

誰もが知る名ソウル・シンガー、マーヴィン・ゲイが米国ワシントンに生まれる。父親はキリスト教の牧師で、教会の聖歌隊で歌ったことが最初の音楽経験となった。が、この父親の躾が異常なまでに厳しく、マーヴィンの人格形成に大きな影響を与えたことは有名だ。そのはけ口を音楽に求めた彼は、ピアノやドラムも会得。シンガーとしての才能も開花させ、モータウンの一時代を築くなど、成功を収めるに至った。84年、父親に撃たれて死去。誕生日前日のことだった。
日本を代表するサウンド・クリエイター、平沢進が東京都に生まれる。キャリアのスタートはマイドレイクというプログレッシヴ・ロック・バンドだったことは有名だが、その後はテクノ・ポップのP-MODELを率い、テレビのドキュメンタリー番組用からゲームやアニメのサウンドトラック盤に至るまで、様々な音楽を作り続けている。ちなみにデビュー間もないP-MODELはヴァン・ヘイレン来日公演の前座を務め、ハード・ロック・ファンにも衝撃を与えたそうだ。
GLAYがビデオ『VIDEO GLAY4』のプロモーションで、秋葉原駅前の巨大ビジョン、スーパーライザ秋葉原に約20分出演。同電気街のモニター約1,000台でも終日放映された。ファンの前に姿を現したのが99年末以来というだけあり、1万人を超えるファンが集結、熱狂した。電波ジャックを行なったアーティストといえば、宇多田ヒカル、安室奈美恵、hitomi、ラルク・アン・シエル、桑田佳祐などが有名だが、秋葉原ジャックは珍しい。

シェルター・レーベルを立ち上げたレオン・ラッセル、米オクラホマにて生まれる。小さな頃からピアノを習い、16歳からスタジオ・ミュージシャンとして数多くのミュージシャンのバックを務める。その後、作曲、編曲の技術を磨き、裏方の活動に力を入れる。多くのアーティストのプロデュースを手掛け、ジョー・コッカーが歌った「デルタ・レディー」が大ヒットし、一躍注目の人となる。代表曲は、カーペンターズがカヴァーした「スーパー・スター」、ジョージ・ベンソンがカヴァーした「ディス・マスカレード」など。
藤子・F・不二雄原作のTVアニメ『ドラえもん』(テレビ朝日/第2作)の放送が1979年4月2日より、月曜〜土曜の10分枠の帯番組としてテレビ朝日(関東ローカル)でスタート。同年4月8日より放送が開始された全国ネットの30分番組(当初は日曜の朝8時30分?)は、当初その10分枠番組の再放送であった。以後、2005年のリニューアルを挟み、現在(2009年)も放送が続いている。世代を超えて愛されている、まさに国民的アニメ。

グリン・ジョンズの手によって、2度のミックスを終えたものの未発表のままに終わっていたアルバム『ゲット・バック』。そのセッション・テープをジョンとジョージがフィル・スペクターに託した。3月23日から編集作業が行なわれ、この日、すべての作業が終了。完成の現場にはジョージとアラン・クラインだけが立ち会っていたそうだ。この編集でフィル・スペクターはストリングスやコーラスを重ねるなどし(ポールやジョージ・マーティンはこの作業を知らなかった)、原点回帰という制作開始当初のコンセプトとは違った形で、アルバム『レット・イット・ビー』を完成させた。