

モンキーズが初めてのコンサートを開催した。場所はハワイのホノルル。非常に熱狂的に迎えられたそうで、その後のツアー日程もいくつか追加されたらしい。「恋の終列車」にはじまり、「アイム・ア・ビリーヴァー」で終わるという、2曲の全米No.1シングルで挟む構成のセットリストには、各メンバーのソロ・パートも用意されていたという。この時の北米ツアーは翌67年の5月まで続けられ、一部はテレビ放映用に撮影されている。
女性フォーク・シンガーのイルカが東京都に生まれる。1970年、後に夫となる神部和夫と組んだシュリークスでデビュー。74年にソロ・デビューを飾ると、翌75年に「なごり雪」が大ヒットを記録する。この後、長きにわたって歌い継がれるこの名曲のリリース以降、語りかけるような歌声と優しげな風貌で、ソロ・シンガーとしての人気を確立。絵本作家としても知られており、全4巻を書き上げた『ちいさな空』シリーズは好評を博した。

エンニオ・モリコーネと並び称される映画作曲家、ニーノ・ロータがミラノに生まれる。音楽一家に育った彼は7歳で最初の曲を書き上げ、11歳で“天才少年”の名を轟かせている。オペラやバレエ、宗教音楽、交響曲などあらゆる音楽ジャンルに精通していたロータだったが、やはり彼の真骨頂は生涯で150本以上書き上げたという映画音楽。『ゴッドファーザー』『甘い生活』『太陽がいっぱい』『ロミオとジュリエット』……全部名作!
ヘヴィ・メタルのゴッドファーザー、オジー・オズボーン、バーミンガムの労働者階級の家に生まる。ブラック・サバス(=黒い安息日)で、'70年にデビュー。おどろおどろしいヘビー・ロックで〈メタルの神〉と伝説となる。が、次第にドラッグやアルコールに溺れ、'79年にはバンドを脱退。ソロで活動するも'93年に一度活動休止、'96年アルバム『オズモシス』で見事な復活を遂げた。また、2000年代には、オジー家の私生活を追うTV番組『The Osbournes』が超人気。MTV史上最高の視聴率を叩き出し、まだまだそのカリスマぶりは健在だ。
1972年12月3日、永井豪原作のアニメ『マジンガーZ』の放映がフジテレビ系で開始される。1974年9月1日まで全92話を放映。巨大ロボットに主人公が乗り込んで敵と戦う、いわゆる“巨大ロボットアニメ”と呼ばれるジャンルの初作品。日本はもとより、世界各国でも放映され、とくにヨーロッパ各国では絶大な人気を博した。視聴率80%を獲得したと言われるスペインでは、なんと銅像が建てられるほど。

『ラバー・ソウル』英国発売(米国では内容違いで12月6日、日本では66年3月15日)。全英では8週連続(NME紙では11週連続)、全米では6週連続1位を記録し、日本では最高49位だった。米国キャピトル盤では前作『ヘルプ!』の楽曲(「夢の人」「イッツ・オンリー・ラヴ」)が2曲収録され、それぞれ英国盤から「ドライヴ・マイ・カー」をはじめとする4曲がカットされている。ブライアン・ウィルソンは『ラバー・ソウル』(米国キャピトル盤)を聴いて、衝撃を受け、アルバム『ペット・サウンズ』の制作へと繋がっていったと言われている。