南波一海 presents ヒロインたちのうた 第4回 小川晃一

2017/04/06掲載
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南波一海 presents ヒロインたちのうた
第4回 小川晃一
 今回のゲストは、おやすみホログラムのプロデューサーとして数々の作品を送り出している小川晃一。ローファイなサウンドとともに登場した1st『おやすみホログラム』、“おやホロバンド”形式で制作された2nd『2』、ダンス・ミュージックに舵を切った3rd『...』と急速に変化を遂げるおやすみホログラムの軌跡を、彼の音楽遍歴とともにうかがいました。
勝手に最高にしてくれって思うんですけど、勝手には最高にならないじゃないですか
――小さい頃から音楽をやりたいと思っていたんですよね。
 「音楽はずっと好きで、小5〜6くらいのときからやっていこうと考えてはいました」
――音楽以外の興味は?
 「アコギを弾けずに挫折したので、ラッパーになろうと思ってレコードを買ったんですけど、言いたいことがあんまりなくて。で、北野 武の映画を見て“これだ”と思って俳優になろうと一瞬だけ思いました。『キッズリターン』を観て、そこから順に遡っていったんです。北野映画のオーディションがあったら絶対に行こうと思ってたんですけど、一般オーディションは特になくて(笑)。かといってラッパーにもなれずというところでシューゲイザーに出会って、“これなら弾ける”と思ったのが音楽のはじまり。中学生のときです」
――若者らしく、何者かになりたいというか。
 「そうですね。なのに言いたいことが決定的にないっていうのがコンプレックスでした(笑)。重箱の隅をつつくように言いたいことを見つけるのもなぁと。学校ウザいとかいうのもダサいし。ウザいとも思ってなくて、まぁいいやくらいの感じだったし」
――中学生でア・トライブ・コールド・クエストとかウータン・クランを聴かれていたんですよね。どうやってそこに行き着いたんですか?
 「ぼんやりとした記憶なんですけど、シャイヒームっていうラッパーがいて」
――子供ラッパーの。
 「そうです。ウータン一派でしたよね。中学生のときにタワレコかどこかで試聴して、そこから入っていったんです。小学生の頃からビートルズとかちょこっと洋楽を聴いてはいたんですけど、サンプリング・ミュージックにガツンとやられて。それが大きかったですね。ヒップホップが日本でも盛り上がってきた時期だったので、まわりにも何人か好きなやつがいて。お姉ちゃんが聴いてるとか(笑)。そういうやつらと情報共有して。L.L.クールJの『Mr.Smith』とかボーン・サグズン・ハーモニーとか。あのへんの時代ですね」
――95年頃ですかね。そしてラッパーを諦め、エレキギターを持つと。
 「ダイナソーJr.とかを聴いて。それから、スーパーカーが結構大きかったです。自分が15、6のときに『スリーアウトチェンジ』が出て。歌詞カードにコードが書いてあるんですよね。これを爆音で鳴らしたら弾けるんじゃないかと思って。で、やってみたらできたんです。楽しいなって」
――小川さんのインタビューを読むと、固有名詞がバンバン出てくるんですよね。
 「昔は話すのがイヤだったんですけど、誰の影響を受けてても、出す音楽は自分だっていうのがあるから、言っちゃったほうがイメージしやすいんじゃないかなと思って」
――おやすみホログラムがいまの2人になったばかりくらいのときに、小川さんの『We Dance Alone』を買って聴いてみたら、おやすみホログラムとは様子が違うぞと思って。すごくパーソナルな音楽だなと思ったんです。それが結びついたのが3枚目の『...』なのかなと思っていて。
 「そうですね」
――そこに行き着くまで順を追ってうかがっていきたいなと思っています。シューゲイザーで目覚めてエレキを持つものの、高校に入ってバンドは組まなかったんですよね。
 「組もうとは思ったんですけど、まわりでオリジナルをやるっていう人がいなくて。なので宅録から始まりました。ベックとかも好きだったので、ああいうこともやりたいなと。〈ルーザー〉みたいな。難しくて弾けなかったんですけど(笑)」
――高1で宅録を始めて、もうそこからオリジナル曲を。
 「ベックっぽくはないですけど、英詞で作ってました。日本語で歌うのが恥ずかしかったので」
――それは誰に聴かせるでもなく?
