

ユーリズミックスでの活動で知られる女性シンガー、アニー・レノックスがスコットランドに生まれる。幼い頃から音楽的才能に長けていたという彼女は、ロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージックでフルートを学んでいた。デイヴ・スチュワートと組んだユーリズミックスでは80年代を通じてヒット曲を連発。ソロになってからもその伸びやかな美声を武器に、精力的な活動を見せる。同性からも支持を得るクールな佇まいも魅力的だ。

約453万枚を売り上げた化け物ソング「およげ!たいやきくん」発売。フジテレビ系の「ひらけ!ポンキッキ」で使われていた曲で、キャニオンレコード(現ポニーキャニオン)はこの1曲で自社ビルを建ててしまったほど。「科学忍者隊ガッチャマン」「仮面ライダー」などのヒット曲を飛ばしていた子門だったが、「たいやきくん」ヒット時にはまだ出版社の社員で、わずか5万円しかもらえなかったという。ちなみに、このレコードのB面には、なぎらけんいちの「いっぽんでもにんじん」が収録されている。

“歌手・いしだあゆみ”のイメージを確立した、「ブルー・ライト・ヨコハマ」が発売。ミリオンヒットとなり、翌年の日本レコード大賞作曲賞を受賞。筒美京平の名を知らしめることにもなった。だが、当のいしだ自身はあまり歌に自信がなく、歌うことはあまり好きではなったとか。ちなみに、後年、Mi-keがタイトルをパロッた「ブルーライト・ヨコスカ」を、クレイジーケンバンドは「レッド・ライト・ヨコハマ」なる曲を発表したりもしている。
“昭和元年12月元日のクリスマスの夜”すなわち1926年12月25日、バカボンのパパが(恐らくは熊本県に)生まれる。産み落とされた直後に“天上天下唯我独尊”と発声した神童であったが、大きなクシャミをした際頭の歯車が飛び出し、天才と決別。バカ街道を驀進することとなる。熊本県菊池市の七城中学校を卒業後上京、バカ田高校に入学。バカ田大学在学中に後の妻・春菊と出会う。主席で大学を卒業後、長男・バカボン、次男・ハジメの2児を儲ける。幸せな4人家族の長、無職。

ポールがジェーン・アッシャーと4年間の交際期間を経て、婚約したことを発表。ポールはエメラルドとダイヤの指輪をジェーンに贈った。この二人の婚約は、アーティストとして評価されていた二人の婚約ということで、当時のマスコミ、ファンから理想のカップルともてはやされた。しかし、翌年7月、ポールはジェーンから一方的に婚約を破棄されてしまった。ちなみにポールは、63年から66年にかけて、ロンドンにあるジェーンの自宅を拠点とした活動を続けていた。