



LOVE PSYCHEDELICOの2ndシングル「Your Song」が発売。同年4月のデビューシングル「LADY MADONNA〜憂鬱なるスパイダー〜」(オリコン88位)を大きく上回るスマッシュヒットを記録する(オリコン最高17位)。ちなみにタイトル「Your Song」はエルトン・ジョンの名曲と同名(さらに「LADY MADONNA」はビートルズの名曲と同名)。初アルバムに『THE GREATEST HITS』と名付けた、彼らのネーミングセンスがここにもチラリと。
歌手・藤圭子、岩手県に生まれる。父は浪曲師・母は曲師。生後間もなく北海道に移り、10歳頃からステージで歌い始める。その後上京し、'69年4月「新宿の女」でデビュー。3枚目のシングル「圭子の夢は夜ひらく」が大ヒットし、作家五木寛之が彼女の歌を〈怨歌〉と絶賛するなど、一大ブームとなる。その後、歌手・前川清との結婚&スピード離婚、ポリープ手術といった紆余曲折を経て、'79年突然の引退表明。自分のやりたいのは演歌ではないとNYに留学し、音楽プロデューサーの宇多田照実と結婚。娘・光が誕生したのであった。
'69年7月3日に溺死した、脱退直後のブライアン・ジョーンズ。2日後に、ローリング・ストーンズは追悼公演を行なった。このライヴは新加入したミック・テイラーのために企画されていたが、急きょ追悼ライヴも兼ねることに。会場はロンドンのハイド・パークで、初のフリー・コンサート。ミック・ジャガーによる、ブライアンに捧げる詩も朗読され、観客25万人が涙した。このライヴ映像に加え、ミックが当時のストーンズの状況を語る姿を収録した『ハイド・パーク・コンサート』はビデオ・DVD化されている。
1929年7月5日生まれ。日本の男性俳優、声優。青二プロダクション所属。ニヒルで重厚な演技が要求されるものからコミカルで柔和な面をあわせ持つキャラクターまで幅広く演じ分ける、卓越した演技力の持ち主である。なかでも『ゲゲゲの鬼太郎』(第1作・第2作)でのねずみ男は有名。本人はねずみ男を気に入っており、人間の本質でもあるいい加減さを体現したキャラクターに共感を覚えると語っている。
映画『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌』が公開される。「BR法」なる新法の下、中学生が無人島で殺し合いをさせられるバイオレンス・アクションの続編。製作発表時に深作欣二監督が前立腺がんの脊椎転移を告白、撮影開始直後に帰らぬ人となってしまう。代役に息子の深作健太を起用し、「I」の地獄絵図を生き延びた少年たちが、すべての大人に宣戦布告する物語を描ききった。
イメルダ・マルコスのパーティに招待されていたものの、連絡の行き違いで昼食会を欠席。それが国民の反感を買うことになった。前日の昼食会欠席は国民的な問題となり、ブライアン・エプスタインがテレビを通して声明を発表するも脅迫、嫌がらせの数々を受けることになってしまった。ビートルズとその一行は出国を妨害され、空港では暴動騒ぎとなり、4人は幸い無傷であったが、ブライアン・エプスタインとマル・エヴァンスは暴行を受け、負傷した。飛行機に乗り込んだあとも、嫌がらせは続き、午後4時45分にマニラ国際空港を離陸。バンコク経由でインドのニューデリーに向かった。このインド滞在でジョージはシタールを購入した。