

ディープ・パープル、ホワイトスネイクで知られるシンガー、デヴィッド・カヴァーデイルが英国ソルトバーンに生まれる。幼少の頃の家は階下がクラブであり、そのジュークボックスでロックを聴いていたそうだ。ブティックの店員をしながらいくつかのセミプロ・バンドで活動、73年にパープル加入という大チャンスをものにする。そのセクシーな佇まいとディープ・ヴォイスで、ダンディな雰囲気を醸し出すが、パープル加入直後は垢抜けておらず、リッチー・ブラックモアが整形を指示したらしい。
ザ・ランナウェイズでデビューし、ソロやザ・ブラックハーツを率いての活動でも成功を収めている女性ギタリスト、ジョーン・ジェットが米国フィラデルフィアに生まれる。本名はジョーン・ラーキン。ランナウェイズを結成した時、彼女はまだ15歳。時にはリード・ヴォーカルも取り、ソングライティングにも関わるなど、才能の一端を垣間見せている。解散後も精力的な活動ぶりを見せ、ロック・シーンの姉御として不動の評価を得た。
ロック・バンド「X-JAPAN」解散表明。4月に脱退していたTOSHI(vo)は姿を現さず、YOSHIKI(ds)が涙をひたすらこらえるという沈んだ会見に。解散後は、TOSHIの洗脳騒ぎやHIDE(g)の死去など良くない話題が続いたが、「EASY FIGHT RAMBLING」「20th CENTURY BOY」などロック・ファンを唸らせる名曲も多い彼らには、その後も再結成を求めるファンが後を絶たなかった。ちなみに彼らのラスト・ステージは、チェッカーズ同様紅白歌合戦だった。
元SPEEDの今井絵理子が沖縄県に生まれる。ソロ元年の'00年には舞台「火の鳥」で40mの宙づりに挑み、ゴールデンアロー賞演劇新人賞を受賞。2001年にはNHKの連続ドラマ「ルージュ」でも、化粧品会社に勤める主役に大抜擢されるなど、幅広い活動を見せた。口グセは「疲れた〜お腹空いた」。かつて一気にみかん55個を平らげ、〈みかん星人〉なるあだ名をも付けられたとか。
元米米クラブの石井竜也、茨城県に生まれる。実家が「石井屋」という創業100年以上の老舗和菓子屋であることは有名。'85年「I・CAN・BE」でデビュー。ライヴというより、エンターテイメントショーといえる、石井プロデュースの奇抜で華々しいステージが話題となり、「浪漫飛行」など数々のヒット曲を生みだした。バンド解散後は映画製作に力を入れ(興行的にはまったくダメだったようだが)、以降も画家・インダストリアル・デザイン、広尾にある和菓子やのプロデュースなど、マイペースにクリエイティヴな活動を続けている。


ジョージのアルバム『ジョージ・ハリスン帝国(原題、Extra Texture)』米国発売(英国では10月3日、日本では10月20日発売)。全英では最高16位、全米では3週連続8位、日本でも2週連続9位を記録。このアルバムは、アップル・レーベルから発売されたジョージ最後のオリジナル・アルバムだが、アップルに対するジョージの熱が冷めていたのか、アップルのレーベル・マークである林檎が芯のみになっていた。ちなみにアルバムの1曲目に収録されている「二人はアイ・ラヴ・ユー」は元々ロニー・スペクターのために書いた曲。バック・トラックはロニーと同じものを使っている。