

英国のブルース・ロック・バンド、フリーで活躍したポール・コゾフが逝った。自分の結成したバンドが崩壊していく様に堪え切れず、ドラッグにどっぷりと耽溺。『ハートブレイカー』制作時にはパーマネント・メンバーではいられないほどに体調は悪化していた。自身のバンド、バック・ストリート・クローラーのアルバムを米国でプロモーション中に移動の飛行機内で死去。ドラッグに起因する心臓麻痺だった。享年25。その泣きのギター・プレイは今も色褪せることはない。

MR.BIGなどでの活動で知られるベーシスト、ビリー・シーンが米国ニューヨークに生まれる。彼が初めて手にした楽器はアコースティック・ギター。祖母の反対によってエレクトリック・ギターを買うのは許されなかった、という逸話が残っている。タラスの一員としてロック・シーンに登場すると、デヴィッド・リー・ロス・バンドにおいてスティーヴ・ヴァイとの超凄腕弦楽器隊として有名に。MR.BIGでは特に日本で高い人気を誇った。
「青い霹靂」「HOT LIMIT」などでヒットしたT.M.Revolution=西川貴教がアーティスト名“T.M.Revolution”を封印。デビュー時に宣言した念願の東京ドームでのライヴを終えた西川は、ラジオ番組内で「プロジェクト〈T.M.Revolution〉を一時封印して、進化させよう」と宣言。“the end of genesis T.M.R. evolution turbo type(TMR-E)”として生まれ変わるも、翌年4月、あっけなく“新生T.M.Revolution”を宣言。やっぱ長すぎたのかな、名前。
歌手・尾崎亜美、京都府に生まれる。'76年にデビューし、翌年には化粧品のCMに使われた「マイ・ピュア・レディ」がヒットし一躍有名に。'78年、初めて編曲までこなした南沙織「春の予感」を筆頭に、杏里「オリビアを聴きながら」、松田聖子「天使のウインク」など多くのアーティストに数々の名曲を提供。その活動の充実ぶりは、2001年の25周年記念CD&ライヴに集まったミュージシャンの豪華さをみても一目瞭然だろう。細野晴臣、高橋幸宏、宇崎竜童、杏里、奥田民生、福山雅治まで。う〜ん、豪華!
アジアの天然少女・ビビアン・スー、誕生。台湾の美少女芸能コンテストでグランプリに輝き、'90年、アイドルグループ少女隊の一員としてデビュー。あっというまに台湾の若者を虜にしてしまった。'95年に日本進出。写真集を出したとたんに注目を浴び、すぐさま大ブレイク。バラエティー番組などで天然ボケキャラの印象が強いが、福建語、北京語、日本語、英語と4カ国語を話す才女。昔からボーリングが得意で最高256のスコアを持っている。ちなみに、小さい頃から住まいを転々とし、30回以上も転校したとか。


ロンドンにあるドチェスター・ホテルにて行われたバラエティー・クラブ主催の昼食会にて、ハロルド・ウィルソン(労働党党首)により、1963年度ショー・ビジネス界のパ−ソナリティ賞を受賞。このウィルソン氏はアルバム『リボルバー』に収録されている「タックスマン」の歌詞に登場するミスター・ウィルソン本人。また、このウィルソン氏は66年に閉鎖となったキャヴァーン・クラブを再開させるだけでなく、65年のビートルズへのMBE勲章授与を推した張本人であった。どうやらこのウィルソン氏は熱狂的なビートルズ・ファンでもあったようだ。