中村 中 連載「『少年少女』の世界」 - Chapter.4 『少年少女』を読み解く【3】森永卓郎、渡辺 祐
掲載日:2010年10月6日
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 聴き手によってさまざまな印象を与える中村 中のニュー・アルバム『少年少女』。今回は、経済アナリストとしても著名な森永卓郎さんと、音楽に深く精通しているエディター/ライターの渡辺 祐さんに試聴していただきました。
森永卓郎
(経済アナリスト)
 中村 中は、重い球だ。  

 中村 中さんの歌を初めて聴いたのは、彼女が紅白に出場する少し前、テレビに出演したときのことだった。その時は正直言って、“歌の上手い人だな”という程度の認識しかなかった。ところが、アルバムで彼女の歌をまとめて聴いた途端、その魅力に惹きつけられてしまった。  

 私は、魅力的な女性の条件は、強くて、弱くて、ミステリアスだと考えている。「汚れた下着」でみせる強かさ、「友達の詩」の少女のような可憐さ、そしてすべての曲を貫くミステリアスさ。この3つが重なり合って、彼女の魅力を醸し出しているのだ。  

 ただ、中村 中の魅力は、それだけではない。彼女の作品は質感が高いのだ。車でも家具でも、本当にいいものは、質感が違う。どこが違うのかと言われると、うまく説明できないのだが、明らかにモノが違うのだ。  

 野球でも同じだ。プロ野球のピッチャーとキャッチボールをすると、驚くほど重い球が飛んでくる。スピードが速いということではない。ゆっくり投げてもらっても、グローブにズシリと収まる重い球が来るのだ。逆に言えば、それくらいの力がなければ、プロにはなれない。  

 中村 中の歌は、重い球だ。気軽にBGMで流せない。きちんと構えておかないと、球を受けきれないのだ。誰とも似ていない。誰にも真似ができない。中村 中の独自の宇宙が作られたのは、天賦の才能に、彼女自身が過ごしてきた人生そのものが積み重なったからだろう。  

 そして、ニュー・アルバムの『少年少女』で、中村 中がまた一つすごいことをやり遂げた。独自の宇宙から、小宇宙を切り出したのだ。さまざまな表情を持つ曲が織りなされているが、これは明らかに組曲だ。家を飛び出し、人間関係のなかで、もみくちゃになる人生。その嵐のなかでも、けっして自分を捨てない。力のない曲は一つもないが、中心となる曲は、やはり「人間失格」だろう。ただ、私は「初恋」が好きだ。安らぎを与えてくれるからだ。
森永 卓郎(もりなが・たくろう)Profile
1957年東京都出身。経済評論家 / アナリスト。東京大学経済学部卒。日本専売公社、日本経済研究センター(出向)、経済企画庁総合計画局(出向)、三井情報開発総合研究所、三和総合研究所(現:UFJ総合研究所)を経て、2007年4月に独立。獨協大学経済学部教授。テレビ朝日「スーパーモーニング」コメンテーターなどテレビ、雑誌などでも活躍。専門分野はマクロ経済学、計量経済学、労働経済、教育計画。そのほかに金融、恋愛、オタク系グッズなど、多くの分野で論評を展開。詳しくは、森永卓郎氏ホームページ(https://www.rivo.mediatti.net/~morinaga/takuro.html)へ。
渡辺 祐
(エディター / ライター / パーソナリティ)
 光と陰のことを考えた。  

 もし光が無ければこの世は完全な暗闇であって、光があるからワタシたちは、何かの存在がわかる。希望にも未来にも喩えられるけれど、その明るさのイメージだけが光なのではなく、同時に「白日の下に」すべてをさらけ出し、そして、何ものかの存在の輪郭を「影」として露わにして、そして後ろにある「陰」を作り出す。  

 個人的には、ポップに輝くように存在するものが好きだ。わかりやすい。だけど、それが浅くポップであると、すぐに飽きる。言ってみれば「深ポップいい」ものじゃないとね。ひねくれているし、わかりにくい。半世紀ぐらいそういう粋狂な趣味で生きてきて、結局残っているのは、絵画でも写真でも映画でも小説でも、そして音楽でも、その光と陰が、くっきりと意図的に描かれた作品だ。感覚的にも暗喩としても。例えば、映画の例をあげれば、古くはキャロル・リード監督の『第三の男』。コーエン兄弟の『ブラッド・シンプル』も、その暗い画面に交錯する光と陰の印象が、脳内の陰にこびりついて離れない。  

 いつの時代でも、若さは光を求める。時としてそれが安っぽいインチキな光でも、何の根拠もない幻影のような光でも、光であれば若さがそれを求める。結果として陰も濃くなる。その陰を、強く濃く意識せざるを得なくなることも「大人になる」ということの一部だろう。  

 大人になってしまったワタシは、居酒屋でモツ焼きを肴に馬鹿話をしながら酒を呑み、深夜のBARでソウル・ミュージックを肴に馬鹿話をしながら酒を呑んでいるような、ただの中年だ。馬齢を重ねるとはこのことだ。そうやって若き日々に求めた光を再現しようとしているつもりのようで、結局は光によってさらけだされた嘘や欺瞞や限界や後悔をグラスの底でかき回しながらそこにいる。言ってみれば、まあ自分自身が、かつての若さの堆積物である。  

 その中年の耳に、中村 中の『少年少女』は届いてきたか。そこに描かれた光と陰は見えたのか。若さの堆積物の中から、何かが這い出してくるような気はするが、使いこんで摩耗して鈍くなった中年野郎には、本当の意味では見えていないに違いないとも思う。  

 無責任に、わかったと言えないところが、悔しいし、素晴らしい。
渡辺祐 (わたなべ・たすく)Profile
1959年神奈川県出身。エディター / ライター / パーソナリティ。80年代に雑誌『宝島』の編集部を経て独立。エディター / ライターとして編集プロダクション“ドゥ・ザ・モンキー”を主宰。2000年からは東京のFM局・J-WAVEで番組ナビゲーターも担当。またTV「タモリ倶楽部」などにも出演。渡辺 祐ブログ(https://d.hatena.ne.jp/dothemonkey/)。
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