【芸能生活15周年記念 4週連続企画】 畠山美由紀物語〜歌う細腕繁盛記〜 - 第2回:立志編
掲載日:2008年11月18日
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――しかし、家出っていうのも、ちょっと穏やかじゃないですね……。一体、何があったんですか?
畠山  ちょうど、その頃、映画を観まくっていてね。それで、ある日、雑誌を見たら今村昌平監督が創設した日本映画学校の広告が出ていて。 'これだ!'と思って、高3の夏休みに家出して学校の説明会に行ったんだよね。うちの親に「映画の学校に行きたい」とか言っても、絶対に反対されるって分かってたから。

――ご家族は、どうやって説得したんですか?
畠山  勘当同然で家を出てきちゃったから、結局、説得はできなくて。でも……最終的には、母親が入学費を出してくれたんだけど。

――映画学校では、どんなことを勉強してたんですか? 映像や編集とか?
畠山  あの……演技を(笑)。恥ずかしながら、わたし、女優を目指してたんですよ(笑)。

――そうだったんですか!
畠山  うん(笑)。“イングリッド・バーグマンみたいになりたい!”と思って。それで日本映画学校の俳優科に入ったの。当時は、ルキノ・ヴィスコンティフランソワ・トリュフォー黒澤明とか、あとは昔のハリウッド映画まで、いわゆる名画といわれるような作品は一通り押さえていて、ああいう世界に一方的に憧れを抱いていたんだよね。それで演技というものに興味を抱くようになったんだけど。

――いざ入学してみて、どうでしたか?
畠山  入ってから分かったんだけど、授業が完全に演劇寄りだったの(笑)。カメラの前に立って何かをするっていうことが、一切なかったから、 “あれ?”って思っちゃって。

――ちなみに当時、いわゆる演劇みたいなものって……。
畠山  ほとんど観たことなかったです。だから、すごく戸惑ってしまって。それで、どうしても馴染めなくて、結局、2年で学校を辞めちゃったんだよね。親には本当に申し訳なかったんだけど……。

――とはいえ反対を振り切って入学したわけだから、おいそれと実家に帰るわけにもいかないですよね。
畠山  でも、上京後、わりとすぐにDouble Famousのメンバーと出会っていたから、どうしようもなく途方にくれるっていうことはなかったかな。結構、みんなで楽しくやってたような気がする。

――たしかDouble Famousには、ベースの高木二郎さんにスカウトされて加入したんですよね。
畠山  そうそう。高木とは最初、バイト仲間として出逢ったんだよね。小田急線の栗平にある“栗の木”っていうスパゲティ屋さんで。しかも店長は栗島さんだし(笑)。

――めちゃめちゃ栗づくしじゃないですか(笑)。
畠山  しかも、リトル・“クリ”ーチャーズのメンバーが参加してるバンドに誘われて(笑)。たぶん、よっぽど栗に縁があったんだろうね(笑)。

――Double Famousに入る前に、どこかで歌ったりはしてたんですか?
畠山  いや〜、ないですね。しいて言えばカラオケぐらいかな(笑)。

――一説によると、バイト仲間でカラオケに行ったときに畠山さんの歌声を聴いて、高木さんが目を付けたって話もありますが……。
畠山  全然、覚えてないんだけど、なんか、そういう話もあるみたい(笑)。むしろ、そうだったらシュールで面白いんだけど(笑)。自分の中でなんとなく覚えているのが日本映画学校の文化祭。知り合いのバンドに頼まれて、何曲かステージで歌ったんだけど、どうやら、それを高木が観にきてくれていたみたいで。それでバンドに誘われて、下北沢スリッツまでDouble Famousのライヴを観に行ったんですよ。

――初めて観たDouble Famousのライヴはどうでした? そもそも彼らが演奏してるようなカリビアンやアフロっぽい音楽って、当時、畠山さんは全然、聴いていなかったわけですよね。
畠山  うん、まったく。でも、なぜか'面白そう!' って思えたんだよね。いざ歌ってみるとキツかったけど(笑)。

――キツかったっていうと?
畠山  その頃はフェアグラウンド・アトラクションとかエヴリシング・バット・ザ・ガールみたいな音楽が大好きだったから。でも、最初に「この歌を練習してきて」って渡されたテープが、ジャマイカの親父がすごい訛りで歌ってるやつとかで。さすがにビックリしちゃうよね(笑)。“これ、どうやって歌ったらいいの?”って。

