


「ファイアー」のヒットで知られる英国人ロック・シンガー、アーサー・ブラウンがヨークシャーに生まれる。本名はアーサー・ウィルトン。大学では法律と哲学を学んでいたという博識だ。その一方で音楽に対する情熱も熱く、68年にデビューを飾っている。先述の「ファイアー」をパフォーマンスする際には頭の上に炎を載せ、白塗りのメイクも施すなど、そのギミックの数々は“ショック・ロック”の元祖として、後続に影響を与えたとされている。
美空ひばり、心不全のため死去。東京ドームで“不死鳥コンサート”を成功させ、奇跡のカムバックと話題を集めた翌年であった。天才歌姫は早熟で、9歳の時『素人のど自慢』を落とされたのが、子供のくせにうますぎて嫌みという理由。“大人の歌が自分の歌だった”という少女は12歳の時、「悲しき口笛」でデビューし、その後約1,200曲を吹き込んだ。ピチカート・ファイヴらのトリビュート盤やUAの「リンゴ追分」などのカヴァーも印象的だ。
J-R&Bシーンを引っ張るMISIAの、1stアルバム『Mother Father Brother Sister』が発売。デビュー曲「つつみ込むように…」「陽のあたる場所」といったヒット曲を含む同アルバムは、シングル曲以外の水準も高く、セールスは徐々に伸びて200万枚を突破。邦楽でありながら洋楽的センスにあふれ、ごく普通の人からコアな音楽ファンまでを巻きこんだ大ヒットとなった。
エリック・クラプトン、ジミー・ペイジとともに、ブリティッシュ・ロック界の3大ギタリストと称されるジェフ・ベック。英国のウェリントン生まれの彼は、孤高のギタリストと言われる。取材嫌いな彼の素顔はほとんど明かされない。デビューはクラプトンの後釜として加入したバンド、ヤードバーズから。その後'75年にソロで発表した『ブロウ・バイ・ブロウ』は初のフル・インスト・アルバムで、最高の売上げを記録。そして'99年に10年ぶりのアルバム『フー・エルス!』をリリース。来日公演も果たし、日本に再びベック旋風が吹き荒れた。


ビートルズ唯一のイタリア公演は3都市で行なわれた。その最初のミラノ公演は、ベロドローモ・ビゴレッリという客席数2万2000人収容の野外劇場で午後と夜の2回の公演となった。しかし、午後は7000人、夜は2万人と満席にはならなかった。翌25日朝、ミラノから陸路でジェノヴァに到着したビートルズはパラッツォ・デロ・スポルトという客席2万5000ものアリーナで2回公演を行なうも、午後の公演には5000人ほどの観客しか集まらなかった。2回目の公演を終えたビートルズは、すぐにチャーター機でローマへと向かっている。