


ボビー・マクファーリンが唄った「ドント・ウォリー・ビー・ハッピー」が全米シングル・チャートで1位に輝いた。口笛も印象的なこの曲は、初のア・カペラによる全米No.1ソングでもある。トム・クルーズ主演の映画『カクテル』に起用されたことでも知られており、サウンドトラック盤ともども大ヒット。グラミー賞を受賞、英国でもチャートの2位まで上がるヒットとなり、日本ではテレビやCMなどで頻繁に使用され、親しまれている。

「愛は勝つ」で一世を風靡したKAN(本名・木村和)が、福岡県福岡市に生まれる。厳粛な家庭に育ったKANは、カトリック系の幼稚園に通い最初の音楽、賛美歌に触れる。クラシック・ピアノと野球を両立していた彼は、同時にロン毛&真赤なベルボトム・ジーンズを履くファッショナブルな小学生でもあったとか。法政大学合格とともに上京し、ビリー・ジョエルのコンサートを観て音楽の道を志す。大学卒業後に大林宣彦映画の音楽を担当し、90年、「愛は勝つ」の大ヒットで人気を獲得した。
ダウンタウンの浜田雅功にソックリな、Mr.Childrenのギタリスト、田原健一が福岡県に生まれる。高校時代、野球部に所属した田原は、野球は好きだが野球部がキライで、バットをギターに持ち替え、軽音楽部に入部。現メンバーの桜井和寿、中川敬輔とbeatnikを結成。高校卒業後、田原、中川と中学が一緒だった鈴木英哉を迎え、ミスチルの前身であるThe WALLSを結成した。野球好きな彼は、ミスチル野球チームの監督でもあり、ちなみにそのチーム名はジミケン。地味なケンが監督をしているチームだからだとか。


リンダ・ルイーズ・イーストマンはユダヤ系の弁護士の娘として生まれ、ニューヨーク郊外のウエストチェスターにある高級住宅街スカースデイルで裕福な幼少時代を過ごした。父リーはショー・ビジネス、とくに著作権問題を扱う弁護士であったため、リンダも多くの音楽家や画家と知り合いになったという。50年代にロックンロールを誕生のころから毎晩ラジオで聴いていたというリンダは、64年にビートルズが出演した『エド・サリヴァン・ショー』や、65年のシェア・スタジアム公演も観ているそうだ。リンダが18歳のとき、母ルイーズが飛行機事故で死去。このことでリンダは結婚を急ぎ、プリンストン大学の同級生ジョセフ・メルビル・シー・ジュニアと結婚。63年に娘ヘザーが誕生するが、わずか1年足らずで離婚した。ちなみに63年に発表されたジャン&ディーンの「リンダ」という曲は、リンダのことを歌った曲である。