――メンバーにはすぐに馴染めました?
畠山  馴染めてたのかな〜。みんな、都会育ちで、すごくお洒落だし。最初は、そういう面でコンプレックスみたいなものを感じていたかもしれない。

――都会人のエレガントで余裕がある感じに。
畠山  うん。だって彼らは当時から、すごく最先端でお洒落な人たちだったと思うんですよ。ファッションはもちろん、音楽とか映画に関して人並み以上のこだわりを持っているし。よく、私みたいな田舎娘が彼らに交じって、やってこれたなって(笑)。

――初ステージは覚えてますか?
畠山  たしかスリッツだったと思うんだけど、とにかく楽しかったってことだけは覚えてる。なんせ初めての本格的なステージだったから、ライヴのクオリティを求めるっていうよりも、“バンドというもので歌ってみる”って感じで……要するにお祭り騒ぎだよね(笑)。自分もすごく楽しかったし、お客さんもワーッて盛り上がってくれたような気がする。店長の山下(直樹)さんにも、よくしてもらったし。スリッツというお店には本当にお世話になりましたね。


――のちのち畠山さんがヴォーカリストとして参加することになる、SOUL BOSSA TRIOのリーダー、ゴンザレス鈴木さんもスリッツの山下さんが紹介してくれたんですよね。
畠山  山下さんがゴンさん(ゴンザレス鈴木)に「いいヴォーカリストがDouble Famousに入りましたよ」って言ってくれたみたいで。それで、ある日、ライヴを観にきてくれたんですよ。

――そして、1994年に人生初のレコーディングをSOUL BOSSA TRIOで体験するわけですが。
畠山  初めてのレコーディングは……ショックでしたね。“なんて私は歌が下手なんだろう!”って落ち込んじゃって。 歌のレッスンを本格的に受けたこともないし、人前でちゃんと歌ったのもDouble Famousが初めてだったから、当たり前といえば当たり前なんだけど、あのときは本当にヘコんだなぁ。途中でゴンさんと喧嘩になっちゃったりね。



――それはクリエイティヴな部分で?
畠山  そうそう。「私はこういうふうに歌いたいんです!」「じゃあ、勝手にしてみろ!」みたいな(笑)。でも最終的にその曲は二人とも納得いくテイクが録れたんだけど。

――1996年には、SOUL BOSSA TRIOでオランダのフェスにも出演していますね。
畠山  出た出た。しかも、お客さんの反応が思った以上に良かったんだよね。若いから“当って砕けろ!”みたいな感じでステージに出たんだけど、すごく盛り上がってくれて。

――その経験はシンガーとしての自信に繋がりますよね。
畠山  うん。すごく自信になった。で、たしか同じ頃、Monday満ちるさんともお知り合いになることができて。それも自分にとっては大きかったですね。Mondayさんがデモテープで私の歌を聴いてくれたみたいで、「すごく歌声が素晴らしい」って、わざわざ電話をくれて。

――直電を。
畠山  そう! 私にとって雲の上の人みたいな存在だったから本当にビックリしちゃって! それで、「あなたのために曲を作ったんだけど」って言ってくれて。実は、それってMondayさんが他人に作った最初の曲だったみたいで。あれは本当に嬉しかったなあ。

――雲の間から一筋の光が差し込んだ感じというか(笑)。
畠山  うん。ホントそんな感じ。当時は自分の歌に納得いかなくて本気で落ち込んでたから。




取材・文/望月 哲


祝!芸能生活15周年感謝祭
2008年、芸能活動15周年を記念する畠山美由紀が、盟友アーティスト多数をお招きして、
15年の歴史を総括するビッグイベント
『Miyuki Hatakeyama 15th ANNIVERSARY CONCERT』
●日程:2008年12月12日(金)
●会場:Bunkamura オーチャードホール
●開場/開演:18:00/19:00
●「プレミアム・シート/全席指定¥6,900(税込、パンフレット&CD[共に非売品]付)
THANKS,SOLD OUT!
●サンキュー・シート/全席指定¥3,900(税込)
THANKS,SOLD OUT!
●ゲスト:アン・サリー、中納良恵(EGO-WRAPPIN’)、ハナレグミ、小沼ようすけ・笹子重治(choro club)(G.)、他、豪華アーティスト出演予定
●友情出演:Double Famous、Port of notes
●バンド・メンバー:坂田学(Dr.)、鈴木正人(B.)、中島ノブユキ(key.)、高田漣・福原将宣(G.)、BIC(Per.)
●お問い合せ:ホットスタッフプロモーション 03-5720-9999(平日16〜19時)
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