 「友達くらいですね。ライヴをやったりもしなかったです。で、18くらいのときに地元の楽器できるやつらとバンド組んだんですよ。それで2〜3年はやってましたね。バンドをやろうと思ったのは、いまと違って宅録って難しかったじゃないですか。ドラムマシンのソングを作ったりとか」
――めんどくさいですよね。
 「あれがめんどくさくなっちゃって、叩いてもらったほうがいいんじゃないかと思って」
――ただ、色々な人にインタビューしてきて思ったんですけど、宅録から始まった人ってバンドに向かない傾向にあるんですよ。1人で完結したいというところから始まっているので。
 「そうなんですよ。そこは多分、我慢することにしたんです(笑)。20代に入って、いくつかバンドをやったんですけど、思ったのはやっぱり我慢することなんですよ。鳴ってほしい音が鳴らないことに対して、どれだけ無関心になれるかっていうのが、バンドだったんです」
――どのバンドでも小川さんが書いた曲を演奏していたんですか?
 「全部そうです」
――それだと気になりますよね。
 「そうなんですよね。それがおやすみホログラムのバンド編成にも色々と関わってくるんですけど。バンドってスタジオで集まって1回目に鳴らしたときは気持ちいいんですよ。でも、2回目に鳴らすとみんな考えちゃうんですよね。そこから我慢が始まるんです」
――最初に音を鳴らすときは純粋な楽しさがありますもんね。
 「そこから作り込んでいくときに、喋るのがめんどくさくなっちゃうんですよね。勝手に最高にしてくれって思うタイプなんですけど、勝手には最高にならないじゃないですか。ちゃんと考えないと、1回目よりよくはならない。バンドでは構築していくのに限界があると思ってしまって、諦めが発動するんです。そこから、どんどんバンドを乱すようなことをやっていく」
――常に初期衝動があって、フレッシュな状態でいたいから。
 「はい。『おやすみホログラム』で叩いてもらってるドラマー(吉嶋智仁)って、結構一緒にやってきたやつなんですよ。昔からそいつに怒られたりしてて。ワザと全然違う歌詞で歌うとか、メロディの構成を勝手に変えるとか。そのときに何が返ってくるのかっていうほうが面白いんじゃないかと思って」
――セッションに近い形に持っていくんですね。
 「びっくりしたいし、させたいっていう気持ちが強くて。でも即興のバンドではないんですよ。ポップスをやっているバンドなのに、そういうことするから怒られる。それがずっと続いてました。トイレ行って帰ってこないとか(笑)」
――あはは。時系列を戻すと、高校のあとはどうなっていくんですか?
 「卒業して大学に入って普通に生活してたんですけど、大学を辞めて、そのあと最初に組んだバンドが解散します。単純に就職してめちゃくちゃ忙しかったので、バンドをできる状態じゃなかったっていうのが大きいです。そこからソロに戻りました。1人だったら音楽をできるので」
――そのときは働きつつも音楽で食べたいというのはあったのでしょうか。
 「出版社だったんですけど、めちゃくちゃ忙しくて“これは無理だ”と思って。で、辞めて、そこから音楽に戻っていきました。音楽をやりたいっていうのが強くなっちゃって」
(BiSとでんぱ組.incを見て)これだったらやりたいかも
――そこで宅録が再スタートするんですか?
 「いや、宅録のめんどくささを知っていたので、最初は弾き語りをやってました。24くらいでまたバンドを結成して、20代後半まで続きました。最終的にはメンバーが僕以外全員変わってたんですけど。ドラマーは4人くらい変わりました」
――それがChannaですよね。こんな音楽をやりたいというのはあったのでしょうか。
 「なんとなくはあったんですけど、人とやることなので、考えてもその通りにはならないだろうと。だからいい曲を書いて、あとはもう委ねようと思ってやってました」
――委ねようと思ったものの、メンバーは次々と変わり。
 「もう次々と(笑)。“委ねるわりに文句言うなコイツ”みたいな(笑)」
――メンバーからしたら「だったら指示してくれよ」という気持ちにもなりますよね。
 「おれが言ったことをやるだけだったらバックバンドと同じだから、おれの存在を否定するようなプレイをしてくれ、みたいな感じのことを言ってたんですよ(笑)。Channaはその後もなんとなく続いちゃいましたね。それと並行して、25、6のときにもうひとつバンドを始めて、ソロもやって、全部別々の曲を書いてたんですよ」
――大変じゃないですか。
 「しかも全部自分がヴォーカルで。それで、“もう無理!”ってなりました(笑)。それでバンド期が終わります。ひとつは消滅して、もうひとつはメンバーが補充されないまま尻ずぼみに終わっていきました。活動休止とも言わずに、ふたつともフェードアウトしていくような感じでした。バンドが解体する前にアルバム1枚作ろうという話をもらっていたんですけど、僕以外は全部レーベルのメンバーが演奏したんですよ」
――バンドで作るはずだったのに、なし崩し的にソロのアルバムになった。アルバムができたときはどう感じました?
