

ブリティッシュ・ロック・シーンの名シンガー、ポール・ロジャースが英国ミドルズブラに生まれる。ローカル・バンドを組み、地元のクラブで唄っていた彼に転機が訪れたのは、ロンドンに進出してから。アレクシス・コーナーのブルース・インコーポレイティドで学び、ブルース・シンガーとしての才能を開花させていく。68年、フリーでデビューした時の彼はまだ17歳。恐るべき早熟ぶりだった訳だが、その歌唱は素晴らしい。その後も第一線で活動を続ける。
タレントの西村知美が山口県に生まれる。雑誌のオーディションをきっかけに芸能界に入り、86年に映画『ドン松五郎の生活』でデビュー。主題歌「夢色のメッセージ」も歌った。当時の愛称は“とろりん”。少女の面影を残す可愛らしいルックスとおっとりした雰囲気でトップ・アイドルとなり、90年代以降は“天然ボケ”のキャラクターとしてバラエティ番組でも大活躍。結婚、出産を経てもイメージはまったく変わらない。資格マニアとしても有名だ。
1973年9月、はっぴいえんどの解散コンサートにバック・コーラスとして招かれ話題となっていた、山下達郎、大貫妙子ら在籍の幻のバンド〈シュガーベイブ〉が青山タウンホールでデビュー・コンサートを行なう。このバンドがデビューとなった達郎は当時21歳。この頃からあのヘアー・スタイルだった。また、ユーミンがバック・ダンサーとして参加したこともあったという。しかし、アルバム『ソング』と「DOWN TOWN」のシングル・カットを残して1976年に惜しまれつつも解散。後に「DOWN TOWN」はEPOがカヴァーしてヒットしたりもした。
ジョージ・ハリスン、エリック・クラプトンとともに来日し、東京ドームでツアーを締めくくる。12月1日の横浜アリーナを皮切りに、3日間におよぶ東京ドーム公演で終わりを迎えたこのジョージ&クラプトンのジョイント・コンサート。そもそもは、同年3月に事故で息子を失うという不幸に見舞われたクラプトンを励ますため、ジョージが誘ったことが発端となって実現したと言われており、翌年その音源はライヴ・アルバムとしても発売。にしてもジョージ、妻を奪われたというのに、なんてイイヤツ(?)なんだ……。

個性派女優の岸田今日子が脳腫瘍による呼吸不全のため、2006年12月17日に亡くなった。76歳だった。1950年に文学座『キテイ颱風』で初舞台を踏み、64年の主演映画『砂の女』でカンヌ映画祭審査員特別賞を受賞。69年には、名作アニメ『ムーミン』の主人公ムーミン・トロールの声を担当し、人気を集めた。また、その独特の声質と語り口はナレーションでも大活躍で、ドキュメンタリーからバラエティまで幅広い番組に起用されていた。94年には紫綬褒章を受章。なお、俳優の仲谷昇は元夫である。

BBCラジオ『サタデイ・クラブ』にメイン・アクトとして出演。リハーサルと収録は、ロンドンのプレイハウス・シアターで午後3時から6時30分に行なわれ、12月21日の午前10時から正午にクリスマス特番として放送された。ビートルズは「オール・マイ・ラヴィング」「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」「抱きしめたい」など6曲を演奏したほか、「All I Want For Christmas Is A Bottle」(ドーラ・ブライアンのヒット曲「All I Want For Christmas Is A Beatle」の替え歌)をスキャットで披露した。最後に「ラヴ・ミー・ドゥ」から「抱きしめたい」までのシングル曲を発売順に1フレーズずつ歌い、「赤鼻のトナカイ」の1節も付け加えたを29秒で一気に歌いきるメドレー「Crimble Medley」を演奏した(メドレーの最後に歌われた「赤鼻のトナカイ」ではリンゴをからかって”Rudolph The Red-Nosed Ringo”と歌詞を変えていた)。