

映画『タイタニック』の主題歌「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン(タイタニック・愛のテーマ)」でお馴染み、セリーヌ・ディオンがカナダのケベック州に生まれる。彼女の家は兄姉が14人という大家族で、セリーヌはその末っ子。日本では『タイタニック』があまりにも有名だが、それ以外にも、『美女と野獣』『めぐり逢えたら』『アンカーウーマン』などなど、多数の映画主題歌を唄っている。あの伸びやかな声は、確かにスクリーンにぴったりかも。
歌手の島倉千代子が東京都品川区に生まれる。幼少期に左腕に大怪我を負い、それを励ますかのように母親が聞かせてくれた「リンゴの唄」が、彼女にとっての音楽原体験になったようだ。終戦後に歌手を目指すようになり、1954年のコロムビア全国歌謡コンクールで優勝。16歳でデビューを果たすと数々のヒット曲を放ち、人気歌手の仲間入りを果たす。以降、波乱万丈の人生を送るが、80年代後半以降はバラエティ番組にも進出した。
女性ジャズ・シンガーのノラ・ジョーンズが米国ニューヨークに生まれる。父親は著名なシタール奏者のラヴィ・シャンカールだが、幼少期からほとんどの時間を母親と過ごしたという。ダラスに移住した彼女は、その母親のレコード・コレクションによって音楽とピアノに目覚め、大学在学中に訪れたニューヨークでそのまま音楽活動に没頭してしまう。2002年にデビューするや、そのしなやかな歌声でジャズ・シーンのみならず世界的な人気を得た。
モーニング娘。の新メンバーに石川梨華、加護亜依、吉澤ひとみ、辻希美の4人が決定。2日後の4月1日に、4人は現メンバーと対面し、11人編成となる。しかし翌月には市井紗耶香が脱退を表明、「ハッピーサマーウェディング」は、最初で最後の11人による楽曲となった。加護&辻は当時12歳ということもあり、ロリ寸前のチャイルドパワーでモー娘を牽引。この二人に矢口真里、ミカ(ココナッツ娘。)を加えて結成されたミニモニ。は、「ミニモニ。ジャンケンぴょん!」で大人気に。
〈ギターの神様〉ことエリック・クラプトン、イギリスのサーリー州に生まれる。15歳でギターを始め、'60年代にはザ・ヤードバーズ、クリームなどロック史上に残るグループのギタリストとして活躍。親友であるジョージ・ハリスンの妻に恋をし、自分の妻にしてしまった激情を歌った「レイラ」はあまりにも有名。2001年には引退説も流れたが(理由は娘が産まれたからetc.)、同年末には日本公演を行ないファンを喜ばせた。しかし来日中、ジョージが急逝。クラプトンはそれを知りながら一言も口にせず、淡々とステージを続けたという。泣けるね〜。
NHKの『勝ち抜き歌謡天国』で名人となり、審査員の猪俣公章に認められた坂本冬美。上京し、半年間修行を積み内弟子生活を終えた後、「あばれ太鼓」でデビューする。同期生には、酒井法子、立花理佐、後に将棋の羽生喜治名人と結婚した畠田理絵らがいる。その後、日本レコード大賞の受賞や12年連続紅白出場を果たすなど輝かしい経歴を誇る。ちなみに坂本は歌手になる以前、地元和歌山で「紀州の梅干し」を扱う会社のOLをしていた。

1943年、アニメーター/イラストレイターの谷口守泰が兵庫県に生まれる。1970年代後半、作画スタジオ“アニメアール”を大阪に設立。新人の育成に努めると共に、80年代を彩る数々の作品群を世に送り出した。各話作画監督を担当した『装甲騎兵ボトムズ』において、塩山紀生によるキャラクター・デザインを自ら変更、塩山の支持を得るとともに好評を博す。話題作には必ずと言って良いほどクレジットされる、日本を代表するアニメーターのひとり。水彩を用いた淡いタッチの作風で、イラストレイターとしても活躍。
1967年3月30日、声優の林原めぐみが東京都で生まれる。86年にTVアニメ『めぞん一刻』の幼稚園児役で声優デビュー、以降、トップ・レベルの人気を誇る声優へと成長。『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイ、『らんま1/2』の早乙女らん、『カウボーイビバップ』のフェイ・ヴァレンタインなど、多くの人気キャラクターを演じつづけいる。また、90年代の声優シンガー・ブームの立役者として歌手でもヒットを連発。その他、DJ、作詞、エッセイ執筆など、幅広く分野で活躍している。
アルバム『サージェント・ペパーズ・・・』のジャケット撮影がチェルシー・フォトグラフィック・スタジオにて行なわれた。カメラマンはマイケル・クーパー。ピーター・ブレイクのデザインによるジャケットの制作にあたって、スタッフはジャケットに登場するすべての人たちの承諾をとりつけた。肖像権以外の請求をした俳優のレオ・ゴーシーやガンジー、ヒトラーなどは削除された。ビートルズの衣装は英国演劇界で有名な衣装屋バーマンズによるスペシャル・メイド。当初は救世軍の制服を着る予定だったそうだ。