 「1stアルバムって、もっといいはずなのになって思ったんです。やれてないことが多すぎた。特にアレンジ面で。作品としては個人的に好きなんですけど、中途半端だったなと。だから2ndは全部で自分で作ろうと思って。それが『We Dance Alone』です。あそこでもう一度打ち込みをやろうと思ったんです」
――それが2014年ですよね。おやすみホログラムを始めるのはそのくらい?
 「『We Dance Alone』を作り終わるかどうかくらいのときですね」
――最終的には1人に行き着く小川さんが、アイドルをやろうと思ったのが面白いですよね。人と関わらないといけないじゃないですか。
 「友達が映像関係の会社を設立するから、なんかやってくれよみたいに言われて。映像はわからないのでアイドルやるわって僕から切り出しました」
――その頃はアイドルに興味を持っていたんですよね。
 「BiSでんぱ組.incを1回ずつ観ていたんです。両方ともフリーイベントで偶然観たみたいな感じなんですけど、面白いなと思って。これだったらやりたいかもって興味を持ったんです」
――そしてメンバーを集めるわけですね。
 「ネットオーディションみたいなサイトがあったので、そこで募集したら結構集まりました。最初のメンバーは全部それです。カナミル含め。でも、ひとり抜け、またひとり抜け、あれよあれよと……」
――最初の「ドリフター」を聴いたときに、なんて声のバランスが面白いんだと思ったんですよ。すごく個性的だなと思いました。でもいざ活動を始めてみたら、メンバーも「思っていたのと違うぞ」となったわけですね。
 「それはありましたね。もともとアーティストとしてやっていた子たちばっかりだったので、“なんでチェキ撮らないといけないんすか”みたいな。5人中3人はそんな感じで。カナミルと最初のライヴで抜けちゃった女の子はアイドル寄りではあったんですけど」
――バンドとはまた違った、運営する側の難しさもあって。
 「やっぱり人数多いとダメだなって思いました。ただ、バンドだったらハイ終わりで済んだんですけど、こっちで募集をしたし、準備も時間がかかったので、やれるところまでやろうかなと。なんの成果も出してなかったし」
――それにしても変化が早かったですよね。
 「5月に始動して、9月にはいまの2人になってますもんね。当時、あの4ヵ月は長く感じた……」
――「ドリフター」はアイドル・ソングを作ろうみたいな気持ちだったのでしょうか。
 「そうです。アイドル・ソングをやろうと思って作った曲です。〈ドリフター〉と〈note〉だけは歌詞もアイドル・ソングとして書きました。自分じゃ歌わない、女の子が歌いそうな歌詞。恥ずかしさとしてはあれが限界なんです」
――青春してますよね。
 「青春ですよね。でも、そのふたつくらいで、ほかは(自分用に書く曲と)混ざっていきましたね。『...』なんかは完全に僕の感じです。2人のイメージも踏まえつつですけど」
――アレンジをオルタナっぽくしようというのは意識されていたのでしょうか。
 「ほかがあんまりやってないところっていうのは考えてました。いわゆる王道っぽいものは、自分よりうまく作れる人がいっぱいいるというのがあって、そこをあえてやろうとは思わなかったです。速い曲とか」
――手応え的にはいかがでしたか?
 「すごくいいんじゃないかなと思いました。最初のメンバーはヴォーカルのバランスがオルタナのグループみたいな感じだったし。この方向でやって行こうと思った矢先に、どんどん抜けていきましたけど」
――八月ちゃんはスカウトで入ったんですよね。
 「“ネットアイドル始めます”みたいなことを書いてたので、DM送って。うちのオーディション受けてくださいと話したら、来てくれて」
――そうしたら、歌える人だった。
 「ですね。“あ、意外と歌える”と思って」
――2人になったときに、もっと増やそうと考えたりは?
 「オーディションしたんですけど、並べてみたときにバランスがよくなくて。2人でいいやと思ったんです。ハモリも2人のほうが作りやすいんですよね。掛け合いっていうところでもやりやすい。3人になってくるとまた全然変わってくるじゃないですか」
――ほかにこれという人もいなかったし、バランスの面でもやりやすかったと。それからは、新宿LOFT界隈のオルタナティヴなシーンとともに加熱していって。そこは意図的だったのでしょうか?
