


英国のプログレッシヴ・ロック・バンド、イエスのシンガーとして知られるジョン・アンダーソンが英国ランカシャーに誕生。アイルランド人の血を引く家系である。10代になるとロニー・ドネガンなどのスキッフルで音楽に目覚め、ウォッシュボードを演奏。一時期はサッカーにも夢中になったことがあるそうだ。その歌声はジェントルな響きに満ちており、イエスのファンタジックな世界観の構築に大きく貢献。シーンを代表するシンガーのひとりだ。
〈ワルツの父〉ヨハン・シュトラウス1世の子、〈ワルツ王〉ヨハン・シュトラウス2世がウィーンに生まれる。父は音楽家になることを反対したが、母の力添えで押し切り1844年自作を指揮した初舞台で大成功を収める。「美しき青きドナウ」など数々の名作を生み出し、またスラリとした芸術家風の風貌の彼は、ウィーンの夫人たちの羨望と憧れの対象であったという。そんな彼が結婚相手として選んだのは9歳年上のバツイチの女性イェッティ。しかし彼女はヨハンのこの上ない理解者であり、彼女との生活の中でワルツの名作が次々と作られた。
オペラ『カルメン』や劇音楽『アルルの女』で有名な作曲家ジョルジュ・ビゼー、フランスに生まれる。音楽一家に生まれ、小さい頃から音楽に親しみ9歳でパリ音楽院に入学。彼の代表作『カルメン』は、今でも人気のあるオペラのひとつであるが、労働階級の奔放なヒロイン、そして最後にはそのヒロインが殺されるという、当時にしてはアヴァンギャルドな作風だっただけに批評家は酷評。落ち込んだビゼーは、なんとたった3ヶ月後に死んでしまったという。その後、多くの作曲家からは絶賛を送られたというのに……無念。
TMNの宇都宮隆、東京都に生まれる。'83年小室哲哉、宇都宮隆、木根尚登の3人でTM NETWORKを結成。シンセを使ったいわゆる〈打ち込み〉サウンドがウケ、一時代を築く。バンドは解散するも、後に再結成している。まだ、3人とも食べ物の好き嫌いが激しいんでしょうかね〜。特に、香辛料の強いもの・ピーマンなど主張の強い野菜がダメな宇都宮&牛肉・野菜しか食べられない小室は、地方のライヴに行っても、全然郷土料理が食べられなかったとか。

80'sのSF娯楽超大作、ロバート・ゼメキス監督による映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の中で、タイムマシン“デロリアン”の実験が行なわれる。デロリアン(DMC-12)といえば、思い出されるのが特徴的なガルウイング・ドア。スーパーカーの重要な要素としても取り上げられるこのガルウイング、特殊な飛行機の翼を指して「gull wing」=「カモメの翼」と呼ばれたことが由来となっているとか。
10月1日にパティを連れてシタールの修行のためインドのボンベイに向かっていたジョージ。そこでラヴィ・シャンカールから一日7時間に及ぶシタールのレッスンを受けていた。それから3週間ほど経ったこの日、ラヴィ・シャンカールはBBCテレビからの招待でロンドンへ到着。ジョージはヒースロー空港に到着したラヴィ・シャンカールを出迎えた。空港ロビーで行なわれた記者会見でラヴィ・シャンカールは「ジョージのシタールの腕前は確実に進歩している」と語った。