

ブラック・クロウズのシンガー、クリス・ロビンソンが米国ジョージア州アトランタに生まれる。弟のリッチとともにさまざまなロックに親しんだ彼は、1985年にその弟とともにクロウズを結成する。90年にデビューするや、出身地の透けて見える土着的かつ南部の香りが強烈に漂うサウンドで人気を確立。細い体をくねらせながら歌う彼の姿は、カリスマ性に満ち溢れていた。その音楽的素養と探究心は実に深く、ロックの生々しさを伝えてくれる。


“天使の歌声”と称されるウィーン少年合唱団、初来日。そのときのショックは“ウィーン・ショック”とも呼ばれ、今でも語り継がれている。何がショックだったかといえば、一つはあの発声法。それまで“元気ならOK”と地声で歌っていた日本の合唱は、その後みなあの美しい声を出すようになり、また、彼らの来日後、日本中に多くの合唱団が誕生したと言われている。約500年の歴史を持ち、ハイドンやシューベルトなどを輩出したこの名門合唱団。2000年の来日時には、なんと『徹子の部屋』で『ドラえもん』の歌を披露してくれたとか。

1969年12月20日、声優の横山智佐が東京都に生まれる。デビュー直後より『週刊少年ジャンプ』の読者コーナー「ジャンプ放送局」のアシスタントとして活躍。声優としての代表作である『サクラ大戦』シリーズの真宮寺さくら役では、キャラクターに声をあてるだけでなく、ミュージカル舞台で歌やダンスも披露した。なお、声優になったキッカケは、映画『ルパン三世 カリオストロの城』を観てルパン三世に会いたかったから。『ルパンに会いたくて』というエッセイ集も出している。
70〜80年代、「スプーン曲げ」などで超能力ブームを巻き起こしたユリ・ゲラーが、1946年12月20日にイスラエルで生まれる。自称“超能力者”としての活躍のほか、70年代にはミッキー・カーチスが監修した唯一の音楽作品『ユリ・ゲラー』も発表(2005年にCDで再発)。さらに96年には“史上初のインタラクティブ・サイキック・エクスペリメント・ムービー”と銘打たれた伝記映画『超能力者ユリ・ゲラー』も公開されている。なお、映画の原題は「Mindbender」、日本語訳にすると“ドキッとさせるもの”。
アルバム『バングラデシュ・コンサート』米国発売(英国では73年1月7日、日本では2月21日)。英国では1位を獲得、米国、日本ともに最高2位(米国では6週間2位)を記録。72年度のグラミー賞において、最優秀アルバム賞を受賞した。このアルバムは発売から10日間で450万ドルの収益を挙げ、その後、1,500万ドルを越える売り上げがあったものの、税務当局がアルバムや映画での収益をジョージの個人所得と見なし、税金の対象としてしまった。「このコンサートは寄付を前提にしているので、税金を軽減するように」とジョージが必死に交渉するも、ジョージは100万ポンドもの税金を払うはめになってしまった。さらに追い討ちをかけるように、マネージメントを握っていたアラン・クラインが売り上げを私的に使っていたことが判明。後味の悪い部分も残ってしまった。