

演歌歌手の水前寺清子が熊本県に生まれる。本名は林田民子。12歳で上京し、夜間の音楽学校に通いながら歌手を目指した。16歳から約4年間の本格的なレッスンを経て、64年に「涙を抱いた渡り鳥」でデビュー。ボーイッシュな風貌と独特の節回しで人気を獲得し、「三百六十五歩のマーチ」は日本人ならだれもが知るヒット曲となっている。ちなみに、愛称は“チーター”ではなく“チータ”が正解。本名の民子から、“小さな民子”が由来なんだとか。

仲井戸麗市、新宿に生まれる。1970年、フォーク・デュオ古井戸のメンバーとしてデビュー。79年にはRCサクセションのギタリストとして活躍するが、RCの無期限休養を機に本格的なソロ活動に入る。小・中学生の頃から団体生活が苦手だった仲井戸は、テレビなどで時折悪態をつくこともあり、本番中のカメラに向かい「こんなところじゃ唄えねー」と絶叫したことも。そんな仲井戸が1人、テレビ局の廊下を駆け抜ける中、「良かったぞ」と声をかけたのは泉谷しげるだったという。2人は『泉谷しげるvs古井戸』などの作品も発表している。
夏川りみが石垣島に生まれる。'89年に「星美里」として演歌デビューした夏川だったが、思うような結果が出ず'99年に沖縄に戻って再デビュー。その3rdシングルとなる「涙(なだ)そうそう」で、日本各地にじわじわとブレイクを果たす。この曲は元々、同郷のBEGINが作曲を、森山良子が作詞を担当した曲。それをBEGINが沖縄サミットで歌う姿を見て、夏川は「これだ」と思い直接BEGINに交渉したという。沖縄の海のように透明感のある夏川の声が、人々の心へ届き始めている。
日本の男性声優。1972年10月9日生まれ。81プロデュース所属。ボーイソプラノに似た高い音域と細く澄んだ声質が特徴で、少年役から青年役まで、まったく無理がなく演じることのできる声の持ち主。人間以外のキャラクターを担当することも多い。その特徴的な声質から“ヘリウムガスを吸ったような声”と同業者に言われ、それをキッカケに「ヘリちゃん」や「ヘリウム宮田」などとも呼ばれるようになった。またラジオなどで“死語”を多く発言していることでも知られている。なお、食べ物の趣味も一風変わっており、たびたび変なものを買ってきては周りに配っているらしい。

リヴァプールのオックスフォード通りの産院で、船のウェイターとして働くフレッドとその妻ジュリアの間に生まれた。本名ジョン・ウィンストン・レノン(命名は叔母のミミ)。ジョンは1歳半のときに叔母のミミに預けられ、そこで過ごすものの、5歳の時に父親のフレッドが現れ、ジョンを引き取る。数週間後、帰ろうとする母のジュリアを追ってリヴァプールへ帰り、叔母のミミの家で生活をしていくことになる。そんなジョンの35回目の誕生日にあたる75年のこの日、ヨーコとの間にショーンが誕生。このことをジョンは「気分はエンパイア・ステート・ビルよりもハイさ」と発言している。