

バラエティ番組などでお馴染み、人気女性タレントのベッキーが神奈川県に生まれる。英国人の父親と日本人の母親の間に生まれた彼女は、99年のテレビ東京系『おはスタ』のレギュラー出演をきっかけにブレイク。明朗快活なキャラクターと機転の利くトークで老若男女を問わず人気を獲得し、『「そらとぶポケモンキッズ」テーマソング』でCDデビューも果たしている。2002年には本格的なシンガーとしても活動開始、幅広く芸達者な女性なのです。

“ともちゃん”こと華原朋美が、自身3作目となるシングル「I'm proud」をリリース。愛する人に対する感謝が込められた前向きな歌詞、優しげなメロディ、サビでの伸びやかな高音ヴォーカルが非常に印象的なこの曲は、最終的に140万枚近い売上を記録し、彼女の最大のヒット曲になった。当時のともちゃんは人気絶頂で、この曲は若い女性がこぞってカラオケでチャレンジ。素人にあの高音が出しきれるはずもなく、大方は悲惨な結果に……。
伝説的プログレ・バンド、ピンク・フロイドのギタリスト、デイヴィッド・ギルモアが英国ケンブリッジに生まれる。廃人同然になってしまったバンドのリーダー、シド・バレットの代わりに参加したのが、シドの友人であったデイヴィッド。当時の彼は、ギタリストのかたわらモデルもしていた。シド脱退後のフロイドはサイケ色が薄まっていき、デイヴィッドのリリカルなギターとロジャー・ウォーターズの奥の深い詞で世界を席巻していった。
オクターブ奏法などで知られるジャズ・ギターの巨匠ウェス・モンゴメリー、米インディアナ州に生まれる。兄弟でバンドを組み、独学でギター奏法を学んだウェスは、ほぼ故郷から出ることなく地道に活動。それをサックス奏者のキャノンボール・アダレイがたまたま見かけ、その特異な奏法やプレイ・スタイルに驚き、驚異のギター奏者として世にデビューを果たすこととなった。ウェス、すでに36歳。オクターブ奏法と同時に有名な指頭奏法は、近所迷惑を考慮して生み出されたものだというのも、どこか微笑ましい。
いつまでも輝きが色褪せない歌手、高橋真梨子誕生。ジャズ・プレイヤーの父親の影響を受けて、14歳の頃からジャズを勉強し始める。その後、16歳で本格的なレッスンを受けるため、福岡から上京。ライヴ・ハウスなどで、抑制の利いた透き通る歌声を披露し、東京では知る人ぞ知る存在となる。「for you…」や「桃色吐息」「フレンズ」など数多くのヒット曲を出しているが、ソロ・シンガーの前にペドロ&カプリシャスのヴォーカルとしてデビューした事実は、若者にはあまり知られてない。
ウエスタン・スウィングの父、ボブ・ウィルスが米国テキサスにて生まれる。祖父、父ともに地元では知られたフィドラー(バイオリン奏者)で、彼も幼い頃からたっぷりと父からフィドル指導を受けて育つ。25歳のときにはすでにフォートワースで“もっとも有名なフィドラー”となる。その後、トミー・ダンカンを歌手として迎えたミュージカル・プラウニーズで第一期黄金時代に突入する。しかし、最も有名なのはテキサス・プレイボーズであろう。ここで、彼はウエスタン・スウィングと呼ばれるジャンルを確立した。
1932年3月6日、タツノコプロを設立した「吉田三兄弟」の長男・吉田竜夫が京都府に生まれる。もともとは漫画家(55年デビュー)であったが、62年に弟の吉田健二、九里一平とともにアニメ制作会社「竜の子プロダクション」(タツノコプロ)を設立。初代社長に就任し、タツノコ黄金期の作品群を生み出した。77年9月5日、肝臓がんのため死去。2005年には、その功績が認められ、「日本のアニメを作った20人」特別功労者賞を受賞している。
「そこのかまいたち、いやおまえたち!」と今日もどこかで持ちネタを披露しているであろう、タレント・俳優の柳沢慎吾が生まれる。1983年に放送されたドラマ『ふぞろいの林檎たち』で俳優としての地位を確立した後、生まれもっての話芸を武器に、バラエティ番組へも次々と登場。「あばよ!」「お前はどこのワカメじゃ」「チョメチョメ」……もはや“芸人”とも呼ぶことのできる多彩な職人芸はまさしく国宝級。
英国で解散後初のシングル「イエスタデイ」を含めたシングル23枚が、特製のピクチャー・スリーヴ(年代別に4種類に分けられている)に収められ一斉に発売。 この23枚すべてがトップ100にランク・インし、「イエスタデイ」は最高8位を記録。NME紙では「ヘイ・ジュード」「ペイパーバック・ライター」「ゲット・バック」がトップ30入りを果たした。 またこのピクチャー・スリーヴに使用された4種類の写真は、77年にビートルズ結成15周年記念盤としてリイシューされた日本国内盤のシングルに採用された。