

レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンで名を馳せ、オーディオスレイヴでも活躍するギタリスト、トム・モレロが米国ニューヨークに生まれる。父親はケニアの元ゲリラ、母親は反検閲団体に所属と、幼少の頃から政治的な要素の強い環境で育った。ギターやロックンロールとともに、政治問題に興味を持つのも当然と言えるだろう。名門ハーヴァード大学を優秀な成績で卒業するなど、その頭脳は明晰。もちろんギタリストとしても一流で、そのグルーヴ感は独特のものだ。
80年代後半から人気を博した男女デュオ、ロクセットの女性シンガーであるマリー・フレデリクソンがスウェーデンに生まれる。5人兄妹の末っ子で、両親が共働きだったこともあり、幼い頃は一人で過ごす時間が多かったという。そんな彼女はスターになることを夢見て、毎日イマジネーションを働かせていたそうだ。70年代後半、ペール・ゲッスルとの出会いから本格的に音楽活動をはじめ、後に世界的人気を博すことに。想像力は創造力を生んだようだ。
hitomi、初のワンマン・ライヴ“LIVE PUMP UP”を渋谷ON AIR WESTにて開催する。彼女がVJをつとめていた番組『PUMP UP』によって行なわれたこのライヴは、同年4月に発売された3rdシングル「CANDY GIRL」の小ヒットの後であったが動員数は500人だった。しかし、それから時を経るごとにヒット曲は増え、2000年末に行なわれた渋谷の街全体を会場に見立てた異色ライヴでは、約10万人がライヴを体感するほどの人気を見せつけた。
'60年代に一世を風靡したGSグループ「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」のVo.で、作曲家でもあった井上忠夫が、首吊り自殺を図る。原因は自分自身の病気と、病気がちだった妻の看病への疲労。〈当たり屋〉の異名をも持つ彼の手がけた曲は幅広く、「ブルー・シャトウ」に始まり、郷ひろみの「2億4千万の瞳」やシブがき隊の「NAI・NAI16」、また自らVo.も手がけた機動戦士ガンダム「哀戦士」、そしてコカ・コーラのCM曲などなど、若い世代に馴染み深いものも多かった。
ジャズ・クラリネット奏者のベニー・グッドマン、シカゴの貧しいユダヤ人の仕立屋に生まれる。早くから音楽の才能を発揮していたグッドマンは12歳で大人顔負けのプレイを披露、25歳で自分の楽団を持つ。当時はまだ黒人芸能の一種であったジャズ。しかし、グッドマンのゴージャスなビッグバンド編成のダンス・ナンバーは白人に受け、そのことが後のジャズ・シーンを大きく変える結果となった。また、ユダヤ人として差別されて育ったグッドマンは、黒人メンバーとも一緒のステージに立った白人ジャズ・マンでもある。
大滝詠一のアルバム『ナイアガラ・ムーン』が発売。'73年、はっぴいえんど解散後、自身のレーベル〈Niagara〉を設立、同アルバムが発表された。自宅のスタジオで制作、滝の音に始まり、滝の音で終わる45分間は全編がノヴェルティ・タイプの音楽で貫かれており、一部を除いて自作自演。そのうえ全曲の詳細な解説まで書き添えるという、ユニークな作品。バックには細野晴臣、松任谷正隆、上原裕、伊藤銀次、山下達郎らが参加、日本のポップス史上に残る傑作として名を馳せている。大滝自身の自己ベスト3に入る1枚でもあるという。


7月26日まで続いた、アルバム『ザ・ビートルズ』のレコーディング・セッションで最初に取り掛かったのはジョンの「レヴォリューション」であった(後にリメイク版がシングルに収録されることになり、このヴァージョンは「レヴォリューション1」というタイトルに変更されアルバムに収録)。午後2時半から12時間近く続いたセッションでリズム・トラックを18テイク録音。そのOKテイクとなったテイク18は10分17秒もあった。この10分に及ぶテイク18の後半部分は、フィードバック・ノイズやジョンの叫び声などで混沌としたジャムセッションとなり、「レヴォリューション9」のベースとなった。