

歌手の研ナオコが静岡県に生まれる。小さな頃から歌は得意だったようで、地元ののど自慢大会の常連だったとか。17歳で歌手を目指し上京するが、一時期は競艇の選手だったこともある。「あばよ」「かもめはかもめ」「夏をあきらめて」など、切ないマイナー調の曲を歌わせたらその声は絶品だ。一方で、ユーモアのセンスにも長けており、『カックラキン大放送』や『8時だよ!全員集合』では芸人顔負けの見事なコントを見せていた。
米国のヘヴィ・メタル・バンド、アヴェンジド・セヴンフォールド(以下、A7X)のギタリストであるシニスター・ゲイツが生まれる。本名はブライアン・ヘイナー・ジュニア。彼の華麗極まりないリード・プレイは、後にバンドの核となるのだが、1stアルバム『サウンディング・ザ・セヴンス・トランペット』(2001年)では1曲しかプレイしていない。が、以降の貢献度は非常に高いものがある。ちなみに彼の父親もギタリストで、A7Xの作品でも度々プレイしている。
日本が誇る異色の直訳ロッカー、王様が兵庫県西宮市に生まれる。95年のデビューシングル、ディープ・パープルの直訳メドレー「深紫伝説」が、日本レコード大賞企画賞を受賞。その後も96年「浜っ子伝説」(ビーチ・ボーイズ直訳集)、「想像してごらん」(ジョン・レノン/「イマジン」)、99年「御立派!!」(ソウル直訳集)、2000年「接吻伝説」(KISS直訳集)など、数々の作品を発表。唯一無二の道を突き進む。その名とは裏腹に、銭湯と四畳半を愛する腰の低いロッカー、それが王様なのだ。
MISIA、長崎県に生まれる。幼いときから音楽に囲まれて育ち、4才からピアノを習う。歌手になる夢を抱いたのは、小学校の頃に見たゴスペル・ミュージカルのCMだったとか。2001年の誕生日にはクリップ集が発売され、ファン・クラブ限定のシークレット・ライヴも開催。ライヴ限定でメロンパンが好きなMISIAが発案・デザインしたキャラクター“メロンパンダ”のグッズも販売された。その後、バースデイ・ライヴにに居合わせたツクダの社員がほれ込み“メロンパンダ”は商品化されたが、売れ行きやいかに?
1964年7月7日生まれ。日本のアニメーション監督・演出家。大学卒業後、亜細亜堂に動画担当として入社、後に演出助手、そして演出に転じる。彼が監督を務める作品は、原作の無いアニメ・オリジナル作品であることが多く、ジャンルも描写も異なるバラエティに富んだ作品群となっている。また登場人物が非常に多いことでも知られる。代表作は『機動戦艦ナデシコ』『宇宙のステルヴィア』など。

リヴァプールのディングル地区で、予定より1週間遅れで生まれた。本名リチャード・スターキー。パン職人であった父リチャードと同じ職場で働いていた母エルシーとの間に生まれた初めての子供だった。労働者階級の習慣に従って、父親と同じ名前をつけられた。両親は3歳の時に離婚し、母エルシーが親権者となった。リンゴは病弱な子供時代を過ごし、6歳の時に盲腸炎から腹膜炎を併発。10週間もの間、昏睡状態に陥り、結果、1年以上もの間、病院にいることになった。13歳のときには風邪をこじらせて肺炎にかかり、2年間ものあいだ入院をした。