 「当時LOFTのブッキングをやっていた望月(慎之輔 / オモチレコード)さんと知り合って、売り込んだところもあります。LOFT自体もアイドルの出演が増えていった時期なんですよね」
――Have a Nice Day!と共作(『エメラルド』)を出したりしつつ、最初のアルバム『おやすみホログラム』が出るのは2015年9月でした。そこからのペースを考えると、1枚目が出るまでは時間がかかりましたね。
 「制作のフローが定まってなかったんです。『おやすみホログラム』は打ち込みもあれば、全部生でやってるものもあるという感じだったので。探り探りですよね。全部録ってる場所が違うみたいな感じで。ミックスも全部自分でやっているので、悪いほうに振り切った感じです(笑)。“音悪い”ってめっちゃレビューで書かれてました。壁にマイク向けるとかやってましたからね(笑)。マイク2〜3本でドラム録るとか」
――まさにローファイな感じで。
 「速い打ち込みというか、ポップな打ち込みはできなかったんですよ。ジェイムス・ブレイクみたいな、アブストラクトみたいなものが好きだったんですけど、アイドルでやるのはちょっとなというのがあって。だから半分以上は生で録ってます。ダイナソーJr.がお手本で、あのごちゃっとした感じは出したかった。シアトルっぽいものを作ろうというのはありました。予算がなくて、安いレコスタで作る音源の悲惨さというのは知っていたので、自分たちでSM57立てて録ったほうが面白いのが録れるだろうとは思っていて」
――じゃあ普通のリハスタで録ったんですね。
 「そうです。特に〈ドリフター〉なんて、すでにマイクが設置されてて、iPad操作してWAVEファイルをダウンロードするみたいなサービスがあるんですけど、それで録ってますからね(笑)。レコスタを借りる領域じゃないというか、バンドとしてがっちり固まってるわけでもないから、2ndくらいまでは音さえ録れればいいかなというのはありました」
――この音質がよかったですよね。
 「いいですよね。柔らかくて近い音で。全部が分離してキレイに録れてたらダメだったと思う。〈誰かの庭〉とかはすごい音だなって自分でも思いますね。でも、バンドは録り直したい気持ちもあります。ベタベタと塗ってしまうような感じがあったので」
すべてを隠してくれる夜の優しさみたいなものを書いていきたい
――それで〈ドリフター〉は何度もミックスが変わるという(笑)。それから、声と歌が魅力的だなと思います。メロダインとか使ってないですよね。
 「使わないです」
――その生々しさも含めていいなと。
 「声の質感がなくなっちゃうような録り方、出し方はしたくないっていうのはありますね。1stは、アイドルはスピードが大事だから早く作らなきゃって思いながらやってました」
――歌詞は一貫してますよね。時間帯は夜で、そこにいる寂寥感みたいなものが描かれることが多くて。
 「歌詞を日本語で真剣に書き出したのが22〜3だったんですけど、いまとはテイストが違って。ブッチャーズみたいというか。スタイルが定まったのが、ひとつめのバンドが解散して、就職して仕事が忙しくて……というときに、仕事で終電を逃して、神田のあたりをぶらぶら歩くんですよ。そうすると“マッサージ行きませんか?”みたいな人がいっぱいいて。ああいう人たちって、微妙に暗いところに立ってるんですよね」
――わかります。いきなりぬっと出てきますよね(笑)。
 「近づくと結構なおばちゃんなんだけど、近づくまでわからないんですよね。夜って、すべてを隠してくれるじゃないですか。その優しさみたいなものを書いていきたいなっていうのが強くあって」
――優しさのたとえが(笑)。
 「猫と話してるおじさんとか、昼だったら変な目で見られてしまうかもしれないけど、夜だと馴染むんですよ。その感じがすごくよくて。その世界観がおやすみホログラムにも繋がっていきました」
――音楽的には出すごとに変化してますけど、歌詞は変わらない作家性が出ているなと思います。
 「小説家になりたくて、めちゃくちゃ読み込んでいた時期もあったんですよ」
――実際に書いたりは?
