

チェッカーズで活躍した藤井尚之が、福岡県久留米市に生まれる。藤井フミヤは兄になる訳だが、背がフミヤよりも高く、顔つきも精悍なことからデビュー当時は兄に見られることも。もともとチェッカーズ結成時にはベースを弾いていたが、地元では有名だった大土井裕二の加入にともない、サックスに転向した。ギターの腕前も確かで、作曲能力も高い、バンドへの貢献度は非常に高かったと言える。チェッカーズ解散以降も精力的に活動、その才能は尽きない。

シャンソン歌手・加藤登紀子、中国ハルピンに生まれる。東大文学部に在学中の1966年に歌手デビューし、同年「赤い風船」でレコード大賞新人賞を受賞。その後は歌手だけでなく、女優、陶芸、書道と多岐にわたり活動している。お登紀さんといえば昭和の超ヒット曲「百万本のバラ」だが、その作曲はラトヴィアの作曲家、パウルス。1989年にラトヴィアがソ連に対して独立を要求したとき、先頭に立ってソ連の戦車を迎えたのが彼だった。激動の、そして重たい青春時代の共感が生んだヒット曲である。

リップスライムのペス(本名・千葉昌嗣)、東京都に生まれる。同じ高校の1つ先輩であったイルマリと、イルマリと小中学校が同じだったリョージと3人で、リップの母体となるグループを結成。名前は、3人の頭文字の“R、I、P”からつけたという。趣味は、グラフィック、スケボー、サーフィンなど。「楽園ベイベー」にも出演しているチワワのジョルジオをこよなく愛す。ちなみに、ペスという名前は、かつてのリョージの愛犬ペスに似ていたからだとか。
1904年、英国の劇作家ジェームス・マシュー・バリーの小説「The Little White Bird(邦題: 小さな白い鳥)」からのスピンオフ舞台劇「ピーターパン」がロンドンにて初演。これにちなみ、“ピーターパンの日”とされている。後世、各国でのミュージカルや、ディズニーのアニメ映画『ピーターパン』、フジテレビ系“世界名作劇場”『ピーターパンの冒険』と数多くの作品が制作されたピーターパン。その多くがピーター=善、フック=悪という二元論的な世界観で展開されており、原作の持つアイロニカルな描写は抑えられている。故にいつまでも子供たちに愛される作品たりえているのかもしれない。

ジョン、ジュリアンや秘書のメイ・パンとともにディズニーランドで遊ぶ。「ディズニーランドが最も混雑した日に行ったに違いない」とジョン。「おかしい話があるんだ。他の人たちとモノレールに乗っていると、僕に誰も気づかなくて。それで、背中越しにこんな話を聞いたんだ。『ジョージ・ハリスンがいた』って。その人はその時、僕に興味を持っていたんだよ」ともジョンは回想している。また、この日、ディズニーワールドに隣接しているハワイのヴィレッジ・ホテルで、ジョンはビートルズの合資会社解散に関する用紙に署名。これによって、ビートルズは書面上、終わりを告げた。