


フィメール・ラッパーのミッシー・エリオットが米国ヴァージニア州に生まれる。本名はメリッサ・エリオット。もともとは“Sista”というR&Bグループで活動していた彼女は、ジョディシのデヴァンテに見初められ、デビューのきっかけを掴んだ、というのは有名な話。プロデュースやソングライティングで経験を積んだ後、ラッパーとしてシーンに躍り出るや、瞬く間に人気を獲得していく。CMや映画への出演など、話題に事欠かないヒップホップ界の姐御である。
変わり者の音楽家としても有名な作曲家、エリック・サティが肝硬変に加え肋膜炎を併発し極貧状態で病院で死去。死後、友人たちがはじめて入った部屋は、洞窟にクモの巣がはったようなところだったという。13歳でパリ音楽院に入学するが、アカデミズムを嫌ってカフェのピアニストをしながら、大胆な着想と奇抜な表題の作品を発表。単調でありながらも叙情的な「ジムノペディ第1番」などが有名で、この曲は北野武監督映画『その男、凶暴につき』などでも印象的に使われている。
事実上の引退状態から、2004年4月に復帰を果たした鈴木あみ(復帰後は亜美)、テレビ番組『ASAYAN』のオーディションでダントツの視聴者票を獲得し、デビュー。おてんばで目立ちたがり屋で、小さい時から歌手にあこがれていた彼女の口癖は「スカウトされるためにはどうしたらいい?」。しかし、陸上部の練習が忙しくなかなか東京に行けなかったために、『ASAYAN』のオーディションに参加したという。家族は結束が固く、唯一の家訓は“何でも自分でやる”。


ジョンとヨーコ、ジュリアンとキョーコを連れてスコットランドを旅行中に自動車事故を起こした。原因はジョンが誤ってハイウェイをはみ出したこと。負傷した4人はサザンランドのローソン・メモリアル病院に入院。ヨーコは頭を14針縫う大怪我を負った。軽症のジュリアンは叔母のミミが連れて帰り、ジョン、ヨーコ、キョーコの3人は6日に退院。600ポンドでチャーターしたヘリコプターでスコットランドへ向かい、そこから飛行機でロンドンへ戻った。