

サザンオールスターズのパーカッショニスト、“毛ガニ”こと野沢秀行が東京都に生まれる。サザンに加入する前から南佳孝のバックを務めるなど、プロとしての活動を行なっており、当初はバンドに加入する意志は薄かったらしい。そんな彼がメンバーになったのは、ほかのメンバー曰く“いつの間にか”だとか。少しファニーなキャラクターにピッタリのエピソードかも? ちなみに、“毛ガニ”のニックネームは、体毛が濃いことに由来する。
a〜haの「テイク・オン・ミー」が全米シングル・チャートで1位に輝いた。これはノルウェーのアーティストとしては史上初の快挙。エレクトロニクスを駆使しつつも親しみやすいメロディ・ライン、ルックスの良さなどで大きな人気を博した3人組だが、この曲はまさに彼らの代表曲。日本でもラジオ、テレビで頻繁にオンエアされていた。ニュー・ウェイヴのみならず、80年代のロック/ポップス・シーンを象徴する1曲として、後年も愛され続けている。
以前の面影が全くなくなってしまったため、「ヤードバーズ」から「ニュー・ヤードバーズ」と同年9月に改名したジミー・ペイジら。だが、ザ・フーのキース・ムーンが「奴らは鉛の飛行船みたいに落ちてゆくんだ」と予言したのを受け、バンド名を「レッド・ツェッペリン」と改名。leadをわざわざledに替えたのは〈間抜けなアメリカ人〉がleadをリードと間違えそうだから、とのこと。それまでのハード・ロック・バンドには見られなかったような多様な音楽性を見せつけ、キースの予言とは裏腹に、世界中にその名を知られることとなる。
ドレスデン宮廷歌劇場にて、ワーグナー自身の指揮と演出によりオペラ「タンホイザー」が初演される。しかし、これが失敗に終わり、その後もこの「タンホイザー」は、ラストを大改訂されたり、第1幕が改訂されるなど、結局ワーグナー自身が亡くなるまで、何回も改稿が続けられたという。ワーグナーは精力的であり、身体も強靱だったが、その反面いろいろな事物に対して過敏な部分も持ち合わせていたという。そんな性格がアダになったのだろう。
イギリスが産んだ、女流チェリストの最高峰ジャクリーヌ・デュ・プレ、多発性硬化症のためロンドンで死去。42歳であった。5歳の頃にチェロを習いはじめ、16歳の時には演奏家として華々しくデビュー。その情熱的な音は聞く人の魂を揺さぶり、彼女の前途は約束されたも同然であった。が、しかし突然に彼女の体を蝕んだのは難病、多発性硬化症。歴史に名を残す不遇の天才の衝撃的な半生は、映画『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』の中でも描かれている。
「心凍らせて」が大ヒットした歌手・高山厳、大阪に生まれる。'71年にばんばひろふみとバンバンを結成。しかし、「いちご白書をもう一度」がヒットする前に脱退して大阪に戻り、さらに'75年には「忘れません」でソロデビューするがまったく売れず、生活のため町工場で働いたこともあり。が、'92年に発売した2曲目のシングル「心凍らせて」が有線放送を中心にじわりじわりと広まり、長〜い道のりをへて、大ヒットにいたったのであった。'98年には中沢ゆうことのデュエット「お台場ムーンライトセレナーデ」なども発売してましたね〜。

1971年10月19日、女性シンガー・ソングライターの奥井亜紀が兵庫県に生まれる。93年のデビュー以来、表現豊かなファルセット系ヴォイスを武器に、さわやかな作風で人気を博している。数ある楽曲のなかでも『魔法陣グルグル』のエンディング・テーマ「Wind Climbing〜風にあそばれて〜」や、『∀ガンダム』のエンディング・テーマ「月の繭」などが、アニメ・ファンを中心に根強い人気を誇っている。なお、物語の世界観に非常にマッチした名曲「月の繭」は、作詞を井荻麟(=富野由悠季)が、作曲を菅野ようこが手がけている。
ラサール石井が生まれる。芸能活動のスタートはお笑いであったが、現在では俳優、声優、演出家、コメンテーターなどの幅広い分野で多彩な才能を発揮。映画の出演は舞台に比べれば少ないが、怪獣特撮映画好きらしく『ゴジラvsメカゴジラ』『ガメラ2 レギオン襲来』への出演のほか、『ゲロッパ!』『パッチギ!LOVE & PEACE』といった井筒和幸監督作品にも参加している。
18日、ジョンとヨーコが住んでいたモンタギュー・スクエアのアパートに警官が踏み込み、マリファナ不法所持と公務執行妨害で告発された。ジョンとヨーコはロンドン北西部のメアリーボーン裁判所から11月28日までの拘置を言い渡されるが、この日、保釈金を払い釈放された。11月にジョンはマリファナの所持を認め、罰金を納めるも、この事件を「警官がでっちあげたもの」と言い張った。