 「書きましたね。でも、長編が書けない。3〜40枚が限界だなって。面白くならないんですよ。歌詞くらいの長さだと凝縮できるんですけど」
――歌詞くらいの短さの制限があったほうがいい。
 「それをいくつも重ねていくほうが向いてるんじゃないかと。全部繋がってる世界ではあるんですよ。新聞の連載小説を書いてるみたいな感じです。箱庭のなかで、ここで起きてることを書いて、次はあそこで起きてることを書くというか」
――1st以降はハイペースになりました。
 「発売日をなんとなく先に決めちゃうんですよ。ディストリビューターの人に言うんです」
――「このくらいで出したいな」って考えるだけじゃなくて、もう流通に言う(笑)。
 「“このへんで出したいんですけど”“それだとリリース重なっちゃう”“じゃあこのあたりに向けて作ります”みたいな。で、3ヵ月くらいあるからいいかとか思って1ヵ月半くらいは何もしなくて、慌てて一気に曲を書くっていう。『...』はいちばん時間がなかったです。11月のワンマン(※1)で発売するって6月のワンマン(※2)で言ったんですよ。まぁ5ヵ月もあるし、できるだろうと思いながら、9月くらいから焦りながら作りました(笑)」
※1 2016年6月15日〈2ndワンマンライヴ『2』〉(東京・渋谷 TSUTAYA O-WEST)
※2 2016年11月16日〈3rdワンマンライヴ『fake a show』〉(東京・恵比寿 LIQUIDROOM)
――曲がたくさんできているという感じでもない?
 「ストックはいっぱいあるんですよ。でも、そこからは使いたくない。使うと、そのときの自分は何もしてないと思ってしまうんですよね。いまの最高のものを出してない気がして。だから結局、(ストックは)ムダになる」
――次の曲を作るためのストックというか。
 「そうです。いま作るものがストックを越えないと意味がないなと思って。ちょこちょこ作り貯めてはいるんですけど、それがアルバムに入ることはない。制作期間でワッと作ったものを入れる感じです」
――『2』はさまざまなプレイヤーが参加しています。バンドが軸になっていますよね。
 「おやホロバンドが始まっていたのもあって、そのメンバーと作ってみようと」
――そこでミュージシャンに預けることは気にならなかった?
 「いや……基本、もらったテイクそのままは使わなかったです。ギターとかもめちゃくちゃ切り刻んで、前後入れ替えたりしてますし。自分が細かいオファーを出してないのに、自分が欲しいものが相手側から返ってくると思っちゃってたんです。相手側の解釈で返ってくるので、そこはもっと話さないとダメなんだなっていうのを実感しました。プロでやっている方とかには、しっかりこっちからオファーを出さないとダメなんだって」
――ポストプロダクションがかなりあると。
 「かなりやってます。あとは組み合わせですね。ベースとドラムはこの人とこの人で録るとか。〈our future〉だったら、高石(晃太郎)と小林樹音(THE DHOLE / ex.TAMTAM)で。2人の息が合うので一緒に録るとか。ベースはいつも樹音くんなんですけど。〈帰り路〉はぬるっとしたグルーヴを出したいと思っていたので、ドラムがキクイ(マホ)(HOMMヨ / うみのて)さんで、べースは僕が弾いたりとか。1stとはバンド・サウンドが全然違いますよね。樹音くんがほとんどベースを弾いているところが大きな特徴かなと」
飽きるよりはいいなと思ったんですよね
――僕はこの2ndが、おやすみホログラムのある種の完成形だと思ったんですよ。バンドはハマっていると思っていたし。しかし、同じ方向に行かなかったという。
 「さっきのバンドの作り方の話になるんですけど、まだ構築していく方向でできないんですよ。バンド・セットは解体したんですけど、人数が増えていってもそれぞれがやることはシンプルにしていたんですよ。ジャム・バンドっぽい作り方。7人くらいのバックでやるにはそれが最良だと思ったんです。2ndワンマンで、いい形で終われたからよかったなとは思っているんですけど、それでも難しさは感じました」
――やっぱり固定して、熟成させていくというのが好みではないというところでしょうか。
 「そうですね。僕の曲ってリフとかがあるわけでもないし。あのリフがないとこの曲はダメだというのがない」
――ちなみにそうしてる理由は?
 「嫌いだから(笑)。なんか嘘くさいんですよね。僕が聴いていて気持ちいいなって思うのは、ECMとかの、バスドラがコンって鳴って、ウッドベースが鳴って、ピアノとシンバルが同時に来るような、レイヤー構造の盛り上がりがすごい好きで。そういうものを出せないかなと思っているんです。1stの〈揺れた〉とかは意識して作ったんですけど。決まったギター・ソロがなくて。それはソニック・ユースがソロ弾いてないからっていうのがあったんですけど(笑)。〈Plan〉もギター1本じゃなくて、3本入れてよくわかんなくしちゃってる。でも全体としてはひとつのうねりがある。そういうものが好きっていうはあります」
――ECMは最近の作品もすごく面白いですよね。
 「マルチン・ボシレフスキとかすごい好きです。ジャズもそこそこ聴いたんですけど、ECMほどはハマらなかったです」
――ハマったきっかけはあるんですか?
