

椎名林檎が1stアルバム『無罪モラトリアム』を発売。シングル・ヒットを記録した「ここでキスして。」のような楽曲もあるが、「丸の内サディスティック」「茜さす 帰路照らされど…」「シドと白昼夢」など、アルバム・タイトルも含め、独自の“言葉の感覚”を持ったナンバーを多数披露し、それまでとはまた違った意味でも注目度が高まった。何気なく聴いていても耳を捕らえるポピュラリティも併せ持つという、彼女の才能を裏付ける一作。
著名なセッション・キーボード奏者、ニッキー・ホプキンスが英国ロンドンに生まれる。60年代初頭、スクリーミング・ロード・サッチのサヴェージズの一員としてキャリアをスタート。以降、ザ・フー、キンクス、ビートルズなど、数々のアーティストの作品に参加している。中でもローリング・ストーンズとの共演はよく知られるところだ。クローン病という難病のため、ツアーに出るのは不可能なのでスタジオ・ワークを中心に活動していたらしい。94年、50歳で死去。
ASKA(飛鳥涼)、福岡県に生まれる。本名は宮崎重明。78年ヤマハのポピュラーソング・コンテストの福岡地区大会で歌唱賞を受賞。同大会でグランプリを獲得したCHAGEと知り合い、周囲のすすめでコンビを組む。ライブ活動を中心に支持者を増やし「モーニングムーン」「SAY YES」などのヒットを飛ばす。飛鳥涼という芸名は、大学時代の恋敵の名前からつけられたもの。ちなみに、相方CHAGEの芸名の由来は「高校時代のアダ名〈ハゲ〉をかわいそうに思った友人が頭に〈C〉をつけた」など諸説あり。
『シェルブールの雨傘』などの映画音楽で有名なミシェル・ルグラン、フランスのパリに生まれる。父は作曲家、母は楽譜出版社経営という裕福な家庭に育つ。2歳の時に、教会で聴いたヴァイオリンの音色に感銘を受け音楽家を志したという噂もあるほど、早熟だったルグラン。6歳で本格的にピアノをはじめ、11歳でパリ高等音楽院に入学。翌年上級ソルフェージュ第1位を獲得し、その後パリ音楽院を主席で卒業。『シェルブールの雨傘』がアカデミー3部門にノミネートされた後も『華麗なる賭け』『おもいでの夏』などで同賞を受賞。
ゴスペラーズのベースボーカル担当、北山陽一が青森県に生まれる。慶應義塾大学で環境情報学を学んでいた北山は、就職活動でメンバーが脱退していくゴスペラーズに勧誘され'94年加入。立ち位置は右端。その魅力的な低音ボイスと、TOEIC900点を獲得し、コンピュータ系にも強いという知性の持ち主で、台湾ではNO.1の人気を誇るという。裸眼視力は0.02。華奢な体で存在感も薄いと思われがちだが、音感の良さはメンバー1、2を誇る。「先生」というニックネームどおり、ゴスペラーズを陰で支えていく存在である。


1943年2月24日、リヴァプール市ウェイバートリー区の自宅で4人兄弟の末っ子として生まれた。バスの運転手である父ハロルドと母ルイーズの間に生まれたジョージ。姉と2人の兄がいる。5歳のときにジョンと同じダヴデイル小学校に入学し、卒業後リヴァプール・インスティチュートへ入学(一学年上にポールが在籍)。14歳で友人からギターを譲ってもらったジョージは指から血が出るほど練習を繰り返し、母に30ポンドのエレキギターを買ってもらう。兄と組んだザ・レベルズというバンドで活動した後、クォリーメンに加入することになる。