

ボン・ジョヴィの出世作『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ(Slippery When Wet)』が米国で発売となる。この時期、本国での人気は日本ほどではなかったが、今作が日米のみならず世界中で特大ヒット。ポップでキャッチー、洗練されたプロダクションのハード・ロックは、メタル・ブームを決定的にし、ロック・シーンに旋風を巻き起こした。その影響力はファンや後続のバンドのみならず、エアロスミスなどのベテランまでが同じ手法を取るほどだった。
レッド・ホット・チリ・ペッパーズがライヴ・アルバム『ライヴ・イン・ハイド・パーク』を日本でも発売に。すでに20年に及ぶキャリアを誇っていた彼らだが、ライヴ盤のリリースは初めてのことだった。収録されたのは2004年6月、英国はハイドパークでの公演。10万人もの観衆を前にした圧巻のパフォーマンスが、CD2枚にわたりパッケージされている。あのグルーヴは、ライヴでその魅力を倍増することに。さすがの充実ぶりと評判になった。
広島市生まれ。世界ジュニア水球選手権大会の日本代表に選ばれ、最年少選手として海外遠征に参加。その後、カキの養殖工場でバイトしたお金でギターを購入し、バンド〈はまちバンド〉を結成。そして、吉川自ら「広島にすごい奴がいる!」と、渡辺プロダクションに手紙を出し、芸能界にスカウトされる。冒頭の吉川の大胆な泳ぎっぷりが話題にもなった初主演映画『すかんぴんウォーク』の主題歌にしてデビュー・シングル「モニカ」は、発売早々にヒットを記録した。ちなみに、同じくイニシャルKKの大物・清原和博(プロ野球)もこの日が誕生日(1967年)。
globeのVo.KEIKO、大分県臼杵市の料亭「山田屋」の次女として生まれる。地元のちびっこのど自慢で「帰ってこいよ」で優勝し、この頃から歌手を志す。しかしその後、数々のオーディションを受けるが落選。実家をつぐために歌手をあきらめかけていたがユーミンのコンサートに集まる多くの人々を見て、再び歌手を志す。そして'94年のオーディション。歌っている途中でステージから落ちるも何事もなかったかのように歌い続け、それが小室の目にとまり、見事にデビューを飾った。

3Dライヴ・アニメ映画『ベクシル ―2077日本鎖国―』が劇場公開される。すべてをシャット・アウトし、ハイテク技術を駆使した“完全なる鎖国”を強行した未来の日本を舞台にしたSFアクション作品。監督は『APPLESEED』シリーズのプロデューサーで、また映画『ピンポン』の監督も手がけた曽利文彦。劇中の音楽はトップDJのポール・オークンフォールドが手掛けている。なお、公開時、世界129ヵ国での公開が決定していると話題を呼んだ。
映画監督、ロマン・ポランスキーが生まれた日。幼少期にユダヤ人の母親をアウシュヴィッツ強制収容所で失う。さらに悲劇は襲い、女優であり妻であったシャロン・テイトが身ごもっていた胎児とともに惨殺されるという、苦しみがたい経験をしてきた悲劇の映画監督。それらを乗り越えて作られた映画『戦場のピアニスト』は全世界で感動を呼び、アカデミー賞監督賞を受賞した。
ビートルズの新しいドラマーとして加入することになったリンゴは、ジョンに言われて髭を剃り、髪を切ってヘア・スタイルを変え、この日、ついにビートルズの一員となった。2時間ほどリハーサルをこなした後、バーゲンヘッドのヒューム・ホールで午後10時過ぎから行なわれた地元のホーティカルチュラル・ソサエティ(園芸協会)の恒例のダンス・パーティーにトリとしてビートルズは出演。これがビートルズにリンゴが加わって初めての正式なライヴ出演となった。