 「『ケルン・コンサート』です。すごい好きで、これならできるじゃんと思ったんですけど、できるわけがなかった(笑)。あの感じなんなんでしょうね。アンビエントっぽくもあり」
――即興だけどジャズとも言えないし。
 「イージー・リスニングでもなくて。絶妙なんですよね。一時期やっていた、おやホロジャズバンドはまさにそっちの方向でした」
――少し脱線してしまいましたが、『2』でバンドは解体の方向に向かい、『...』は打ち込み主体のダンス・ミュージックになりました。
 「バンドで録ったものをオケで流すことの葛藤がいつまでもあったんですよね。それだったら生で演奏したほうがいいじゃんって。そう思うのをやめたかったので、打ち込みにすることで、DJセットだからこそのものを作りたいなと」
――特にライヴの偶発性とかに重きを置いている小川さんだったら、気になりますよね。
 「リバーブとかEQをかけてはいても、子供だましみたいなだなと」
――それで吹っ切った形になって。短期間で切り替わったので驚きました。
 「最初はメンバーも戸惑ってましたね」
――BPMも落ちているじゃないですか。勢いで持っていくというよりも、心の内側に響くような音楽だし。
 「ハバナイの影響があって、2015年は盛り上げる方向であれだけやって。お客さんを横に動かすというか、サーフみたいなのは、自分たちよりもうまくやってのける人たちがいるわけですよ。NATURE DANGER GANGの激しさには勝てないんです。そこで勝負しても仕方ないし、1000人クラスの会場でやっていこうと思ったときに、あれをオケで流すのもイヤだし、怪我人も出るかもしれないし、こっちも楽しめないんじゃないかと。だったら縦に飛ばしちゃおうっていう発想はありました」
――英断ですよね。それで獲得してきた人気もあったはずで。
 「飽きるよりはいいなと思ったんですよね。こっちのモチベーションが続かないとやれないし。だから、これで離れる客もいるだろうなとも思ってました」
――そこも折り込み済みだったと。
 「意外と離れずに残ってくれましたね。1stの曲を久々にやったときに、逆に盛り上がり方を忘れていたみたいで戸惑ってました(笑)」
――アルバム終盤の「see song」「empty page」の流れは本当に内省的なイメージで。
 「僕のソロ・アルバムみたいですよね。ワンマンが決まってから作り始めたアルバムなので、LIQUIDROOMでどう鳴らすかっていうのを考えて作ったんですよ。特に最後の〈empty page〉は、バンドじゃない音で圧倒させるには……って考えたときに、ビョークみたいな曲を書きたいなと思って。ストリングスを入れて、ドラムを控えめにしたいなと。ギターも1本しか入れてないです。しかもノイズで入れてるだけです」
――ジェイムス・ブレイクの話が出ましたけど、アイドル・ソングでBPMの遅さとか隙間を作るっていうのはチャレンジングですよね。
 「〈see song〉なんてBPM100切ってますからね。こっちのほうが家で聴きやすいとは思うし、テクノとかのイベントとかだと、みんなが勝手に踊ってるから最前とかも簡単に行けたりするじゃないですか。あの雰囲気がすごい好きで。アイドルを見に来た人じゃなくても、興味を持ったら気軽にフロアの真ん中のほうに行けたら素敵だなと思うんです。前のおやホロだったら、絶対行こうとは思わないじゃないですか」
――慣れてない人は危なそうだって思っちゃいますもんね。小川さんの「真昼のダンス」のカヴァーを収録した経緯は?
 「メロディラインがちゃんとしたものがあるとアルバムがピリッと締まるなっていうのがあって」
――ああ。最近の曲はどんどんアブストラクトに向かっているから。
 「そうなんですよね……セルフ・カヴァーのほうがポップ(笑)。でも4枚目は売れると思います」
――もう作っているんですね。
 「3rdを踏まえてはいますけど、全然切り口が変わると思います。3rdって暗いですよね?」
――ダントツで暗いと思いますよ。
 「あはは。いま作ってる感触では次は明るくなると思います。カナミルが“もっとノリノリの曲作ろうよ”って言ってるので(笑)。でも、3枚目だからこういうのを作ってみたかったというのもありますよね」
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