

こんな見出しは失礼かもしれませんが……。“たま”で活躍した石川浩司が東京都に生まれる。神奈川県と群馬県で育ち、デビューしたのが90年のこと。当時29歳だった訳で、かなりの遅咲きだ。ランニングに短パン、坊主頭でぽっちゃりした体系……。山下清を想起せずにはいられない、強烈なビジュアルのインパクトは絶大だった。後に、ダウンタウンの『ガキの使いやあらへんで!!』に何度か出演。松本人志によって“たまのランニング”という愛称が付けられたのでした。
80年代のLAメタル・シーンで活躍した、ラットのシンガーであるスティーヴン・パーシーが生まれる。10代の頃はレース・ドライヴァーを夢見ていたそうで、ミュージシャンになるつもりはなかったとか。そんな彼に転機が訪れたのは、バイク事故で入院した時。アコースティック・ギターを手にしたものの長続きせず、ヴォーカリストを目指し、ラットの前身“Mickey Ratt”を結成する。歌唱力に疑問符が付くのは確かだが、彼の声こそラット、という意見も多い。


デビュー・シングル「Man&Woman」はタイアップなしで、最高位7位までランクを伸ばしたMY LITTLE LOVER。その直後、セカンド・シングルとして「白いカイト」をリリース。真っ白の帽子をかぶったヴォーカリストAKKOの姿が印象的なジャケットの通り、さわやかな夏の曲である。仕掛け人はミスチルのプロデューサー小林武史。のちにメンバーに加入し、AKKOと結婚。'02年7月にギタリスト藤井謙二が脱退したことで、夫婦ユニットになった。
尾田栄一郎作の漫画『ONE PIECE』及びそれを原作とするTVアニメに登場する架空の人物。麦わらの海賊団の一員。オレンジ色の髪と左上腕部のタトゥーが特徴。ココヤシ村で静かに暮らしていたが海賊団に村を襲われ、無理矢理海賊団の一員にされる。村を取り戻そうと海賊団と契約し買い取るために「海賊専門の泥棒」を始め、そこでルフィたちと出会う。しかし、海賊団の裏切りにあい集めた金を奪われてしまう。それをルフィたちが助け、正式にルフィたちの仲間になった。
映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が米国で公開される。製作総指揮スティーヴン・スピルバーグ、ロバート・ゼメキス監督が送る、SF冒険映画。タイムマシンで過去にタイムスリップするというストーリーは老若男女に感動と興奮を与え、また懐古の念を抱く者にとっては永遠の憧れになったはず。マイケル・J・フォックス演じるマーティと、クリストファー・ロイド演ずるドク博士のドタバタ活劇は、今も色褪せることなくフィルムの中に存在し続けている。
マンチェスターのプレイハウス・シアターでBBCのラジオ番組『ザ・ビート・ショー』を収録。収録は62年にビートルズがラジオ初出演を果たした『ヒア・ウィ・ゴー』に出演したときと同じマンチェスターのプレイハウス・シアターで行なわれた。実は『ザ・ビート・ショー』は、「ヒア・ウィ・ゴー』とほとんど同内容で、違っていたのはプロデューサーと司会のゲイ・バーンだけ。午後4時からリハーサルを開始し、番組は午後8時から9時に、観客の前で収録された。ビートルズは「フロム・ミー・トゥ・ユー」「蜜の味」「ツイスト・アンド・シャウト」を演奏した。番組は7月4日の午後1時から1時30分に放送された。