

アイルランドが生んだ名ギタリスト、ロリー・ギャラガーが47歳という若さで死去。以前から肝臓を患い、その移植に伴う合併症が原因だった。塗装の剥げたストラトキャスターとネルシャツがトレード・マーク、ライヴでは1曲終わる度に“Thank you very much, indeed”と丁寧な口調で礼を述べる礼儀正しい男でもあった。そんな人間性を反映してか、ブルースを基本にしたそのギター・プレイにもどこか優しい響きが感じられるのだ……。

『夜のヒットスタジオ』に出演中のRCサクセション、忌野清志郎が、カメラに向かってガムを吐き出し抗議電話500本以上がテレビ局に殺到。「いけないルージュマジック」で不動の人気を得ていたRC。ライヴではすでにガムを吐き出すパフォーマンスが人気を博していたとか。また清志郎は『ザ・ベストテン』では坂本龍一とキスをするという大胆不敵な行動に出て、世間の注目を集めたりもした。
80年代前半の〈ニュー・ロマンティック〉ブームの象徴、カルチャー・クラブのボーイ・ジョージ、ロンドンに生まれる。雑誌やCFのモデルなどを経て、'82年にカルチャー・クラブでデビュー。はじめの2枚はヒットしなかったものの、ジョージのユニセックス・スタイルが話題となり、「君は完璧さ」が大ヒット。80年代の英国を代表するバンドとなった。'83年には日本にも初来日し、富士山や富士五湖にもいったとか。
大槻ケンヂが率いた筋肉少女帯の結成は'82年。中学の同級生、内田雄一郎との結成で、二人を核にしてメンバーチェンジを繰り返すことに。この年のライヴはメジャー・デビュー直前。当時、彼らは高校の先輩であるケラ(元・有頂天)のレーベル「ナゴム・レコード」に所属していた。およそ1年後の'88年6月21日に、第18期のメンバーでデビュー・アルバム『仏陀L』をリリース。現在、大槻ケンヂは2000年に脱退し、新バンドの特撮を結成して、同年1月26日にシングル「アベルカイン」をリリースした。

日本が誇る小説家、川端康成が大阪で産声をあげる。名作『伊豆の踊り子』は何度も映画化され、主演に美空ひばり、吉永小百合、山口百恵らといったトップ・スター女優が起用されたことでも話題に。1968年には日本人初のノーベル文学賞を受賞し、世界にその名を馳せた。
アメリカ・キャピトルからアルバム『ビートルズVI』発売(日本では70年9月25日発売)。全米ではチャート登場3週目に1位を獲得。以後、6週連続の1位を記録した。このアルバムの最大のポイントは、アルバム『ヘルプ!』に収録される新曲3曲が英国よりも2ヵ月早く聴けたことと、66年に発表されたアルバム『オールディーズ』が発売されるまで英国では未発表だった「バッド・ボーイ」が収録されていたこと。このアルバムは2006年に発表された『ザ・ビートルズ‘65 BOX』に収録され、初のCD化となった。