだったのだが。この件でジョージ・マーティンはかなり気を悪くしたそうだが、録音時にはオーケストラの指揮を務め、リーンダーのアレンジを「良い仕事をしたと思う」と評価している。